ターニング・ポイント

 高度12000m。胴体側面に半球形に飛び出した窓――スポンソンに顔を押し付けると、主翼の後端に設けられた排気口の後ろに白い雲の渦が見えた。

 エトルキアの巨人機、スフェンダムのエンジンは片舷3基。主翼の後ろに伸びる雲も3本、左右合わせて6本。成層圏の大気は零下50℃にもなる。排気ガスに含まれる水蒸気が急激に冷やされ、微細な燃えカスを核として水や氷に変化したものが飛行機雲だ。1㎞ほど左に離れて飛ぶもう1機のスフェンダムもくっきりとした白い雲を引いていた。その下にミニチュアのようなスケールになった地表の景色がとてもゆっくりと流れていた。

 まるで風船が浮かぶみたいな速度で飛んでいるように見えるけれど、いま生身で外に出れば自分の翼の羽ばたきでは弾丸のようなスピードで後ろに流されて置き去りにされてしまうだろう、とクローディアは思った。天使のスピードはせいぜい200km/h。対してスフェンダムのスピードは音速に近い。1200km/h程度だろうか。

 眼下にはブラック・マーダーのアネモスたちも見えた。斜め一列の雁行編隊。高度差は4000mほど。


 エトルキア軍の作戦は大まかに3つの段階に分かれていた。第1段階は牽制で、攻撃隊の到着に合わせて後方の基地から巡航ミサイルと弾道ミサイルを送り込み、アイゼンがどんな迎撃手段を使ってくるか確かめる。人質がいるのでいずれのミサイルも直撃はさせない。手前で進路をずらしてぎりぎりのところに着弾させる。

 第2段階は第1段階で使われた迎撃兵器を潰すためのフェーズで、対地ミサイルを積んだブラックマーダーが主力になる。スピードが肝心だ。

 第3段階はキアラとグリフォンを討ち取るのが目的になる。相性の都合、天使はジェットテール、グリフォンはブラックマーダーで相手したいから、上手く分断できるかがカギだ。ブラックマーダーは対地ミサイルとエネルギーシールドでペイロードを圧迫しているから、弾切れで戦力にならなくなるおそれがある。その場合は頃合いを見て基地に引き返し再武装、その間は「例のもの」を使って足止めする。指揮管制とは別にスフェンダムがもう1機いるのはそのためだ。


 前方に目を移すと、大気の霞みの中にうっすらとフォート・アイゼンのシルエットが見えていた。

「アイゼン、UICL斉射、スプラッシュIRBM、フォア」レーダー手が言った。レーザー砲が弾道ミサイルを4発撃墜した、という意味らしい。

 作戦指揮型スフェンダムの機内はさながら要塞島のCICだった。あらゆるディスプレイが並び、大勢のオペレーターがそのバックライトの光に顔を照らされていた。コンピューターの冷却ファンの騒音がエンジンの響きと混ざって不思議な唸りを生んでいた。

 もともと超大型輸送機として造られたスフェンダムは機内の広さに余裕があって、ちょっとした部屋をひとつ呑み込むくらい造作もない、というのがヴィカの説明だった。クローディアもエトルキアに捕まったあとの移送でスフェンダムには世話になっていたので、その大きさはよく知っていた。

 私は檻の中で床の冷たさに凍えていたのに、このオペレーターたちには人数分の仮眠ベッドまで用意されているのだ。まったく。

 クローディアは羨望の眼差しを向けるのをやめて再びスポンソンに顔を突っ込んだ。


 ちょうどその時、アイゼンの真上で爆発が起きるのが見えた。爆炎はアイゼンの上層を丸ごと覆い隠した。あそこにはカイがいるんじゃないのか?

「ヴィカ!」クローディアは大声で呼んだ。

「なんだ」ヴィカはメッシュ鋼で組まれた2階部分から下りてきた。銀色の鎧を着こんで準備万端だ。

「直撃はさせないって話だったんじゃないの?」

「もうすぐ出撃だ」ヴィカは何食わぬ調子で答えて機体の後ろの方へ呼んだ。「――直撃、したのか?」

「もう少しでしそうだったの」

「ぎりぎりを狙ったんだ。そうじゃないと相手も迎撃する気にならないだろう」

 作戦指揮室の後ろにはエアロックがあって、その後ろは与圧されていない空挺用のスペースだった。そちらの内装は普通の輸送機型と変わりない。壁にパラシュートなどを引っかけるラックがついているだけだ。ジェットテールもワイヤーで床に固定してあった。モルはすでにスーツやヘルメットを身につけてエンジンモジュールに足を入れているところだった。

 ヴィカはエアロックの2枚目の扉をくぐりながら顎をあぐあぐして耳抜きした。

「ほんとに当てる気はなかったんでしょうね?」

「ああ。狙いをつけたのは私じゃないが、指示を出したのは私だからな。よーく念押ししておいたよ」

 ヴィカは確かに協力的だけど、ちょっと信用ならないところがある、とクローディアは感じていた。所詮はエトルキアの人間。利害の一致があるから協力しているだけなのだ。でも今は余計なことは言わないでおこう。信用しなければ、一緒には戦えない。そして今の私には1人きりで戦う力はない。

 ジェットテールの燃料タンクを腰につけ、エンジンモジュールに足を通す。クローディアには自前の翼があるのでタンクモジュールについたスタビライザーは外して、翼の邪魔にならないよう腰に巻いて装着できるように改造を施してもらっていた。

「しかし、やはりレーザー砲を使ってきたか。相手もわりとやり手・・・の天使みたいだな」とヴィカ。

「そうよ。あのくらいの実力ならエネルギー供給も使ってくるでしょう」

 つまり、キアラがどんな攻撃手段を使ってくるのかを測るためにミサイルを撃ち込んだのだ。二の矢として巡航ミサイルを低空から送り込んだが、キアラはこれもレーザーで迎撃した、というのが機内放送で伝えられた。レーザーは弾速が速くて厄介だが、どうやら実弾兵器は使えないらしい。


 3人がジェットテールの装着を済ませると、胴体後部のランプドアが開いて水平位置まで下がった。床の隙間から猛烈に外気がが吹き込む。そうしないと開口部で乱流が起きて機体が揺れてしまうし、人間が飛び出した時に煽られて尾翼にぶつかってしまう、なんて危険もある。

「燃料残り5分でアラームが鳴る。絶対聞き逃すな。それを聞いたら何が何でも母機に戻ってこい。滑空もできないからフラムスフィアに真っ逆さまだぞ」とヴィカ。

 ジェットテールを履いた状態では歩けないし、羽ばたいたところで持ち上げようがないので足の指先でスロットルペダルを踏み込んで出力を上げ、体の正面を機首方向に合わせて少しずつ後退した。対物ライフルなんて重量物を抱えたままでこんなに力を入れずに体が浮くというのはなんだか新鮮だった。ランプの端まで来ると股の間に綿のような雲と遠い地表が見えた。

 後ろに倒れるように離脱、くるりと一回転して推力軸を水平に。

 くるり、といっても生身で飛ぶ時の体を捻る感じとは違う。エンジンのパワーで強引に回すのだ。回転自体は速いが、「重い」という感触は拭えない。

 思わず翼を広げたくなるのを抑え、畳んだ状態でぴったりと肩につけたりちょっと浮かせたりして微妙なバランスを取った。

 先に飛び出したヴィカとモルに追いついて並んだ。スフェンダムもいつの間にかスピードを落としていたようで、前方を飛んでいるものの、さほど高速で引き離されているという感じはなかった。

 3人編隊の先頭に出たヴィカが緩く降下を始めた。生身の飛行では体験したことのない風圧を感じた。400km/hくらいだろうか。

 ブラック・マーダーの編隊から離れて黒いアネモスが2機上昇してきた。こちらにスピードを合わせて前方につく。盾役をやってくれるようだ。真後ろにつくと排気で姿勢が乱れるので垂直尾翼の先端を目安にした。

 すでに中高度では撃ち合いが始まっていた。アイゼンからはレーザーが、ブラック・マーダーの編隊からはミサイルが飛んでいく。


「上層UICL、こちらを指向した」インカムに声が入った。アネモスの後席に座ったフライトオフィサーだろう。振り返って手刀を切るようなジェスチャーをして一列に並ぶように促していた。

「来るぞ」ヴィカも注意した。

 ほとんど次の瞬間だった。右手のアネモスの前方に半球形の発光体が現れたかと思うと、まるでスプーンの裏に当たった蛇口の水のように幾筋にも分かれた光の奔流が辺りに散らばった。直後、鼓膜に突き刺さるような衝撃音が襲った。

 レーザー砲の火線がアネモスのエネルギーシールドに当たって弾けたのだ。レーザーもシールドもそれ単体では不可視だが、互いにぶつかり合うことで光としてエネルギーを発散したのだろう。レーザーにしろシールドにしろ、いずれにしてもすさまじい威力だった。衝突の光が消えたあと、快晴の空が暗く見えたくらいだった。


 レーザーの斉射をしのぎ切ったアネモスは胴体の下に吊るしていた対地ミサイルを2発ずつ投下、ミサイルは空中でロケットに点火、マッハ3近い高速まで加速してレーザー砲塔に向かっていく。

 発射直後の隙を突いたわけで、迎撃は難しいはずだった。

 しかし、砲塔などあるはずのないところから光芒が発してミサイルを薙ぎ払った。

 それは確かに光芒だった。レーザーではない。グリフォンのビームだ。グリフォンは要塞の外壁を駆け回りながら、守り神のようにビームを発したりバリアを張ったりしてミサイルを尽く迎撃していた。

 そしてレーザーの第2斉射。再びアネモスのシールドが唸った。先ほどよりもねっとりとまとわりつくような光の発散。

「こっちの充電よりレーザーのリロードが速い」とアネモスのフライトオフィサー。

 次弾も弾くのは厳しいから避けさせてくれ、ということだろう。

 幸いもう塔まで5㎞ほどに迫っていた。次の斉射の前に要塞に取り付くことができる。

「了解」とヴィカが答えると、アネモスが1機猛烈に加速して砲塔に機首を合わせ、機銃を撃ち込んだ。秒間50発以上の20mm弾を浴びたレーザー砲の砲身はずたずたに切り裂かれ、砲塔からも煙が上がった。

 グリフォンも気づいたようだが、アネモスの方が速かった。グリフォンのビームはアネモスのシールドにあえなく弾かれた。グリフォンのビームも要塞のレーザー砲の威力には及ばない、ということか。

 クローディアはその間に砲塔のひとつに狙いをつけて急降下、翼とアイリスを開いてぴたりと減速。対物ライフルを装填して真上から砲身に向かって一発撃ち下ろした。ジェットテールの重さと安定感があれば反動もさほど感じない。直径20mmの弾丸が音速の3倍近い速さで突き刺さり、砲身の反射板に「バツン!」と穴が開く。それさえ傷つけてしまえば、レーザーは収束がままならなくなって威力が半減するという。

 すぐにグリフォンが追ってきた。クローディアはスロットルを踏み込んで降下で逃げた。

 だが様子が変だ。グリフォンは甲板伝いに走っているだけで一向に飛ぼうとしない。

 いや、飛ばないんじゃない。飛べないんだ。前の戦いでどうにか撃ち込んだ1発が効いていた、ということか。

「ヴィカ! グリフォンは飛べない。外壁を駆け回ってるだけ」クローディアはインカムのマイクに吹き込んだ。

「クローディア、グリフォンを足止めできるか? ブラック・マーダーは先に砲塔を潰す」

「やってみる」

 アネモスはスピードではグリフォンを圧倒できる。でもその代わり機首を向けられるのは一瞬だし、旋回して戻ってくるのにも時間がかかる。押さえ・・・には不向きだ。

 グリフォンは1機のアネモスが砲塔に向かおうとするのを見つけてそちらに駆け出した。

 クローディアはその鼻先を狙って対物ライフルを撃ち込んだ。弾丸はグリフォンの足元に跳ね、甲板に嵌め込まれていたパネルを紙屑のように弾き飛ばした。

 グリフォンは足を止め、苛立ったように振り返って口を開いた。

 ビームが来る。

 クローディアは回避のために真横へ飛んだ。左右の足の向きを上手く変えれば不規則な飛行ができる。ヤケになって懐に入り込むような戦いをしなくてもいいのだ。赤いビームが真下を流れた。

 回避のあとすぐにライフルを構え、撃つ。グリフォンは回避で精一杯のようだった。同じような中距離の攻防が続き、グリフォンはビームを、クローディアはライフルを撃った。しかしライフルの弾は10発余り。

 あと1発……。その時2機のアネモスが目の前を横切った。

「待たせたな。あとは任せてくれ」

 そうか、砲塔の殲滅が終わったのだ。

 クローディアはライフルを下して後退した。

「クローディア、カイが上層にいるかもしれない」モルの声だった。

「武器、貸してもらえる?」

「サブマシンガンだよ」

「それならちょうどいい」

「どこにいるの?」

「真下」クローディアはそう答えてスロットルを踏み込んだ。

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