タイムリミット

「これだけ高さがあって、しかも全周壁に囲まれてるんだ。上から物を落とせば必ずここに落ちてくる。それはわかりきってる。だからトーチカみたいな装甲まみれの設計になってるんだ。が、しかし、だな、さすがにあんなバカでかいものが降ってくると耐えられない」ボスはクレーンのコクピットでいろんなレバーをとっかえひっかえ動かしながら言った。撤去して壁際の空地に下ろしたトラスの方にちらっと目をやる。

 クレーンといっても下から片持ち式の腕を伸ばすやつじゃなくて、港で見るような門型のがっしりしたやつだ。格好は内壁ロボに近いものがあるけど、背も高いし存在感は3倍増しくらいだった。地面にはこいつが走るためのレールが張り巡らされていて、普段は壁際の、それこそ防空壕のようなイカツい造りのバンカーにすっぽり収められているようだ。

 今しがた吊り上げたのはメインタービンを覆うダクトの外張りの瓦礫で、パネル構造になってはいるものの厚さが2mくらいもあるコンクリートの塊だった。そのど真ん中が抉れて鉄筋が千切れるくらいだから、落下の衝撃はものすごかったのだろう。それこそ雷のような――。

 そういえばカイとアルルと一緒に暗闇で雷だと思って聞いていた衝撃音のうちどれかはトラスが落ちた時の音だったかもしれない。


 ボスの言う通り、基底層の建物は何もかもが重厚だった。甲板上の建物のような軽量化志向は全然感じられない。地上に残っている古い建物により近い雰囲気を纏っていた。塔の世界において唯一地上のあり方を残しているのが基底層なのだ。位置と性格だけではない。取水、地熱発電、各種資源の汲み上げ……。その全てを担っている基底層は塔にとって地上との窓口に他ならない。

 それは樹木で言うところの根のようなものかもしれない。いくら現代の人間たちが地上から隔離されたまま世代をつないでいるといっても、地球で生まれた生き物が地とのつながりを断って存続していくことはできない。今の状況はそのことを如実に示しているように思えた。


 ボスはクレーンをトラスのところまで走らせて吊り荷を下ろした。

 クローディアはクレーンのキャットウォークから飛び降りてクレーンのフックを外しにかかる。外張りも交換を前提としているらしく吊り上げ用のポイントが埋め込まれていた。とはいえ超重量物、ワイヤーは腕が回るか怪しいくらい極太だし、フックなんか先っちょのロック用の金具だけでも自分の体重より重いんじゃないかというくらいのスケールだった。ちょっとでも揺れてフックと吊り荷に挟まれたりしたら酷い骨折になりそうだな、とクローディアは思った。

 上を見てボスに指示を出し、フックが抜ける高さになったらフックを横に押し出して巻き上げの合図を出す。巻き上げが終わったところでコクピットの高さまで飛び上がる。

 基底層といっても発電機上部の地上高は10mを超える。人間にとっては十分高所で、上下に行き来するこの作業は天使にうってつけの役割だった。


 外張りを取り外した発電機の上ではハーネスをつけたヴィカが長杖をバーナー代わりにしてひしゃげたダクトのパネルを切り出していた。

 干渉していた部分が取り払われ、半円形のパネルがぱかっと開いて中の様子が見えてくる。機関部は横置き。動翼と静翼を組み合わせて10段、その円盤の1枚1枚が扇風機の親玉のような大きさで、羽根も数え切れないくらいの枚数がついていた。その一部が割れたり曲がったりしているので取り替えなければいけない、という状況らしい。「軸が無事だといいんだが……」そんなやり取りが漏れ聞こえてきた。


「降りてきてから30分経った。フラムモニターの具合はどうだ、反応してるか?」ボスはトランシーバー越しに訊いた。グラウンドスーツの中で腕を抜いて腕時計を触っている。タイマーをかけていたようだ。

「いや、問題ない」

「ボーダーの半分も行かないよ」

「こっちもだ」

 他の工員が各々返事をした。トランシーバーのスピーカーがばりばりと震える。

「ああ、私の方も大丈夫だ。もう潜ってから1時間以上経っているが基準濃度は一度も超えてない」ヴィカも答えた。

「わかった。みんな、防護服を脱いでもいい。作業しにくかっただろう。ただし近くに置いておけよ。いつモニターが鳴くかわからない」

 フラムモニターというのはグラウンドスーツの手首のところに埋め込まれているセンサーらしい。慎ましい白黒の液晶画面がついていて、覗き込むと数字と折れ線グラフが映っていた。危険濃度を知らせてくれるわけだ。


 ボスがグラウンドスーツの頭の部分を留めているファスナーを開いた。中の空気が抜けて汗の匂いが鼻をついた。

「う゛っ」

 クローディアは手で顔を覆ってキャットウォークの手摺まで下がった。

「ははァ、臭うか。蒸れるからな」

 だいたいもし着心地が快適だったら時間を決めて脱げるかどうか測ったりしないだろう。一刻も早く脱ぎたかったのだ。その気持ちは察しがついた。

「そっちのドアも開けて」クローディアはコクピットの反対側のドアを指して言った。

 ボスが言う通りにしたところで手摺に寄りかかったまま翼を打ってコクピットに空気を送り込む。換気だ換気。

 ボスは上から下までグラウンドスーツを脱いで、湿ったTシャツとズボンをぱたぱた扇いだ。

「ああ、いいね。気持ちがいい。それに少しシャンプーの匂いがするよ」

「カイが使ってるのと同じやつだけど」

「……そうか」

「なぜ嫌がるの、いい弟子でしょ?」

「そういう問題じゃない」


 そういえば予備発電機が持つのがあと3時間という話をしてからどれくらい経ったのだろう。クローディアは自分の腕時計を見た。午前3時を回っていた。件の話が確か1時頃だったから2時間経っている。猶予はあと1時間しかないはずだ。

「かなり節約したおかげでプラス30分は持つらしい。さっき連絡が来たよ」ボスは言った。

「じゃあ、あと1時間半?」

「そんなものだろうな。タービンとステーターさえ直せればひとまず外張りは外したままでも構わない。注水ポンプの方も、間に合わなければ最悪無理やり水を流し込む手もある」


 レールを伝ってまた1機内壁ロボが下りてきた。すでに下にいるロボの真上につけて停止する。ただ今までの4機とは少し格好が違う。上に貨物用のプレートを乗せていた。ボスはクレーンを移動させてロボの前に止め、レバーをいくつか動かして積み荷をプレートごとクレーン側に積み替えた。クレーンの股の間にプレートを挟み込むような具合だ。かなり自動化されているのか、さほど難しい操作をしているようには見えなかった。もしかしたら本来は無人でやる作業なのかもしれない。


 プレートの積み荷はタービン用の羽根だった。1枚1枚兵隊みたいに整然と並んでいる。つまり円盤ごと取り替えるのではなく、羽根の1枚1枚を取り外してつけ直していくのだ。気が遠くなりそうだった。

 ボスはクレーンをタービンの上につけて軽荷用のフックでブレードの入ったケースを吊り、下で待っている工員たちのもとに降ろす。クローディアはプレートの上でフックの補助をしていたけど、下へ行って作業する必要がなくなったからだんだん眠くなってきた。順調に作業が進んでいる、この分ならこの塔はまだ大丈夫かもしれない、そんな安心感もあった。

 眠い。もうあくびすら出ないくらいだった。よく考えたら4時台なのだ。徹夜前提の夜でもつらい時間帯だった。カイの家でじっとテレビを見ていた6時間前がひどく遠く感じられた。

 少し休憩、そう思ってキャットウォークの手摺を頼りにしゃがみ込んだ。すると膝が磁石になったみたいに床に貼りついてそのままへたり込んでしまった。床の冷たさをなぜだか気持ちよく感じて、気づくと手摺の支柱に背中を預けて眠りこけていた。


「うわっ」

 ボスの驚いた声で目が覚めた。

「危ないな。ヘルメットがなかったら踏んづけてたぞ」

 クローディアは伸びをした。無意識のうちに翼で体を覆っていたみたいだ。強い照明で暗闇を照らしているから場所によっては濃い陰になる。黒い翼は見えにくい。黄色いヘルメットに助けられた、ということだ。

「どこに行ったのかと思ったら、こんなところだったか」

 時計を見るとさらに1時間ほど経過していた。濡れた裾が冷たくぴったりと脚に貼りついていた。

「……タイムリミット」

「ああ、あと30分弱だ。やはりポンプの方は間に合いそうにない。結構複雑なやられ方なんだ。水自体は上の階に溜めてあるからいいとして、仕方ないからひとまず手動で注水してメインの発電機を動かす。それで燃料の汲み上げと精製をやって、予備発電機用の燃料が溜まったら注水を止めてきちんと修理する」

「メインタービンは回せるの?」

「ああ。完全じゃないが、どうにか」


 工員たちは注水ポンプの周りに集まっていた。メインタービンよりひと回り小さな建屋で、上部が擦り潰されたようになっていて確かに数時間で直せるレベルじゃなさそうだ。

 注水ポンプとメインタービンの間にマントルまで伸びる直径1mほどの竪坑があるのだけど、内部が超高温高圧になるのもあってほとんど完全に地中に埋め込まれていた。塔の中に顔を出しているのはタービンの手前にあるごく短い区間だけだ。

「この真下が竪坑だ。深さ100キロの穴だ」そう言われても実感が沸かなかった。塔の高さがせいぜい7km。計算上は比較にならないスケールなんだけど……。

 注水ポンプの吐出バルブはその竪坑の側面に設けられていて、竪坑の中が十分に加熱されていれば噴霧直後に蒸発して即座に圧力を生み出す。しかし竪坑が一度冷えるとかなり深部まで潜っていかないと地熱を受けられない。水を落としてから蒸気が上がるまで30〜40分は待たなければならないという話だった。

 要するに水を入れてからメインタービンが回るまでは特にすることがなかった。注水ポンプの修理を進められないこともないけど、それより電気を節約した方がいい。


 揚水に使ったホースをポンプの注水バルブにつなぎ、最初呼び水代わりに少し携帯ポンプを動かしてから、あとは重力に任せる。

 クローディアは2階に溜まっている水にホースをつけ、水中でその口のところに手を翳してきちんと吸い込んでいるのを確かめる。口が床面に届くようにダクトテープでしっかりと留めておく。

「バルブ圧は」ボスが訊いた。

「1.85。大丈夫、出てます」工員の1人が注水ポンプの制御盤の前で答えた。


「よし、休憩だ。――制御室、予備の残り時間を教えてくれ」ボスはトランシーバーで中層に呼びかけた。

「あと4分」と返答。

「何分?」ボスは訊き返した。

「4分」

「4分?」

「そうだよ、ボス」

「ぎりぎりだったじゃないか。早まってないか」

「残り10パーセントから加速したような感じだ」

「ならその4分も信用ならないなァ」ボスはそう言ってエレベーターのドアを見つめた。「途中で止まって閉じ込められるのはごめんだ。ここに残るのも不安だが……」

 そうか、基底部だといざという時に逃げ場がない。ボスは一度中層まで戻って待つつもりだったのだ。

「防護服だって2時間近くは持つはずだ。もし何かあっても心配することはないでしょ」1人が言った。

 ボスはあまり長くは悩まなかった。

「よし、下に残ろう。モニターに注意して、防護服もすぐに着れるようにしておけ」

 ボスがそう言って、各々自由に座り込み始めたところでいよいよ塔の明かりが完全に沈黙した。

 その闇は前の停電よりも一層深く完全な沈黙だった。まるで塔が抜け殻になったような空虚な感触がものすごい圧力を持って降りかかってきた。各々の持つランタンや懐中電灯の光が夜空の星のように弱々しく揺れていた。

 

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