グリフォン・キャヴァリエ

 クローディアがジェットテールを装備しているのは予想外だったが、今はむしろ好都合かもしれなかった。彼女はサブマシンガンを構えて格納庫の奥の闇の中に目を凝らしていたが、キアラが隠れている梁の上には気を配らなかった。

「クローディア、上だ!」噛ませた縄をなんとか避けてカイが叫んだ。

 クローディアは顔を上げたが、その時にはもうキアラは飛び込んでいた。

 2本指の剃刀カルテルス

 クローディアは身体を反らせて切っ先を避け、手でキアラの肘を押さえて振り抜きを防いだ。

 切っ先が床に刺さる。

 と、ジェットテールの花びらのように開いた排気口から吹き出す排気が強まった。

 キアラは術式を解き、排気に吹き飛ばされるように格納庫の開口部へダッシュした。

 そして息吹アドフレクト(エネルギー供給)の術式を天井のシャッターに送り込んで起動、非常閉鎖で鎧戸を落下させた。耐爆構造の重いシャッターはものすごい勢いで床にぶつかり、周囲には床材の破片が飛び散った。

 クローディアが撃った弾が後ろから追ってきたが、それもほんの一瞬。避けるのは造作もなかった。


 キアラは虚空に飛び出してネロを探した。いや、アネモスの群れを探す方が早かった。中層に曳光弾の火線が見え、続いて「ブワワ……」という射撃の唸りが聞こえてきた。塔の周りをぐるぐると飛びながら順番にネロに向かって機関砲を撃っているのだ。ネロは外壁や砲塔を盾にしながら撃ち返していたが、尽くエネルギーシールドに弾かれていた。

 キアラは翼を畳んで垂直降下、ネロの背中に飛び乗った。スピードを出しすぎてネロがびっくりするくらいだった。相当気を張っていたのだろう。

「ネロ、一度奥に入ろう」キアラは言った。

 ネロは排水用の太いダクトのルーバーを突き破って中に飛び込み、肩を低くして一気に奥まで駆け抜けた。

 銃撃が飛び込んできたが、ダクトが折れ曲がっているので当たることはない。ジェット機では飛び込んでくるのも無理だろう。


「少し休みな」キアラはネロの汗ばんだ首筋を撫でてから床に降りた。

 環形断面のダクトの底にはうっすらと水が流れていて、ブーツの下でぴしゃんと水滴が跳ねた。ネロはそこに嘴をつけた。上層から流れてきた雨水だ。

「主よ、この汚れた水を清水に変えてください。アーメン」

 キアラはそう祈ってから、少し虚しい気持ちになって目を閉じた。祈りは奇跡ではない。本当に水の成分を変えてくれるわけじゃない。そんなことはわかりきっていることだけど、なぜだか今は馬鹿馬鹿しかった。

 私は他の天使や聖獣の助けを欲しているのだろうか。そうかもしれない。弱気になるな。何のために戦っている? 自分とネロの栄誉のためじゃないのか? 他の誰かに手助けされて、それを誇れるのか? 

 キアラは自分の前髪を引っ張ってピンを留め直した。

「先にあの黒い戦闘機の群れを片づけよう。シールドは厄介だけど、物体を通さないようなものじゃないでしょ。肉薄できれば叩き落とせる。……肉薄ってわかる? 近づいて捕まえるって意味」

 ネロは頷いて、それから自分の翼を振り返った。「飛びたい」という意味だろう。

「仕方ないな」キアラはネロの翼の根本に手を当てて鎮痛アナージェス強化エヴァレスの術式をかけた。

「おまえは偉いね。私がだめだって言ったから、飛ばずに頑張ってたんだね」


 手当のあと、ネロはその場で何度か羽ばたいた。羽根の先がダクトの内壁に当たってかりかりと嫌な音を立てた。

「あの黒いアネモス、聞いたことがある。オルメトでたくさんのグリフォンを苦しめた奴らだ。ネロは知らないよね。でも、恐がることはないよ。私たちだって、そのために訓練してきたんだから」

 ダクトをもう少し進むと上に大きなマンホールが見えてきて、ネロがそれを頭で押し上げた隙間から覗くと、どうやら上の階は工場区画だった。弾薬などを製造する場所だ。が、もちろん完成品や原料はとうの昔にエトルキア軍が回収してしまっていて、使えそうなものは何も残っていない。ただ、プラント搬入のためのシャッター口から外に出られそうなのは幸いだった。

 ネロはぐりぐりと頭を通してマンホールの穴を抜けてくると、シャッターのバーを嘴で器用に掴んで力ずくで持ち上げ、頭で押して隙間を作った。

 アネモスたちはダクトの出口を見張っているらしく、外を見渡しても姿が見えなかった。

 ネロはキアラを乗せて黒い大きな翼をぴんと伸ばし、こっそりと進空した。


 アネモスの群れは真下に見えた。ネロは急降下しながら目眩まし代わりにビームを撃ち、シールドとの干渉光が消えたところにキアラが離脱して飛び込んだ。

 戦闘機は速い。が、前方から角度を合わせて飛び込めば捕まえるのは難しいことではない。キアラはアネモスの平たい翼のど真ん中を狙い、3本指のカルテルスを突き刺した。

 火花が散り、アネモスの胴体後部にすっと赤い線が走った。

 カルテルスの圧倒的な切れ味に手応えなど存在しない。アネモスは引火の炎に包まれて爆散、放り出されるように脱落した機首部分からキャノピーが飛び、2人の乗員が射出座席で飛び出した。


 キアラはアネモスのスピードに流されて垂直尾翼の間をすり抜けた。すかさずネロが体の下に滑り込み、しっかりと掴まるのを待って上昇を始めた。

 気づくとアネモスの群れは周りを取り囲んでいた。7機で半径1kmほどの円を描いて綺麗に並んでいるのだ。ネロは一方へ飛べばその陣形を崩せると思ったようだが、ネロがスピードを上げてもアネモスは各々旋回の角度を変えて器用についてきた。そして一斉に円の内側へ機首を向けると、翼の下からミサイルを撃ち出した。

 グリフォンの術式陣フォーミュラムには死角がある。包囲攻撃ならその死角を刺せるとわかっているのだ。なぜ今? とキアラは思った。だがすぐに気づいた。シルエット誘導方式なのだ。さっきまではネロが黒い要塞を背に戦っていたから輪郭がわかりづらくてロックオンできなかったのだ。飛び立ったことで青空を背景にくっきりとネロの姿が捉えられるようになった。だから使ってきたのだ。

 キアラは体を捻ってネロの背後を向き、弾筋を慎重に見極めて1本指のカルテルスを伸ばした。

 横薙ぎに払う。4発狙った。が、1発掠って撃ち漏らした。

 すぐ3本指に切り替えて突っ込む。直撃しなくても近づけば信管が作動するのではないか? だとすればネロに近づけたくない、と思ったからだ。刀身の腹で頭から潰すように叩き切った。

 炸裂というより誘爆という感じの爆発。キアラは破片を浴びるのを感じたが、痛みはなかった。まだやれる。致命傷じゃない。


 しかし反撃に移ろうにも、同じ高度で相手に気づかれていては自力では近づきようがない。

「ネロ!」とキアラは呼んだ。

 幸いネロも無事に飽和攻撃を凌いだようだ。

 ネロは猛スピードで近づきながら丸い目でキアラの背後をきっと確かめ、直前で翼を畳んでくるりと後転、後ろ足をキアラの足裏にミートして蹴飛ばした。

 20mを超える巨体から繰り出されるパワーがキアラを突き飛ばした。

 意識が飛びそうになるほどの急加速。視界が暗くなり、気づくと1機のアネモスが目の前に迫っていた。

 キアラはすかさず3本指を構えて主翼の付け根を叩き切った。いくら戦闘機が格闘戦を想定した機動兵器であっても、真横から目の前に飛び込んでくるものを避けられるほど急激に進行方向を変えることはできない。だから天使は戦闘機の腹か背中を狙うように教えられる。

 サンバレノ軍はオルメト戦役で喫した被害を重く受け止め、この5年の間に対戦闘機戦術をいくつも編み出した。教会もそれにならい、天使と聖獣がより緊密に連携する技を考えた。今のもそのひとつだ。ネロはすでに次の獲物を選び始めていた。

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