ドレンネージ

 とりあえずヴィカのいる階層まで上昇して合流した。エレベーターのケージから光が漏れていた。なぜずっと閉まらないのだろうと思ったけど、扉が鉄くずのように破れていた。

「宣言通りだよ。内側は開くんだが外側が開かないからぶち破った。一旦もっと下まで下がったんだ。でも同じだった。このあたりの階層全体が死んでるらしい」

 よく見ると破れているのは通路側の扉だけで、ケージ側の扉はきちんと開いていた。非常停止キーが捻ってある。扉が開かないのだから通路側のボタンからケージを呼ぶこともできないはずだった。そして実際通路側の階数表示は消えていて、ボタンを押しても反応がなかった。一度閉まってしまうとこちらからは呼べない。片道だ。帰りのためにケージを待たせているわけだ。

「一部が死んでいても動くんだ。むしろここまでケージが来たことに感謝すべきなんだろう」

「その魔術で外壁を破って排水できない?」クローディアは訊いた。

「たかがエレベーターの扉と塔の外壁じゃわけが違うだろう。それに破ったら破ったで外壁に穴が開くんだ。塔の構造が弱くなる」

「塔の躯体はこのトラスでしょ?」

「内側のトラスで剛性を持たせて、その微妙なしなりを外壁パネルで受け止めて減衰させているんだよ。外壁のパネルに継手がついてるのはそのためさ。これだけ揺れている時に外壁を、しかも根元を壊すのは正気の沙汰じゃない」

「そもそも排水機能は……停電で死んでるのか」

「ああ。それにこの高度だ。換気機能もない。穴という穴がもともと塞がっている」

 ヴィカがスーツの太腿についたポケットからトランシーバーを取り出した。

「ボス、ボス、ヴィカ、聞こえるか」

「こちらボス、聞こえる」

 ヴィカの手とクローディアの胸ポケット、2つのトランシーバーから二重にボスの声が聞こえた。同じチャンネルを使っているせいだ。

「かなり深く浸水している。排水システムが機能していない。予備発電機の電力を最優先で下に送れるか。オーバー」ヴィカは言った。

「確認する」

「ねえ、この下にはマントルまで伸びる竪坑があるんでしょ?」クローディアはヴィカがトランシーバーを下したところで訊いた。

「ああ」

「これだけ水が溜まってるんだから、勝手に竪穴に流れ込んで発電機を回してくれそうなものだけど」

「竪坑のエネルギーは人為的に制御してるわけじゃない。大量の水を流し込めばその分大量の蒸気が上がってくる。それが全部タービンに吹きつけると、どうなる? 加熱と過回転でオシャカだ。あくまで注入量で出力制御しなきゃいけない。タイムラグもでかいから、きちんと蓋をして注水ポンプだけで調節しているんだよ。もちろん想定以上の蒸気が吹き上がってきた時のためのオーバーフロー管もあるにはある。でもすぐ横の外壁から排気するようになっていて、下手に使うとフラムを甲板の上まで吹き上げることになる。ものすごい上昇気流を生むからね。今は完全避難状態だから吹き上がってもいいっちゃいいんだが、いずれにしても穴が塞がっているから水が流せない」

「なるほど」


 クローディアはヴィカの話を聞きながら手摺に寄りかかって懐中電灯で下の水面を照らしていた。相変わらずうねうねしていたけど、さっきまでほどの恐ろしさは感じなくなっていた。やっぱり「予期していなかった」が恐怖の元凶なのだろう。水そのものが恐いわけじゃない。

 そんなことより、水面と内壁の境目を照らしているとどうも水面が少しずつ上ってきているような感じがした。

「増えてきてるか」ヴィカが訊いた。

「そんな気がする」

 もうしばらく見ていると水面は内壁の手摺を乗り越えて通路に流れ込んだ。

「「あっ」」2人で声が揃った。

「やっぱり増えてるな」

「うん」

 手摺を数えると今いる階から7階層下だった。一階層を満たすまで水面の高まりは止まる。ただ、ということは塔の空間全部を満たしていくわけで、流入のスピードはかなりのものだ。

「中佐、聞こえるか。悪い知らせだ。排水システムには電気を送れない。基部のどこかで電線が断絶してるらしい」

「それはそうと水嵩が増してるみたいだ」

「この島は取水ポイントが高台にあるんだ。水位が合えば止まるだろう」

「止まる、か。それはいい知らせだな。だが結局水を抜かないと注水ポンプは直せないぞ。潜れる深さじゃない」

 潜る?

 わざわざ人間が潜らなくてもいいんじゃないのか?

「ねえ、基底部全体が停電してるからエレベーターの扉が開かなかったのよね」クローディアは訊いた。

「そういうことになるだろうな」

「でもケージは下りてきた。それって自分で電源ケーブルか何かを伸ばしてきたからよね」

「ああ」

「内壁の整備ロボも同じような仕組みじゃないのかな。潜らせて注水ポンプを直すか、少なくとも排水システムに電気を送るくらいは」クローディアはトランシーバーのボタンを押して吹き込んだ。

 でもボスもヴィカもなかなか何も言わないのでなんだか場違いな提案をしたような気持ちになってきた。 

「……それは悪くないかもしれない」とボス。「確かにロボットの電源は105階のサービスブロックから各機が個別に引っ張っている。漏電対策もしてあるからさほど水圧がかからなければ問題ないはずだ。ああ、サービスブロックなら予備発電機から電気を回せる」

 案外肯定的な反応だった。クローディアが半端なところで言葉を切ったので喋り出すタイミングがわからなかっただけかもしれない。

「いや、基底部に電源をバイパスするだけなら潜らせる必要もないな。とにかく最寄りのロボットを向かわせる。そっちの階層は?」

「B17」ヴィカが答えた。

「了解。水位が上がったら教えてくれ。」


 待っている間ヴィカは時々グラウンドスーツの首筋を手でこすっていた。スーツの襟とフルフェイスのヘルメットが気密ファスナーで結着してあるので蒸れるのだろう。ヘルメットのバイザーは開けてあった。

 分厚い服がなければフラムスフィアに潜れない。自力で上昇することも下降することも難しい。やっぱりこの環境は人間にとって過酷なものなんだろうな。いかにもタフなヴィカでもこの様なのだ。改めてそう思わずにはいられなかった。


 5分くらい経って向かい側の内壁に走るレールが軋み始めた。「チシッ、チシッ」と時折車輪の鳴く音が上から近づいてくる。スピードはせいぜい時速10kmくらいだ。所要時間と高度から考えるともともと最下層甲板の辺りにいたのだろう。

 細長いバレッタのような形の内壁ロボは「キィィッ」とブレーキをかけてゆっくり停止した。

「中佐、ロボットの高度は問題ないか」とボス。ジャリジャリしたノイズが背景に混じっていた。

「問題ない」とヴィカ。

 待っている間に水位増加は1階層の半分くらいだった。

 内壁ロボは作業用のライトで青白く煌々と内壁を照らし出しながらゆっくりと動いて高度を調整した。左右の台車部分をつなぐアーチの真ん中のあたりからアームを伸ばし、内壁を這う電線のカバーを外しにかかる。

 長いアームとゆったりしたメリハリのない動きは深海に住む巨大なカニを思わせた。タカアシガニというやつだ。

 内壁ロボは内壁から切り出した電線にコネクタを取り付けて自分の動力回路に接続した。動きが止まって間もなく目に見えて水位が下がり始めた。

「ポンプを動かしてるの?」

「いや、外壁の排水弁を開けているだけだ。パワーが来ない限り完全閉鎖状態になる構造なんだよ。フラムが流れ込むとまずいからな」ボスが答えた。


 20分ほどかけて基底層近くまで水が抜けていった。水位が下がるにつれて搭内部の地面に建てられた発電機やタンクといったの構造物が姿を表した。直径100mの円形の土地があるのだからそれなりの規模のものが建てられるわけだ。

 ただ水は完全には抜けなかった。平屋部分の屋根ぎりぎり、一番底から2mくらいは浸かったままのようだ。

「ボス、底に水が残ってる。2mくらいかな」クローディアは言った。

「外壁の外も同じだけ浸水しているんだろう。さっきも言った通り排水システムにはポンプ機能はない。外の方が低くないと抜けないんだ」

「排水ポンプは復活してないの?」

「電気は通ったんだが、物理的にやられてるみたいだ。注水ポンプと同じ状態だよ。やはりロボットを潜らせてみるか」

「ボス、先に試したいことがある。ホースを落としてくれないか。ただの水用ホース、10メートルくらいでいい」とヴィカ。

「構わないが……?」

「魔術が使えるかもしれない。さっき見てたんだが、水位が擁壁の高さを越えるまでは各階層浸水していなかった。下の階に水を落とす樋がないからだ」

「つまり、抜いた水を上の階に移して溜めておくのか」

「そのつもり」

「悪くない」

「どうも」


 10分ほど経って今度は右手の内壁のレールを伝って内壁ロボが下ってきた。そのアームの1本にまるでおつかい・・・・みたいにオレンジ色のホースの束が引っ掛けてあった。

 ヴィカはそれを受け取って階段を下り、基底層の1つ上の階から水面に向かって一端を投げ下ろした。

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