アクティベート・リリック
なんとなくゲテモノが出てきそうな予感がしたけど、案外ラウラの料理は
なんとなく普段よりしっかりと「いただきます」を言う。手を合わせる。それから食べ始める。普段よりたくさん噛み、味わってから呑み込んだ。
「おいしい」
「うん、おいしい」
特に何も意識せずになんとなく食べられるのと、おいしい、おいしくなければならないと思って食べられるのと、食材にとってはどちらが幸せなのだろう。
少し考えてみたけど、もう死んでいるのだからどう感じることもないのだろうな、という結論しか出てこなかった。
クローディアはカツレツを食べ終わったところで席を立って先に淹れておいたコーヒーを3人分に振り分けた。
ラウラは口の周りについたパン粉を指で取ってから早速コーヒーを啜った。
「でもさ、今度の嵐はかなり酷かったね。フーブロンでも何度か停電したくらいだよ」
「フーブロンって隣の塔?」
「そう、1つ西の島。この辺りでは一番大きな街だね」
そうだ、天気予報で聞いたことのある名前だった。クローディアは思い出した。
「大きな街ってことは嵐の対策もタールベルグより――」
「うん。だから止められたのさ。給油に立ち寄っただけなんだけどね、もう飛行禁止だと。もう少しルートを考えていたら塔がまずくなる前にこっちに着いていたかもしれないね。……まあ、後悔しても仕方がない。さすがにフーブロンともなると発電機も工兵隊も万全さ。それでも停電するんだ。よくもまあこの島は工場の人たちだけで耐えられたものだね」
「クローディアも頑張ってましたよ」とカイ。
「下層や外の作業は天使の請け売りでしょ? それに、私だけじゃない。ヴィカもいた」クローディアも言った。
「ヴィカ?」
そうか、ラウラはヴィカを知らないんだ。ヴィカがタールベルグに来たのはラウラがいなくなったあとだった。失念していた。
「エトルキアの、なんだっけ……、中佐?」
「中佐」カイが確認した。
「軍は退避したんじゃないのかい?」
「そうなんだけど、仕事じゃなくて休暇だからってついていかなかったの」
「わざわざこの島に?」
「ベイロン以来の縁なの」
「ヴィカ、何?」
「ヴィクトリア・ケンプフェル」
「……聞き覚えがあるよ」ラウラはこめかみに指を当てた。「ヴィカ・トリボス――摩擦のヴィカ」
「摩擦?」
「電気系の魔術を使うらしいね。それにあの目の色、琥珀色の目。琥珀といえば摩擦だ」
あの目の色。
会ったことはないけど容姿は知っている、ということみたいだ。どういう関係? 写真でも見たんだろうか。そういえばヴィカもラウラのことを知っていた。
「ヴィカもあなたのことを知っていた。どういう関係なの?」クローディアは結局訊いた。
「うんにゃ、面識はないよ。ただ、同じ魔術院の出なら噂くらいには聞いたことがあるってだけのことさ」
「同じような答えね」
ラウラは右目にかかった髪をちょっと触りながら考えた。
「……なるほどね」
「?」
「私が戻った時、クローディアは『魔術師がもう1人いれば』と言ったね。私以外の『1人』は彼女のことだったわけだね。ふうん、カイのことじゃなかったか」
「まさか」とカイ。
「そうかい? 案外勝手にやるようになったかもしれないと思ったんだけどね」
カイはちょっと申し訳なさそうに首を竦めた。
「姉さんに杖を頼んだはずだけど」
カイは玄関に掛けたジャンパーのポケットから杖の箱を持ってきた。
「ふうん、片身離さず持ち歩いてはいるわけだね」
「でも使えるようにはならない」
「練習もしていると」
「うん」
ラウラは目をちょっと横にやって怪訝な顔をした。
「……練習?」
「前に教えてもらった火の魔術」
「その杖で?」
「うん」
「ひたすら唱えてるのかい?」
「ひたすらってほどではないかもしれないけど」
「姉さんはなんにも説明せずにそれを渡したのかい?」
「何も……? あなたから、というのは言ってましたけど」
ラウラは溜息をついた。
「悪かったね。そいつは使い方を教えていかなかった私のせいだね」
「?」
「人間もスペルを覚えなきゃいけないけど、同じように杖も覚えなきゃいけない。最初は空っぽなのさ」
「空っぽ」カイはぽかんとして繰り返した。
「杖を出してみなよ。ずいぶん古臭く見えるだろうけど、それでも新品なんだ」
「新品?」
「杖には大きく分けて2通りの作り方がある。知ってるかい?」
2人は首を振った。カイはとりあえず杖を箱から出して両手の上に置いた。
「ひとつは魔素を練り込んだ素材を固めて形にする方法。エトルキア軍の
で、もう一方はもともと形になっているものに魔素を浸してやる方法さ。木製の杖はこっちだね。魔素を溶かした溶液に杖を長いこと漬けておいて、芯の芯まで染み込ませるわけさ。繊維質か多孔質の素材なら何でもいいんだけど、まあ、魔素というのはとても小さいから、あまり粗いものでもいけない。木材はその辺りなかなかちょうどいいのさ。魔術師といったら木の杖だという古来からの文化にも馴染みやすいね。1本1本に時間がかかるから基本的にワンオフになる。手間さえかければ大した設備がなくても作れるし、あとから再加工が利くのは利点だね」
「つまり、木の枝としては古いけど、杖としては新しい。もしかしてラウラが?」
「そう。お手製ってやつさ。素材自体は見かけ通り古いものだよ。樫の枝を使ってるんだ。今じゃ植林島でもお目にかかれない希少品だね」
「そんなものどこで」
ラウラは微笑した。
「サンバレノさ。あの国は気高いわりに地上の遺物を集めて金を稼ぐことにかけてはエトルキアの盗掘家なんか寄ってかかっても話にならないレベルだからね」
「じゃあ、これも地上の遺物?」
「ああ」
「地上にあったら風化してる。何十年と持たないはず」クローディアは言った。
「出どころはわからないけど、泥の中にでも埋まっていたんだろうね。私が手に入れた時にはまだ鉄みたいに重かったよ。そのままじゃ魔素が染み込まないから、まずカラッカラに乾かすのさ。古い木はいいんだよ。ヤニが抜けているし、繊維が締まっていて魔素がたっぷり染み込むからね」
理解できた? と訊くようにラウラは首を傾げた。クローディアは頷いた。
「で、だ。染み込ませたらフォーマットをしてやらないといけない。魔素を新造する技術なんて現代にあるわけないだろう? 培養で増やしてるんだけどね、私のレベルだとどうしても微妙に違う性質を持った魔素がまぜこぜになる。そのままスペルを発動しても出力が揃わない。全体の威力もガタ落ちになる」
「そのためのフォーマット」
「といっても詠唱の一種だけどね、咄嗟に発動しないようにやたらとややこしい手順になっているんだ。説明は省くよ」
「フォーマットしたままの状態だと、いくら唱えてもスペルが発動しない、ということ?」
「その通り。一度正式な形でスペルを読んで杖に覚えさせてやらないといけない。これはできれば普段使いする人の声でやった方がいいね」
「正式?」
「最初に『フュール』という火のスペルを教えたろう? あれは短縮形だよ。私の杖が基本的な出力方法を覚えているから、いきなり短縮形でも使えるのさ。でもそいつはそうじゃない。箱の底を見てみなよ」
カイは杖の箱をひっくり返して裏を見た。
「ああ、そっちじゃない」
クローディアは杖を守っていたビロードの枕を指差した。
カイがふかふかした紺色の枕を外すと、下から4つ折りのメモが出てきた。
「基本的なスペルの登録詩だよ。例えば火のスペルは……何番目だったかな。『風渡る地の精』から始まる――」とラウラ。
「火なのに地の精なの?」クローディアは訊いた。
「基本的には圧力制御だからね。大気中の塵を集めて加熱で着火しているんだよ」
「……複雑?」
「意外かもしれないけどね、火というのは複合魔術なのさ」
「ああ、そうか」とカイ。
「?」
「いや、ヴィカにも元素の話をしてもらったことがあったと思って」
「そういうことさ。ほら、読んでみなよ」
カイは杖を握り直してメモの文章を目で追った。噛まないように一度頭の中で読んだみたいだ。
「風渡る地の精、杖上に仄かなる赤き火を灯さん」
「フュール」ラウラは顎の下で手を組んで様子を見ていた。
「フュール」
カイがラウラに倣って唱えると杖の先端で火打ち石のような火花が散ってロウソクほどの炎が生まれた。
「すごい……、できてる。本当に火なのか?」カイは指を近づけて温かさを確かめた。手で扇ぐと炎は揺れる。
「止める時は?」とカイ。
「鎮まれ」ラウラが答える。
「それでいいの?」
「さほど日常会話で出てくる単語じゃあない」
「鎮まれ」
カイがそう唱えると炎は消えた。カイは恐る恐る杖の先を握って「まだ熱い。夢じゃない」と言った。
「おめでとう。やっと使えたわね」クローディアは言った。
カイが魔術を使っているところをきちんと見るのは初めてだった。魔術を使える人間にとってみれば小さな一歩なのだろうけど、でもなぜだか少しだけ胸騒ぎを覚えた。カイという人間の変質を恐れているのだろうか。それとも、奇跡が使えない自分でも魔術を知らないタールベルグになら馴染めると思ったのだろうか。
「前にラウラやヴィカに教えてもらった時には借りた杖でも使えなかった。杖のせいじゃないはずで――」
「それはまた別の問題だろうね。今まで魔術を使ってこなかったのさ、なあに、体の中の魔素が目覚めるまでに時間がかかったというだけのことだろう。ひたすら唱える練習も無駄じゃなかったわけさ。カイ、君はおそらく火の魔術が伸びるだろう。そのメモにも火のスペルを多めに入れてある。今度こそ練習してみるといい」
ふと外にいるカラスたちが騒ぎ始めた。ワシでも出たのだろうか?
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