アース・クエイク

 常に話題を求めてあちこち歩き回っている記者が放送局への電話で捕まるとも思えなかったのでサフォンとトルキスの親子に直接局まで出向いてもらって連絡を取ることにした。

 上手く話をつけてくれたようで、9時を回るとすぐにシャウナの方から電話がかかってきた。

 経営レベルのポストまで話を通してもらおうと思っていたが、待つ必要はなかった。シャウナの方も先を読んで隣に報道部長を待たせていた。

「こういうことを直接訊くのもいささか無作法かもしれないが、LBCはゼーバッハを敵に回せますか」

「ええ、まあ。経営に絡んでいるなんてことはありませんね。この状況ならむしろ非難に回るのが得策でしょう。あのような一方的な暴力はとてもスポーツとは言えない」

 観客の誰かが撮った動画でも出回っているのだろう。ファイトの内容を知っているような言い方だった。

「LBCの取材を単独で受けてもいい、と思っています。シャウナの伝手ですから、聞き手は彼女が。できるだけ少人数で、目立たないように来ていただきたい」

「スタジオではなく?」

「相手の襲撃を受ける恐れがある。わかりやすい場所ではやりたくない。条件を飲んでいただけたら教えますよ」

「条件、というのは」

「我々の大会に対する出資です」

「額は」

「100万」

 それを聞いて相手は少し笑った。

「それはきっとこの取材で得られる効果を超えますね」

「出資に対する見返りは別個に用意します。あくまで大会に対する出資で、出演料ではない」エヴァレットは冷静に続けた。

「放映の独占権もつけられますか。上への説明にはそれくらい明確なメリットが必要なんですよね」

「いいでしょう」

「わかりました。経営陣を集めて揉んでみます」

「取材はその後でも構わないですか?」

「CEOを入れて話ができるのは最短でも明日なんですが、先に取材というのは……」

「一部でも今確約してもらえるなら」

「10万。私に決裁権があるのはそこまでです」

 トップとのコネクションなしに話を始めればいくら材料を持っていてもそんなものだろう。10万リブラだって十分な大金だ。

「わかりました。ただし独占放映は100万からです。頼みますよ」エヴァレットは答えた。

「ええ」

「第13通りの外縁にプライムホールという建設の止まったマンションがあるでしょう。今はそこに隠れています」

 今はそこに隠れている、というのはもちろん嘘だ。ブンドの集会場はそんな場所にはない。


 人工地殻の周縁部では甲板の拡大に合わせて常に都市開発が進み、無数の不動産企業が住宅や商業施設を競うかのように建設していた。時には無理な資金繰りによってその競争から脱落していく企業もある。ほとんどの場合はすぐに買い手がついて他の会社が建設を引き継ぐのだが、前の会社の撤退に少しでも欠陥工事が絡んでいると途端にたらい回しが始まる。

 エヴァレットが指定したプライムホールというマンションもそうした不良物件の1つだった。何でも基礎と甲板の接続が悪いせいで傾きが出ているというのだが、中に入ってみただけではその傾きとやらはまるで感じられなかった。一見してきちんとした建物だった。躯体は軽量鉄骨、壁はハニカムに防音・断熱フォームを嵌め込んだ一般的な塔上建築様式で、一部はあとフローリングや壁紙を貼れば完成というところまで工事が進んでいた。

 建物は工事用の防音シートが取り囲んでいたが、一部は風で飛ばされて足場が剥き出しになり、そこにカラスが集まってカアカア鳴いていた。

 度重なる所有権の移動で誰が管理していいのかさえわからなくなっている建物だ。忍び込むのは簡単だった。浮浪者が寄り付きそうなものだが、数ヶ月もすると甲板局が取り壊しにかかるし、不動産業者の見回りも頻繁なのであまり人気がないらしい。こっそりと取材を受けるにはもってこいの物件だった。


 シャウナは何の変哲もない白いワゴン車でやってきた。工事現場に馴染む車だ。一行が建物に入ってきたところで迎えに行って、できるだけ見かけのいい2階の部屋に通した。

 取材班はシャウナの他に3人。カメラと音声とディレクターだった。シャウナは椅子と机を配置してをつくり、机にPCを開いてカメラを回す前に例の動画を見せた。写っているのは本人なのか、昨日撮られた動画に間違いないのか、そういった確認だ。

 それが済むとディレクターが「じゃあ、カメラ回します」と言って、特に雰囲気の変化もなく撮影が始まった。エヴァレットはスーツの襟を直したが、ギグリは脚を組んだままだった。いい加減エアレースでカメラにも慣れて――というよりもはや飽きているのだろう。考えてみれば当然だった。

「観客の1人が撮ったファイトの様子です。動画投稿サイトにアップロードされている、とニュースで話題になっているのがこの動画ですね。見たことは?」

「いいえ、初めてです」

 フェンスや前の観客の頭が邪魔だが、ファイトの様子はきちんと映っていた。自分がどれだけ無様にやられたかを知るにはまたとない素材だった。見かねたギグリが周りの観客やフェンスごと巻き込みながらスーツの一団を翼で薙ぎ倒してエヴァレットを抱え上げ、天窓を突き破って逃げていくところまできちんと映っていた。

「これは強制的にリングに上げられたんですか」シャウナがエヴァレットに訊いた。

「ええ、ホテルで食事をしている時に個室に入ってきて連れて行かれました。そのあと他の人との約束もあったのにすっぽかさなければならなかった」

「その傷、ひどいですね。メイクではないですよね?」

「まさか」

「ちょっと失礼しても?」

 シャウナは腰を上げてエヴァレットの顔に手を伸ばし、瞼に指を当ててぐりぐりと擦った。

「いーたたたた……」

 目潰しなのか? と思うくらいの力加減だった。

「あ、ごめんなさい」

 それからシャウナは「なぜゼーバッハ氏はあなたに危害を加えようとしたのでしょうか」と訊いた。

 エヴァレットは8年前の事件から順を追ってゼーバッハとの因縁を語った。カメラは特に動かず、音声もマイクの拾う音に集中していた。ディレクターは外で工事の大きな音がしたり虫が入ってきたりすると声をかけて「そこの話はもう一度」などと言ったりした。わりと神経質なタイプらしい。それともテレビとはそういうものなのだろうか。


 よく晴れた午後だった。電気毛布のような生暖かい大気が空を覆い、甲板の上の景色は砂漠のように煙っていた。

 インタビューのVTRが放送されれば警察がゼーバッハの逮捕に動くだろう。なぜテレビ局の前に警察を頼らなかったのか、という問いに対しては、警察署の前にはゼーバッハの手下が張っているだろうし、電話ではイタズラと思われて取り合ってもらえないと考えたから、という答えを用意していた。インタビューの中でも言及済みだ。

 ゼーバッハが逮捕されれば検察が暴行教唆で起訴、余罪を追及するだろう。法的にグレーな悪事もメディアが断罪するに違いない。むろんゼーバッハだって大人しく刑を受けるつもりはないはずだ。あの執念深さだ。逮捕前、あるいは留置段階で保釈金を出すか部下を使ってこちらの始末に動くだろう。


 そして思った通りゼーバッハはやってきた。ただ予想と違っていたのは到着が早すぎたことだ。

 取材が終わって、VTRが放送されて、それから探し始めるというケースが最速だろう。戦力になるエヴァレットとギグリの2人でマンションに残って待ち受けようという算段だったのだが、実際にゼーバッハの車がもうもうと土煙を上げながら工事現場に入ってきたのはまだカメラを回している間だった。

「なんだうるさいな」とディレクターがカットをかけたあと、その場にいた全員が窓の外を覗き込み、そして全員が唖然とした。

 間違いない。ファイトクラブに連れて行かれる時に乗った黒いセダンだ。他に同じタイプが2台。まるで取材班をつけていたようなタイミングだった。

 取材班を巻き込むのはまずい。しかも準備のために連れてきたサフォンとトルキスも撮影を見学していた。


 エヴァレットはすぐにインタビューをやめさせた。とにかく裏口へ、と思ったが、相手は3台、車で回り込む方が屋内を人間の足で走るより速い。ここは2階だ。下階は全体が共用部分で風通しが良すぎて撮影には向かなかった。

 だめだ。上階に逃げるしかない。

「サフォン、剣を」エヴァレットは廊下へ向かって走りながら言った。

 窓に飛びついて下を見ると、止まった車から黒ずくめの人影が4つ出てくるのが見えた。相手は4×3で12人か。しかもライフルやロケットランチャーを抱えていた。

 サフォンは隣の部屋に飛び込んで武器類の中から剣を掴み上げた。

 エヴァレットはそれを受け取って集団を先導した。雨樋か庇を伝って登ってきた例のスーツが窓枠を盾に拳銃を構えた。

「見境なしか」エヴァレットは鞘を構えた。「バウンス弾け!」

 鞘の先端から円錐形に空間が歪み、スーツの放った3発の銃弾の威力を減衰させつつ弾道を周囲に反らした。

 エヴァレットはそのまま剣を抜き、左に構えて壁ごと相手を切り裂いた。力任せに振り抜く。

 スーツ男は避けようがない。突如として壁を突き破ってきた切っ先が運悪く下顎に入った。

 壁の破片とともに男の生首が廊下に飛び込んできてゴトッと落ちる。後ろで何人か「ヒッ」と声を上げた。

「ギグリ、防御は頼む。みんなを守れ」

「やってる!」

 エヴァレットが振り返ると他の6人はすでに障壁オーべクスに囲われていた。まるで巨大な繭だ。

 階段を上り、周囲を確かめてからまだ壁のない階に出た。1フロアぶち抜きで鉄骨がいくらか突っ立っているだけだ。だが階段は3ヶ所あり、エヴァレットとギグリで1ヶ所ずつ押さえても残りの1ヶ所が無防備だった。素人には武器を持たせていないし、何より攻撃するにはオーベクスの守りの外側に出なければならない。そんな危険を冒すわけにはいかなかった。


 スーツの男が続々と階段の登り口に到達し、擁壁を盾に銃やロケットをぶちかましてきた。銃弾ならエヴァレットでも対処できるが、さすがにロケットの炸裂となるとオーベクスでなければ厳しい。

 白昼堂々のドンパチだが、周りで聞いている人々は解体工事が始まった程度にしか思わないかもしれない。それはこちらにとってもメリットだし、工事現場を選んだ理由の1つでもあった。だがその条件は相手にとっても同じわけだ。

「ギグリ、マレウス・ルクスを」エヴァレットはそう命じて前に出て階段1ヶ所からの射線を完全に塞ぐ位置でバウンスを唱えてオーベクスの負担を軽減した。

 ギグリはあくまで守りを固めながらも光の鎚マレウス・ルクスを呼び出してかなり大型に形成してから撃ち出した。

 全長2mほどもあるマレウス・ルクスは大気を割いて擁壁にぶち当たり、破片を撒き散らしながら階段の上り口を粉砕した。


 それで時間をかけてはいられないと悟ったのだろう、相手は呼吸を合わせて2方向から同時にロケットランチャーをぶっ放して一時的にこちらの視界を潰した。

 その間に1人が擁壁の陰から出て堂々と正面に立った。ゼーバッハ本人だ。

「よう、エヴァレット。ボコボコにされたにしちゃあずいぶん元気してるじゃないか」

 やはり自分の手で仕返ししたいという欲があったのだろう。だがそれは命取りだ。

 ゼーバッハはアサルトライフルとサブマシンガンと拳銃を2丁ずつ携えていた。重武装だ。まず両手にアサルトライフルを掴んで腰だめに構え、こちらに向かって乱射した。

 エヴァレットは鞘を前に構えた。だが詠唱より早くオーベクスが目の前に現れた。何重にも重なったオーベクスはライフル弾に砕かれるより速く生成され厚さを増していく。そのうち弾が切れて銃声が止み、オーベクスも消えた。

 ゼーバッハはマガジンを替えるのではなく銃を丸ごと足下に落として捨てた。

「金が手に入らなくて残念だったな」ゼーバッハは言った。50m以上離れている。声を張らなければ話はできない。

「もとより渡すつもりなどなかっただろうが」エヴァレットは言い返した。

「途中で逃げ出しておいて何を言う」

「続きをやりにきたにしては物騒な荷物ではないか」

「動画を流したな?」

 そうか、ゼーバッハはファイトの動画流出をこちらの策略だと受け取ったのだ。本当にそう思っているのかどうかは別として、そういうことにしておけばこちらを責める材料になるからだ。

「実力行使に出たところで貴様の不利にしかならんぞ」エヴァレットは言った。

「ナメるなよ。この程度、いくらでも隠せるさ」

 ゼーバッハはサブマシンガンを構えた。それに合わせてギグリが後ろからオーベクスを張った。

 エヴァレットは鞘を構え、「レス・ヘフィネス浮かべ」と唱えた。鞘の先端に重力を向ける魔術だ。

「ギグリ」と合図、オーベクスが消えてゼーバッハの射線が通る、と同時に「ファル・ルリック速く」と加速をかけた。

 まるで高所から飛び降りたような浮遊感と圧倒的な加速。

 銃口に剣先を向けて危ない弾を弾きながら狙いを定め、鞘でゼーバッハの顔面を殴りつけた。ゼーバッハは拳銃に持ち替えつつ躱そうとはしていた。だがエヴァレットの不利の方が断然速かった。

 結果ゼーバッハはほぼ頭から床に叩きつけられた。

 エヴァレットは一度鞘を離して詠唱を解除してから剣を収め、右手でゼーバッハの頭を掴んで床に押しつけた。そしてスーツの襟を引き裂いた。魔素結晶でできたプレートがバンドで胸に留められていた。やはり装身触媒だ。

 ゼーバッハはかなりの力で起き上がろうとしていた。しかし足で踏んで押さえられないほどではなかった。素の腕力が弱いのか、魔術適性が低いのか、あるいはその両方だろう。

「どうした、私のことを殴りたくて自ら出向いてきたのではないのか。その程度か?」エヴァレットはゼーバッハの顔を床に擦り付けながら言った。

 ゼーバッハは呻くばかりで何も言葉を発さなかった。

 いつの間にか他2ヶ所からの銃撃も止んでいた。ギグリが制圧しておいてくれたようだ。

 

 さて、これからどう料理してやろうか、と思っていた矢先だ。

「エヴァレット」ギグリが呼んだ。

 振り返るとオーベクスの繭の中でサフォンがしきりに空を指していた。確かに空に黒い点が見えた。テレビ局のヘリコプターか。LBCではないだろう。他の局だ。騒ぎを聞きつけてきたらしい。筋書き上こちらはあくまで襲撃される側。勝っている様子を映されるのはまずい。

「まだ爆薬の設置が終わっていないわ」とギグリ。

 エヴァレットはゼーバッハの首を鞘で殴りつけて気絶させてから数秒だけ考えた。首筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

「……ギグリ、なんとか奇跡でやれないか」

「奇跡で?」

「オーベクス、いや、ラミナなら甲板と杭の構造体を断ち切れるかもしれない」

 ギグリはエヴァレットを見返した。

「いいわ、やってみる」

 エヴァレットは建物の縁に立って事前に把握しておいた杭の位置をフロード・フラン奔流の矢を撃って指示した。

 ギグリはオーベクスを解除、神経を集中するように右手を前に出して念じた。甲板の下に巨大な板剣ラミナが出現しているはずだ。ギグリの手の甲に筋が走り、眉間に皺が寄る。彼女がこれほど真剣に奇跡を扱っているのを見たのは初めてだった。

 そして突き出していた右手を横に払った。

 ラミナが上手く杭を傷つけたのだろう、眼下の更地に土煙が上がり、建物がぐっと沈み込んだ。一帯の甲板が杭の支えを失って周りの甲板との接続だけで持ち堪えている状態だ。

 さらにギグリは無数のオーベクスを建物の周りに環状に出現させ、「ふっ」と息を吐いて水平に差し出した両腕を振り下ろした。

 沈み込みが大きくなり、周囲の甲板が割れ、轟音、地響きとともに崩落し始めた。

 ゼーバッハの襲撃に合わせて建物ごと崩落させる。それがエヴァレットの計画だった。だがギグリの奇跡に頼ろうと思っていたわけではない。そのためにブンドで用意できる材料を使ってトルキスに爆薬を作ってもらっていたのだ。サンバレノ軍時代の知識で何とかなる、と請け負ってもらった。しかし設置は取材が終わった後のつもりだった。ゼーバッハが早すぎたのだ。エヴァレットとギグリだけなら建物に残っていても十分自力で逃げられるという判断であって、取材班や親子を戦闘に巻き込みたくはなかった。


「崩れる。飛べっ!」エヴァレットは叫んだ。

 ギグリがシャウナを、トルキスがカメラマンを抱えて飛び立った。サフォンも音声マンを掴んで引っ張り上げようとしていたが、引っ張り上げているよいうより肩に乗っているだけのような具合だった。

 仕方ない。エヴァレットは音声とディレクターをまとめて抱えた。

「しっかり掴まっていろ」

 魔術を使うので手で支えてやることはできない。2人の自力にかかっている。再びレス・ヘフィネスを唱え、力場の中に2人を包み込んだ。自分の他に男2人だ。かなりバランスが悪かった。身軽になったサフォンが羽ばたきながら鞘の先端を掴んで支えてくれていたが、それがなかったらうまく浮かべていないだろう。

 やがて轟音と土煙を立てながら建物の床が足元を離れて崩れ落ちていくと、音声とディレクターは「ああっ」とか「ひえっ」と悲鳴を上げた。重力魔術の力場に包まれると何の支えもなく宙に浮かんでいるような感覚に見舞われる。慣れなければ恐いのは当然だ。

 エヴァレットは鞘に全神経を集中しながらも目を下に向けた。バラバラになりながら落ちていく瓦礫の中に揉みくちゃになるゼーバッハの姿が見えた。

 まず瓦礫の下敷きになって助からないだろう。もし落ちるまで生きていたとしてもフラムを吸えば数分で窒息死する。

 これで決着。あとは後始末を残すのみだ。

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