ホイッスル・アロー

 下層の倉庫は輸送機から下ろしたコンテナなどをそのままハンドリングするために天井がとても高く、甲板の上に仕切り壁のないぶち抜きのだだっ広い空間になっていた。場合によっては補給を断たれた状態で籠城しなければならない要塞にとって、倉庫の容量は決して軽視できない要素だ。だから同じようなぶち抜きの倉庫が何階層も重なっている。貨物エレベーターの立坑や搬入口といった縦横の開口が多いのでエアレースの練習で使うのは専らこの辺りだった。

 いくら廃墟とはいえ、アイゼンの倉庫にもあらゆる物品がパレット積みのまま残されていた。機械油のペール缶もその中に埋もれていた。

 だが20数年前に精製された代物だ。使っていいものだろうか。カイは訝しんだ。年上の油・・・・などというものに出会ったことがなかった。

「機械油にも寿命があるんだ。いくら未開封で残ってたからって、あんまり古いものを使っていいものじゃない」少年はひと抱えほどのジェリカンを運びながら小言を言った。

「注すのと、注さないのと、どっちがいいの? この1回動けばいいのよ。その先10年使おうってわけじゃないんだから。べつに1回で焼き付いたって」

 キアラは言い返した。どこからか発掘してきた2輪のペール缶キャリアを引っ張ってきていた。

 まあいい。逆らえる立場じゃない。

 缶の底をキャリアの爪に引っ掛けて持ち上げ、カイがそれを引いてエレベーターに乗せ、レーザー砲の設置されている各甲板を巡った。


「ボク、名前はなんていうの?」ふとキアラが訊いた。2人は雨垂れで表面がガサガサになった砲塔を見上げていた。

「カイ・エバート」随分いまさらじゃないかとカイは思ったが、ともかく答えた。

「カイが名前?」

「そうだよ」

「ギリシャ文字のカイ?」

「そう」

「変なの。1文字の名前なんかあるのね」

 カイは「ギリシャ文字」なんて知識がキアラの口から出たことに驚いた。サンバレノがいくら盲信的な国だからといって教養が存在しないわけではないってことか。

 カイがターレットと砲の仰俯角装置に油を注している間、キアラは砲塔に飛び乗って砲身内側のレンズや鏡面部を磨き上げていた。場合によっては足場を選ばずに翼でホバリングしたまま作業をするのだ。朱鷺色の翼はクローディアより小ぶりで、小刻みに羽ばたくには都合がいいのだろう。

「君の方は、単にキアラなのか」

「天使には人間みたいなファミリネームはないからね。だいたい、家族というもののつながりが薄いのよ。強いて言えば、母称ぼしょうというのがあって、母親の名前をファミリーネームみたいに使うの。『ああ、あなたは誰々の娘ね』というふうに。例えば私の母親はアヴィアッネって言うんだけど、そうすると私はキアラ・アヴィアネッラ、となるわけね。母から娘へ。それだけ」

「父から息子へ、はないのか」

 キアラは笑った。けなすとかあざけるとか、そんなんじゃなく、もうただ素直におかしくて仕方がないといった感じの笑いだった。翼を前に出してまるで体を隠すみたいにしたけど、たぶん筋肉が引きつって自然とそういう形になってしまうのだろう。

「何?」とカイは訊き返した。キアラがなぜ笑ったのか全く理解できなかった。

 そして彼女はその問いには答えなかった。なかなか笑い止まなくてそれどころじゃなかったのだ。

「あ、あとね、位の高い天使が与える称号というのがあるのよ」

「身分とは別に、か」

「そう。私はアークエンジェルだけど、私と同じ称号を与えられる天使はアークエンジェルだけじゃない」

「君の称号?」

「前に言わなかった? クルキアトル。聖戦士のこと。信仰のために外征する天使のことをそう呼ぶのよ」

 カイは聖戦士クルセイダーという言葉を思い浮かべた。サンバレノではそういう発音になるのか。

「称号は名前につけて呼ぶのが正式なのね。だから、私はキアラ・アヴィアネッラ・クルキアトラ、というわけ」

「立派だ」

「立派?」

「クローディアはクローディアなのに」

「なんか、褒められてる気がしないんだけど?」


 手入れの終わったところで砲塔の中にある直接操作コンソールに通電して動作を確かめ、使えるか使えないか判定して次へ向かった。いくら甲板の狭い要塞島とはいえ、1基ごとにエレベーターから甲板の端まで往復1km近く歩くのは骨が折れた。もちろんもっと要塞の外壁に近いエレベーターが使える区間もあったけど、それも2,3ヶ所に過ぎなかった。

 12基あるレーザー砲のうち5基は砲身の劣化やターレットの破断で使い物にならないことがわかった。フォート・アイゼンが廃墟になったのは20年前のルフト独立戦争だから、むしろ7基が電力供給だけで再稼働状態まで復帰したことの方を驚くべきなのかもしれない。射角は7基で全方位をカバーできるし、どちらかといえば西向きの砲塔が多く残ったのはキアラにとっては幸いだっただろう。

 CICに戻ったあと、キアラはコップに水を汲んで司令官の椅子に座り、戦術マップを確かめた。正面の大ディスプレイにも同じ映像が映っていたのでカイはそっちを見た。レーダースクリーンはまだクリアだ。アイゼン回廊を行き交う民間機が時折ぽつぽつと映るだけだった。作戦用の飛行機は何機も群れになって飛ぶので目視や識別なしでもすぐにそれとわかる。

 

 キアラはブラシを出して髪を梳かし始めた。アイゼンの屋内はどこもかしこも埃が積もっていて、動き回るとそれが一斉に舞い上がるのだ。カイも口の中がざらざらするのは感じていた。

 キアラの髪は翼と同じ淡いピンク色で、光の加減によってその色が濃く見えたりほとんど白に見えたりした。濡れたような艶のあるきれいな髪だった。

 キアラは最後に前髪のピンを留め直し、ブラシに絡まった髪の毛をぐるぐると丸めてその辺にぽいっと捨てた。それから洋服用の毛玉取りで翼を撫で始めた。

 なるほど、そうやって手入れするものなのだ。カイはクローディアのそういうシーンは見たことがなかった。

 複雑な気分だった。

 カイもタオルを濡らしてきて体を拭いた。そのうちにいつの間にかキアラは眠っていた。毛玉取りを握ったまま、背凭れに体を預けてぐったりしていた。

 カイはしばらくその寝顔を見下ろしていた。白い頬にはうっすらとそばかすがあった。睫毛まつげも髪と同じ薄いピンク色だった。総合的に言って綺麗な寝顔だった。

 なぜこんな綺麗なものどうしが殺し合わなければならないのだろう。

 それはクローディア殺しを命じた者の罪なのだろうか。それともサンバレノの文化そのものの罪なのだろうか。


 ディスプレイを見上げた時、レーダースクリーンにかなり足の速い飛翔体の一団が映っているのに気づいた。

「弾道ミサイルだ」カイはキアラの膝を揺すって起こした。

 スピードはマッハ4以上、高度は80㎞。距離150km。数8。方角はネーブルハイムではない。もっとエトルキアの奥地の基地から発射されたものだ。ほとんど宇宙空間まで飛び上がって空気抵抗を無視して加速、重力に任せて超高速で突っ込んでくる。落下に入った弾頭はまともなミサイルでは迎撃できないほど速いらしい。が、レーザー砲ならどうだ?

 キアラは飛び起きてコンソールのタッチパネルで上層のレーザー砲4基を選択、戦術マップ上のシンボルにドラッグ、照準させる。その間にエネルギーコンソールで発電機を全力運転に切り替え。4門斉射できる容量まで40秒。次弾は少し縮まって20秒程度で撃てるか。言ってみれば額の上くらいまで引きつけて撃ち落とすことになる。

「エトルキアもひどいことするなあ。人質ごと爆殺しようなんて。ねえ、ボク、君はお仲間に見捨てられたみたいよ?」キアラはあくびを噛み殺しながら言った。

「いや、きっと脅かそうってだけだよ」

「本気で言ってる?」

「……正直言うとまさかだ」

「だから起こしてくれた?」

「それに、言わないと君は怒りそうだからな」

 キアラはレーザー砲の制御盤の前に座ってパネルの電力容量ゲージを見極めた。臨界ポイントもバーで表示されていた。ゲージがそのバーを超えたところで赤から青に変わった。指をかけておいたボタンを押し込む。

 手応えはない。ゲージがガクンと減り、再び上昇し始める。

 戦術マップ上の弾頭のシンボルが停止、「ロスト」の表示。レーダーがミサイルを見失った――つまりミサイルを撃墜したというサインだ。



 島の中枢部に設置されたCICからは目視するすべはなかったが、その時島の外では、レーザー砲の砲口から発したかすかな陽炎が大気の層を引き裂き、超高速で落下しつつあった弾頭を捉えていた。高度3万m。不可視の超高エネルギー光がその一点を焦点にして収束、鋼鉄の外殻を一瞬で溶解、中に詰まっていた炸薬を誘爆させた。音速の数倍のスピードで落下しつつあった弾頭から生まれた火球は進行方向に長く伸びててるてる坊主のような形状に広がった。

 だがまだ4発。次の斉射で殲滅できればいいが……。

 キアラが再び発射ボタンを押した。

 3発までは仕留めたが、対流圏に入った弾頭は風に煽られて小刻みに揺れていた。

 1発は掠ったものの誘爆には至らない。弾頭の軌道は塔のすぐ脇を掠るコースを描いていた。

 が、上層飛行場の滑走路に飛び出したネロが顔を上に向け、すかさず展開した術式陣からビームを放った。

 ビームは正確無比に弾頭を捉え、その光芒の中に飲み込んだ。一拍置いて爆発が起き、塔全体に破片が降り注ぐとともに、衝撃波が激しく揺さぶった。


 その揺れはCICでも感じられた。キアラには何か心当たりがあったらしく、外部監視コンソールに移って上層飛行場周りに生きているカメラがないか探し始めた。

 ――あった。そしてネロが術式陣を張っているのが見えた。レンズがかなり曇っていて見づらいが、間違いない。

「やっぱり。あとで褒めてやらなくちゃ」キアラは言った。

「ネロがやってくれたのか」カイは理解した。

「とはいえ、ねぇ、ボク、直撃コースだったよ?」

「狙いがずれたか、君たちが俺のことを守るとわかっていてやったんだろう……きっと」カイは額の汗を拭いながら言った。

「確かに、核弾頭じゃなくて通常弾頭だったのは良心かもしれないわね」

「核って、そんなことしたら塔ごと崩壊しちゃうだろ」カイは鼻で笑った。

「そう。オルメト戦役でエトルキアは核を使った。塔を崩したのよ」

 カイは何も言えなかった。オルメト事変といえばまだ数年前の出来事だ。でも核なんて話は聞いたことがなかった。

 クローディアは自分を助けようとしてくれている。そう信じたい。でも、エトルキアは真の意味でそれに協力してくれているのか? ベイロンの一件以降微かに感じていた猜疑心がまたふつふつと煮え始めているのを感じた。


 キアラはディスプレイに目を向けていた。

「まだ終わりじゃないみたい」

 ピピッという警告音とともに戦術マップに新しいシンボルが映った。

 スピードは弾道ミサイルよりはるかに遅い1200km/h程度、高度も低い。フラムスフィアぎりぎりだ。

「巡航ミサイルだ」カイは呟いた。

 言われなくてもわかってる、というようにキアラは軽く首を振り、迎撃コンソールに戻って下層のレーザー砲の制御を始めた。

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