4枚羽の天使

 レールガンの弾頭は2発連続で弾かれた。だが弾き方がまるで違った。1発目は目の前で砕け散ったが、2発目は弾道が逸らされたようだった。

 キアラは辺りを見回し、塔の先端に目をとめた。

 レーダーアンテナの近くに透明な球体が現れ、まるで水槽のように背景の青空を歪ませていた。次第にその内側が黒い煙に満たされ、煙が凝集して人型に変わっていった。

 球体が消滅して中から現れたのは天使だった。爪先より下に伸びた裾の長い黒いローブに金色の縁取り、淡い紅色の長い髪。ペトラルカだ。

 キアラは安堵すると同時に酷く惨めな気分になった。

 彼女はレールガンの撃ち出された方角を見据え、少し顎を引いた。

 つむじ風が吹いた。キアラは髪を押さえた。再びスフェンダムの編隊に目を向けた時、1機が爆発の火球に包まれていた。

 ペトラルカの放った不可視の術式はレールガンと同等の速度で空を渡り、レールガン装備のスフェンダムの翼端に当たった。

 スフェンダムは胴体の下面に取り付けたレールガンの長大な砲身を真横に向けてアイゼンの上層に狙いをつけ、アイゼンに対して完全に左側面を晒していたのだ。

 翼端に入った攻撃はそのまま左右の主翼を串刺しにして右舷へ抜けた。

 スフェンダムの主翼はまるで内部から弾かれるように周りに外板を飛び散らせ、そのまま粉砕した。主翼の大部分は燃料タンクを兼ねている。爆発はエンジンの熱に直接晒された気化燃料が引火したせいだった。

 その衝撃で胴体は真っ二つに割れ、中に詰め込まれていたコンデンサやレールガンの砲身は重量に任せて落下していった。


 ペトラルカは2対の白い翼をゆったりと交互に動かして降下してきた。

「間に合ったようね」

 キアラは何も言えずにその様を見上げていた。

 ペトラルカが5mほどまで降りてくるとその頭上から真っ白なドームが広がり、まるで絵筆で塗り込めるように空を覆い隠した。ドームの縁が甲板に接すると甲板までもが真っ白に染め上げられた。一瞬の出来事だった。

 ペトラルカはふわりと着地して翼を畳んだ。

「ああ、やっぱり邪魔ね、これ。きちんと直しておくんだった」と折り上げた裾を後ろ手に掴み、おっかなびっくりネロの正面に回って様子を確かめた。

 ケガの酷さを見て顔をしかめる。その仕草はまるで無邪気でいたいけな少女だった。

「残念だけどここで私があまり手出しするわけにはいかないの。それに、私が手出ししたらあなただって面白くないでしょ?」

 ペトラルカはそう言いながらキアラを抱き上げ、ネロの方を見てその体を透明な膜で包み込んだ。泡のような膜に包まれたネロは空中に浮き上がり、吐いた血が泡の底に溜まっていった。

「さて、帰りましょうか」

 キアラは首を振った。それから唾を飲んで声を絞り出した。

「ネロは助かりますか?」

「ええ。問題ないでしょう」

「世話を頼んでも?」

「1人で残るつもり?」

「私が国に戻ったところで何の名誉もない」

「この子には関係のない話じゃない?」

「その名誉のためにネロは傷つかなければならなかった。それを強いたのは私です。たとえ隠れながらでも、あの部屋の隅で平和に生きている方がネロにとっては幸福だったのかもしれない。こんな目に遭わずに済んだのかもしれない。だから私はきっと罰せられなければならない」

 ペトラルカは微笑した。

「いかにも聖職者らしいストイックな態度。いいわ。あなたは続けて潜入任務についたんだってこの子には説明しておく。だから必ず生きて帰りなさい。エトルキアの人間たちはあなたを質問攻めにするだろうけど、決して天使・・教会の名を騙ったりしてはいけないわ。正直に話すか、でなければ耐えて黙っていなさい」

 キアラが頷くとペトラルカはキアラの額に指を当てた。傷を癒やそうと思ったみたいだ。でも術式をかける前に思い直して指を離した。ズタボロの方がエトルキアも少しは丁寧に扱うのではないか、という配慮だろう。

 ペトラルカはネロの入った泡の横に立ってぴんと翼を広げた。白いドームが下から消えていき、ペトラルカとネロの姿もそれに従って消えていった。

 紺色の天頂が見える頃にはキアラは1人になっていた。


 キアラは目を細めた。上空、太陽の中に人影が見えた。それはあっという間に大きくなり、目の前に覆い被さってきた。

 ジェットテールのエンジンを一瞬だけ吹かせて減速、キアラの額に向かって剣を突き立てた。

 キアラは首を振って切っ先を避けるのが精一杯だった。剣は甲板に突き刺さり、その上に広がっていたキアラの髪も一緒に切っていた。

 キアラは2本指のカルテルスの形を作った。でもそれ以上は動けなかった。両腕がジェットテールの排気口の真下にあったからだ。それぞれ3本の細い脚で挟み込んでいた。今はアイリスが開いて真下にはほとんどブラストが来ていないが、アイリスはまるで脅すようにピクピクと動いていた。すでにかなりの熱を感じた。ブラストが収束すれば火傷では済まない。


 キアラは力を抜いた。

「縛れ《バインド》」と相手は唱えた。剣はいつの間にか杖に姿を変えていた。そうか、魔術師だ。

 キアラは肘のあたりに痺れを感じた。そのまま頭の方へ引きずられ、ブラストの圏外に出た。身動きが取れなくなっていた。

「グリフォンは?」魔術師は左手でヘルメットのバイザーを上げながら訊いた。女だった。

「ここにはいない」キアラは答えた。口は動いた。

「さっきの天使か」

「そう」

「なぜおまえは残った?」

「彼女も甘ちゃんじゃない。自分か、ネロか、どちらかを選べと言った」

「つまり、あれが首謀者か」

「そうね」

 魔術師は少しだけ眉を動かした。なぜそんな簡単に認めてしまうのか、と思ったのかもしれない。

 魔術師は杖を掲げてキアラの体を吊り上げた。さらに手首を前で縛り、きつく締め上げた。青白い縄のようなものが巻きついているのが見えた。カルテルスを警戒しているのだ。

「さすがに軽いな。悪いが魔術というのは奇跡と違って杖を放すと効力を失ってしまうんでね」

 魔術師はそう言ってキアラを後ろに向けた。ネロにじゃれつかれるのと同じくらい強い力だった。キアラは歯を食いしばり全身に力を入れた。

 杖の柄の部分だろう、硬いものが首筋に打ちつけられた。殴打というほどではなかったが、もともと憔悴していたキアラの意識が飛ぶにはそれでも十分すぎるほどの衝撃だった。

「クローディアはおまえを殺したいようだったが、残念だったな。私はそう簡単に楽にしてやるつもりはないよ。せいぜい夢の中で楽しみにしておけ」

 その声は沈みゆくキアラの意識の中で鐘の音のように何度も何度も反響していた。

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