アーティフィシャル・グロッタ

 ボスはクレーンの手摺に背中を預けて座り込んだ。両手でゴシゴシ顔を拭う。かなりくたびれた様子だ。無理もない。体力的にも精神的にもかなり消耗しているはずだ。ようやく休憩らしい休憩を取ることができたわけだ。

「ねえ、メインの発電機ってあの1基だけじゃないでしょ。位置的にも、同じ形の建物があと3つあるし」

 メインの発電機は基底部の中心にある。でも今しがた大急ぎで修復したのは南西区画の1基だった。他の3基は動かせないのだろうか。

「ああ、初めから発電機単発なんて危なっかしい設計なわけない。もう随分長いこと沈黙してるんだよ。俺が生まれた時にはすでに2基死んでやがった。それから20年の間にもう1基ダメになった。1基だけでやりくりするのが危ないのはわかってるが、どこが悪いのか見当がつかない。塔自身にも直せないみたいだ。部品を造る機能が死んでるのかもしれない。だから、言いようによっては今日はわかりやすい外傷で助かったとも言える」

「この階層って普段は島の人がメンテナンスしてるの?」

「いいや。塔任せだ」

「この塔ができた頃の住人たちってそれを自力で直せるノウハウを持っていなかったのかな。本当にただの素人だけの寄り集まりだったのか……」

「もっと塔と密接な生活をしてきちんと技術を継いでいればよかったじゃないかって?」

「そう思わなくもないけど、なんというか、今の島の人たちを責めてるんじゃなくて、どうしてそれが当然になってしまったんだろうって」

「言いたいことはわかる。要は『文化的な問題』だろう?」

「そうね、文化的な問題。なぜ島の人たちは塔の中に住むのをやめたのか」

「俺も昔同じようなことを思ったよ」

「そう?」

「ああ」ボスは眠そうに目の下を指で押し込んでから続けた。「それで、おそらくこういうことなんだろう」

「こういう?」クローディアはボスの隣に座り直した。あなたの話を聞きますよ、という合図だ。


「大昔、旧文明が栄えるよりも昔、人類種の原初、人間たちは家を作る技術も持たなかった。連中が住処にしていたのは洞窟だった。岩肌の窪みや地面の中に開いた空洞だ。わかるか?」ボスは言った。

「うん。見たこともあるよ。入ったこともある」

「……ああ、それもそうか。地上に居たんだ」

「それで?」

「何も手を加えなくても、温度はかわらないし、ものによっては風通しもいい。それはそれで快適な空間だったらしい。だが人間は農耕を求めて平原に旅立たなければならなかった。洞窟は人間の住む場所ではなくなり、空虚な空間に立ち返った。ただ人間たちにとって洞窟は自らの起源だった。神や祖先を祀る場として、いざという時の聖域として、繋がりを保ち続けた」

 おそらく塔のアーカイブに人類種の誕生に関する情報があるのだろう。クローディアも地上の図書館の本で同じような話を読んだことがあった。

「俺たちにとっての塔は洞窟のようなものなんじゃないだろうか。塔の中は快適だ。旧文明の人間たちが俺たちのために用意してくれた空間だ。全てが整っている。だが光もない。風もない。空に出ていくためにはオープンエアの甲板の方がいい」

「確かにこの中にいると外に本当に空があるのかどうかわからない」

「洞窟を出た人間は洞窟には戻らなかった。建築を発達させていった。だが洞窟から流れ出す清水は人の飲み水となり、田畑を潤し、魚を育んだ。

 同じだ。フラム時代の人間は塔の中で生まれ、空に世界の広がりを求め甲板を建設した。甲板には出たが塔との繋がりを断ったわけじゃない。むしろ依存している。水、食料、その他諸々の日用品。塔のインフラがなければ人間は生きられない。

 俺たちは無意識のうちに塔を畏怖しているのさ。塔は社であり、墓場であり、子宮だった」

「旧文明の人間が創造主だと言っているみたい」

「同じ人間を崇めるのも癪だが、実際そうに違いない。洞窟を作ったのが大自然や神なら、塔を作ったのは旧文明の大工や建築家だ。もっとも、神を崇めるかどうかは個人の自由だろうが」

「糧とエネルギーを頼る神秘の空間、塔。それはわかる。でも無意識の畏怖? ただそれだけのことで完璧な住環境を避けたりするのかしら。人間はもっと合理的な判断ができるものだと思ったけど」

「完璧でも住みやすいとは限らない。中は日の光も入らない。時間も天気もわからない。そうやって閉じこもっているのはなかなか窮屈なんだよ。かなり現実的に窮屈なんだ。若い頃俺も疑問に思って閉じ籠ってみたことがあるんだ」

「塔の中に?」

「そう。1年くらいだろうな。1年外に出なかった。塔の中の行動を縛ったわけじゃない。中といっても300層以上あるんだ。行く場所には事欠かなかったし、調べ尽くすには1年じゃ足りないくらいだった。それでもその1年、外壁に近づく度に外に出たいと思ったよ。日の光を浴びたいと思った。かなり切実に、だ。エアロックの扉に触れると皮膚が紫外線を求めてパチパチ粟立つんだ。そんな感じだった。自分がどうしたいとか、そんなレベルじゃない。肉体が生理的に――

ある意味機械的に求める。太陽を浴びたい、と。

 高高度までフラムが吹き荒れていた時代の人間たちはよほど窮屈な思いをしていただろう。確かに塔の外は内側より遥かに過酷な環境だ。でもな、たとえ上空の風が強くても、凍えるほど寒くても、その痛みや苦しみもまた人間が『生きている実感』を得るために必要なものなのかもしれない。自分は塔に飼われているんじゃない、いつまでも創造主の被造物であり続けたいわけじゃない。自分自身で生きているんだ、とね」

「ボスは外に出たくなっても、出なかった?」

「ああ」

「1年というのは決めていたの?」

「いいや」

「なぜ数ヵ月でもなく、数年でもなく、1年になったの?」

「父親が死んだからだ。もともと慢性的なフラム障害で弱ってたんだが、まだ大丈夫だろうと思っていたらポックリ死んじまった。周りにはそろそろ遊んでいないで働いたらどうかと言われた。遊んでいるつもりなんてさらさらなかったが」

 たとえフラムスフィアに下りなくも大気に薄く混じったフラムによって人間の肺は少しずつ機能を失っていく。建物など遮蔽物の少ない島ほど老人が少ないという。


「でも、なぜそこまでしようと思ったの?」クローディアは訊いた。

「さあな。ただ単に塔に興味があったのか、それとも、他の島ばかりに世界の広がりを求める大人たちへの反感だったのか」

「ボスも少年だったのね」

「ああ」

 ボスはきっと飛行機には興味を持たなかったのだろう。カイとは方向性が違う。カイが鳥ならボスはモグラだ。何となくそんなことを思った。

「いずれにしてもその1年で俺は塔の隅々まで回った。制震装置、農場、上水場、工場ブロック、ロボットの整備ハンガー、空調区画、焼却処理場。一見しただけで理解できるようなものはほとんど1つもなかった。このクレーンくらい素直な機械は塔の中では少数派さ」

「それで塔の設備を勉強して、自分の手で動かしたり直したりするようになって、だから『ボス』なんだ」

「ああ。べつに自分から望んでそう呼ばれているわけじゃない」

 ボスは目を瞑った。膝の上に腕をかけ、肩の力を抜く。

 塔は風のせいで揺れているはずだった。でも吹き抜けの明かりが消えてしまったせいでいくら目を凝らしても具合はわからなかった。得体の知れない巨大な力を秘めた暗闇。それが洞窟なのだろうか。


 それから5分ほど経ってヴィカがボスのところに歩いてきた。ヘルメットをとってスーツの前を首元まで開けている。1人だけ眠気のカケラもないような目つきをしていた。

「ボス、塔の軋みが聞こえないか」ヴィカは訊いた。

 ボスは何も言わずにしばらく黙った。

「……うん」とボス。

「だんだん大きくなってる」

「制震装置が動かなくなったせいだな」

「上にも確認したが、中層でももうまともに立っていられないレベルらしい。装置を人力で動かせないか試しているようだが」ヴィカは上を見て言った。

「駄目だ。あれはタイミングがかなりシビアなんだ。込み入った計算でそいつを割り出してる。感覚で動かすと揺れを増幅しかねない」

「外壁が伸縮限界を超えて破断すれば塔の強度もまずい。フラムが流れ込んでくる可能性もある。放っておくわけにはいかないはずだ」

「だが手の打ちようがない」

「リーチベンダーの架線を伝って上に電気を送れないだろうか。制震装置だけなら私のパワーでも動かせるかもしれない。クソッ、こうなるならもっと早く上に戻っておくべきだった」

「いや、それはもう仕方ない。俺たちには防護服があるし、いくら制震装置がなくても崩壊なんてことにはならないだろう。中佐が無理をすることもない」

 ヴィカは首を傾げて少し考えた。

「いや、何か悪い予感がするんだ。やらせてくれ」

 ボスはまた少し迷ってから頷いた。


「制御室、発電機の再稼働予測まであと何分だ」ボスはトランシーバーの送話ボタンを押した。

「……あと25、いや、23分」と中層制御室からの返事。

「今から独立フィードバックモードで振り子を動かして揺れが収まるまでどれくらいかかると思う?」

「どうでしょうね。10分から15分くらいはかかるんじゃないかな」

 制御室からの通信の背後には人の悲鳴のようなものが聞こえた。揺れに耐えているのだろう。

「俺もそう思う。たかが数分だが――」

「たかが数分でも揺れが酷くなっていくのと収まっていくのとではわけが違う」ヴィカは助走をつけてクレーンのキャットウォークから飛び出した。長杖を前に振り出す。魔素結晶の微かな発光が暗闇に尾を引く。

 ヴィカが跳んだ先の空中にアクリル板のような空気の歪みが現れた。ヴィカはそれを足場にして空中で再びジャンプ、空中で縦に1回転して最寄りの内壁ロボに飛び乗った。

 すかさずコンソールに杖を突き立てる。形状変化を使ってパワーバスに杖の形を合わせたのだろう。詠唱が聞こえる距離じゃなかったけど、立て続けに様々な系統の魔術を使ったのは明白だった。たぶん生半可な技量の魔術師に真似できる芸当じゃない。

「ボス、電気が来た」トランシーバーが言った。

「バカ野郎、中佐に言え。制震システムをIFB制御でスタート、セーフモードだ。余計なところに電気を回すなよ。さっきまでよりも、だ」

「はい」


 ヴィカの様子が気になったのでクローディアは翼を広げて内壁ロボのところまで滑空した。

「何の用だ」ヴィカは言った。アタリの強い口調だった。

 一見平然とした様子だったけど、その口ぶりだとわりと堪えるのかもしれない。

「魔力を根こそぎ吸い出されるみたいだ。ここが正念場だろ」

「そういう感覚があるの?」

「いや、体感というんじゃないが、魔素のパワーがだんだん落ちてくるのはわかるんだよ」

 ヴィカは額を拭って慎重に杖を持ち直した。すでに照明役やポンプ役で魔力を使い込んでいたせいもあるのだろう。この人にも余裕のない瞬間ってものがあるんだ。ある意味珍しいものを見た。ともかくあまり話しかけない方がよさそうだ。


 クローディアはヴィカから離れ、目を瞑って塔の軋みに耳を澄ませた。無音だと思っていたのに、微かに「ぐぐぐ」という地鳴りのような音が聞こえた。音というより震動といった方がいいかもしれない。それはなんだか巨人のお腹に耳を当てて巨大な胃の蠕動ぜんどうを聞いているみたいだった。そしてその音は少しずつ少しずつ小さくなっていっているような感じがした。

 大丈夫、まだ生きている。じきに朝が来て安心安全なまどろみの中に落ちていける。そう思えた。フラムモニターの警報が聞こえてくるまでは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る