アーティフィシャル・グラウンド

 ノイエ・ソレスは塔ではない。ルフト連邦北西部に位置する首都ソレスブリュックとその西方に位置するカールスホルスト及びアドラースホーフの塔3基のちょうど中間地点に広がる人工地殻の名だ。

 ノイエ・ソレスの建設はルフトの建国とともに始まった。最初それは1本の杭に過ぎなかった。輸送ヘリコプターがえっちらおっちら運んでくる潜函のようなモジュールを耐フラム防護服に身を包んだ作業員たちが地上で受け止め、積み重ね、やがて高さ2㎞に及ぶ巨大な杭を打ち立てたのだ。

 彼らはまずその上に小さな建設基地を築き、100m間隔にもう2本杭を建設したところで間に甲板を渡して自動杭打機を導入した。フラムスフィアに潜ることなく、甲板の上に立ち上げた杭を地上に向かって打ち下ろす機械だった。

 以後の建設作業で人間が地上に降りることはほとんどなく、今日まで20年に渡って甲板の拡大は進んできた。末端部ではなおも拡大工事が続いているものの、甲板の直径は最も長いところでおよそ20㎞、短いところでも15㎞に及び、人口もエトルキアの首都も凌ぐ15万人に達していた。

 塔と人工地殻の違いは主に甲板を支える構造だ。塔の場合は1本の塔が甲板全体を受け持っているが、人工地殻は複数の杭でまんべんなく下支えしている。杭1本は塔ほどの強度は持たず、1本の杭が支える面積は住居島の中層甲板よりも狭い。杭の間隔は約200mだ。各杭が支える甲板モジュール同士の継ぎ目には衝撃や揺れの伝播を防ぐために硬質ゴム製の制振装置が組み込まれていた。

 人工地殻の高度は海抜2000mと標準的な住宅島の最下層甲板とほぼ同じだが、面積が確保できるのだから日照の妨げとなる上層に甲板を広げる必要もない。ごく一部を除いて人工地殻は1層構造だった。


 あと100㎞余りというところまで来ると雲の切れ間に人工地殻ののっぺりとした灰色の特徴的な姿が見えてきた。最初は湖のように見えるのだが、甲板の下にくっきりと落ちる黒い影のせいで宙に浮いたものだということがわかってくる。不思議な景色だった。

 それに見惚れていたせいか、別の飛行機が接近してきたことに気づかなかった。いつの間にか右隣約30mほどのところを小型のジェット機が飛んでいた。こちらと並航している。ギグリがキャビンの戸口に立って呼んだので気づいた。

 一見戦闘機だが、レーダー警報は鳴らなかった。軍用機ではないはずだ。鈍い銀色の地肌に派手な青色のラインもそれらしくない。

 まるでこちらが気づいたことを察したかのようにさらに10mほどのところまで寄せてきた。

 不意にこれだけ近づけばニアミスの警告を受けるはずだ。なぜ管制は何も言わない?

 ……と思ったが、相手の機体をよく見て気づいた。見覚えのない機種だが、のっぺりと平たい胴体、菱形断面の機首や空気取入れ口はステルス機の特徴だ。管制所のレーダーからはこの飛行機が捉えられないのだろう。

 そして胴体側面に書かれた"LBC"の文字でやっと理解した。テレビ局だ。取材用の飛行機なのだ。機体も維持費も半端な値段ではないはずだ。さすが全国局は財力が違う。

 あまり寄ってこられるのも気分が悪いので振り払いたい気分だったが、ここで下手に進路を変えれば管制から警告を受けるのはこちらだ。エヴァレットはまっすぐ飛び続けることにした。


 そのステルス機は座席が前後に並んだ2人乗りで、大きなキャノピーの中で後席の乗員がホワイトボードを掲げた。そこには『ギグリ様は乗っていますか?』と殴り書きしてあった。反射で見づらくないようにゆっくり角度を変えている。慣れたものだ。

 無線を使うと管制に傍受されて怪しまれるから筆談しようということらしい。

 ギグリが溜息をついた。

「管制に伝えれば追っ払えるでしょうが、それはちょっともったいないかもしれない」エヴァレットは言った。

「私もそう思うわ」

「席の後ろのラックにホワイトボードがあったはずだ。点検用の」

 ギグリはささっとホワイトボードを見つけてマーカーで『私よ』と書きつけ、右手の窓に押し当てた。

 相手の次の質問は『なぜNS(ノイエ・ソレス)に?』だった。

『エアレースに関してパトロンたちと話をしに』とギグリが答える。

『話とは?(具体的に)』

『新大会の設立』

 それがわかって満足だったのか、相手は『空港でお待ちしてます』と書いて見せるなり真っ逆さまになって降下していった。

 大丈夫か? と思ったが下を見るために機体を傾けるわけにもいかない。おそらく大丈夫だろう。

 ステルス機が消えて間もなく、航空路管制から入域管制への引き継ぎ連絡が入った。いくらステルス機でも数十キロまで近づけば空港のレーダーに映る。彼らも時間がなかったのだろう。


 ノイエ・ソレスには大型旅客機用の国際港と自家用機用の飛行場の2つの空港が開かれていた。離発着はそれぞれの空港で管制しているが、出域と入域は国際港の管制室が一括して行っているらしい。

 入域管制の周波数に切り替えるなり、ほとんど休みなく交信の声が聞こえてきた。発音はいいが早口だ。しかも管制官1人1人受け持ちの周波数が違うはずで、さすが首都の交通量だった。無数の飛行機が着陸のための順番待ちをしているのだろう。自分の番号を聞き逃さないようにしなければ。

 交信の合間に自機の登録番号を告げると、フライトプランを探して機種を確かめたのだろう、小型機用の飛行場に誘導すると返事があった。

 滑走路はいずれも東西向きで、国際港が南側、自家用が北側と人工地殻を挟み込む形だった。

 自家用といっても長さは2kmと十分。難なく着陸できた。途中で折り返して誘導路を走っていると駐機場にさっきのステルス機が見えてきた。先に降りていたようだ。

 まさか管制官もグルなのか、と思ったが、駐機場に軍の連絡機もいるところを見ると軍用機は全部こっちに降ろされるらしい。首都の軍事機能は旧ソレスブリュック――ノイエ・ソレスに対していわゆるアルト・ソレス――に集中しているのでノイエ・ソレスには軍用飛行場はない。


 ステルス機に乗っていたLBCの記者は駐機場で待ち構えていて、こちらが入管に入る前に近寄ってきた。後席がキャスター、パイロットがカメラマンだったらしい。

 マグダが2人の前に出たが、ギグリは「いいわ」と言って下がらせた。エヴァレットは3人分の荷物を抱えていてとてもじゃないが対応できなかった。

「ギグリ様、お久しぶりです、シャウナです」キャスターが言った。どう見てもフライトスーツを脱いだ直後だが、膝丈のスカートを穿いていた。一体どうやって上からズボンを穿いていたのだろう。

「言われなくてもわかるわ。すっかりマスコミ根性に染まっているようね。安心したわ」ギグリは褒めているのか貶しているのかわからない返事をした。

 ともかくギグリが知っているということは元クイーンなのだろう。いわゆる「卒業」で他の仕事に移るクイーンも多い。

 カメラマンはフライトスーツのままガンマイク付きのハンディカムを構えてギグリを撮っていた。

「新大会というのは、また新しい趣向のレースを考えているのですか」

「いいえ。グランプリツアーと同じようなキャッチーなものを考えているわ」ギグリは空港の建屋に向かって歩きながら答えた。

 記者は人懐こい犬のようにまとわりついて質問を続けた。

「もしかしてベイロンとは別の場所で――」

「そうよ」

「どこなのか教えてください」

「まだ決まっていない。言えないんじゃなくて、本当に決まっていないの」

「開催時期は」

「それも未定。出場選手も、コースのデザインも。でも開催だけは決まっているの。必ず開催する。それは譲らない。そしてできるだけ早く、できるだけ多く、できるだけエキサイトに、よ」

 建屋に入ると入管はすぐだった。彼らは島内で遊覧飛行しただけという扱いなのだろう、入管まではついてこなかった。「ありがとうございました!」と手を振っていただけだ。


 手続きを終えて空港の表に出ると報道陣が待っていた。アルピナから戻った時のベイロン港ほどではないが、それなりの人だかりだ。ほとんどはベイロンにも支局を置く全国局・全国紙で、どこからかスクープの匂いを嗅ぎつけたらしい。

 ギグリも今度は彼らを邪険にしなかった。一団の真ん中を掻き分けながら先ほどのLBCと同じような受け答えをしてロータリーに入り、タクシーに合図して後部座席に潜り込んだ。エヴァレットとマグダもトランクに荷物を詰め込んでから乗り込んだ。

 ギグリを知っているのか、物静かな運転手はちょっと目をぐるぐるさせてからとにかく車を出した。記者たちはあとに残された。車で追ってくる気配はない。ひと通りの分別は持った人間たちのようだ。


 最初に向かうのは文科省、ノヴァクのところだ。タクシーはまっすぐ島の中心部に向かった。空港周辺は低い建物が多くてあまり感じられなかったが、次第に車道の広さが際立ってきた。片側4車線だ。両岸の建物も普通の住宅島と比べて遥かに高層だった。おそらく塔1本で支えている普通の島の甲板より耐荷重が大きいのだろう。間隔と樹形の揃った街路樹も含めて無機質な景色だが、これもまたかつての地上にあった景色に近いものなのかもしれない。

 オフィス街を抜けて官庁街に入った。建築様式がモダニスムから新古典主義に一転したので容易に判別できた。コリント式の柱が並んだファサードを持つ重厚な建物が文科省だった。


 目の前の路肩につけてもらったところでエヴァレットとギグリは降り、マグダは車内に残って運転手にホテルの名前を告げた。先に荷物を届けるためだ。さすがに大荷物を抱えたまま方々を回るわけにはいかない。

 ギグリは飛行中に着替えを済ませてすでにクリーム色のスーツを着ていた。ジャケットの背中にはやはり翼を抜くための深いスリットが入り、前ボタンは彼女の胸に合わせてかなり低めにつけられていた。下は脛丈のつぼ型のタイトスカート、パンプスはベージュのエナメルだった。ちょっとでもスタイルが悪いと下半身が野暮ったく見えるだろうけど、彼女はよく着こなしていた。いや、マグダの腕がいいのか。とにかくギグリのスーツ姿が珍しかった。

 飛んでいる間エヴァレットは操縦席から離れるわけにもいかなかったし、かといってスーツで操縦をやる気にもなれなかったのでノヴァクに会う前にトイレかどこかで着替えようと思っていた。ラフなジャンパーを着たままカバーに包んだスーツだけトランクから出しておいたのだ。

 だが、こちらが入っていくより先にノヴァクの方が迎えに出てきたしまった。

 エントランスの日陰を抜けて大階段を降りてくるほっそりした老人。ノヴァクに間違いない。

 今さら「着替えさせてくれ」と言い出すのもあまりに間抜けだな、と思いながらエヴァレットは手に持ったスーツカバーを見下ろした。

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