バトル・ドレス

 夕方になって1機の小型輸送機がネーブルハイムの下層飛行場に着陸してきた。

 エトルキア機ではない。国籍マークはルフト。都市紋章はベイロン。そして重々しく尖った機首。

 間違いない。ジャヒアルだ。

 格納庫に入ってエンジンを止めると、胴体側面の乗降ドアが開いて長身の少女が現れた。コケティッシュなメイド服、何かを詰め込んだ大きな旅行カバン。

 そう、彼女こそはベイロンの衣装係、マグダだった。


 マグダが案内されてきた時、クローディアは与えられた個室のベッドの上でサンバレノ聖書を読んでいた。

「こんばんは、クローディア」

「どうしてここに?」クローディアは立ち上がってとりあえず部屋の中に招き入れた。

「どうしても渡したいものがあったの」

 マグダはそう言ってパンパンのスーツケースを床に寝かせ、鍵を開けた。蓋は爆発するみたいに開いた。

「最初に作ったドレス、すぐボロボロになっちゃったでしょ?」

「ああ、あれはごめんなさい。せっかく丹精こめて作ってくれたのに……」

「ううん、いいの。それでね、こんなにヤワな服を作ってたらダメだって痛感したの。激しく動いても、戦いでこすれても、多少のことじゃびくともしないようなものを作らなきゃって。それでリベンジしたくて、でもあなたが帰るまでに間に合わなかったから」

「持ってきてくれたの?」

「まだ完成してないんだ。体に合わせたいんだけど、着てもらってもいい?」

「もちろん」クローディアはオーバーオールとTシャツを脱いだ。

 マグダが広げた衣装はまるでクロユリのようだった。長いスカートの部分が花弁のようにわかれていて、上半身は細身だった。下から穿いて腕を通し、最後に背中あてを翼の付け根の間に垂らして左肩の後ろでファスナー留めする構造だった。

「その名もバトル・ドレス。スカートは開いたほうがいいけど、長いと飛ぶ時にバタバタして邪魔でしょう? だからレザーを当てて少し固くしてあるの。生地も強いし、糸も強いし、縫ってる間何度も針が折れて大変だったわ。一度なんかミシンのベルトがダメになって交換してもらったもの」

 ドレスを着せ終えると、マグダは腰や肩のあたりを引っ張って体に合っているか確かめた。

「ウエストの後ろ、ちょっと浮いてるわね」

「うん。少しスースーする」

 マグダは明るいブラウンの長い髪を後ろで結び、スーツケースから裁縫道具を出して太い糸を針に通した。

「でも本当にこれだけのために飛行機を出してくれたの?」クローディアはじっと立ったまま訊いた。

「アイゼンで騒動があったというニュースはベイロンにもすぐ伝わってきたの。それでシュナイダーに話したら、ついでに様子を見てくればいいって、エリスヴィルの駐留軍にも話を通してくれて」

「動きが早いのね」

「ギグリ様はあの子ならきっと上手くやるでしょうって言ってたわ」

「助けに来てくれるわけじゃないんだ」

「ルフトの天使がエトルキア領で暴れたらまずいでしょうって。その辺ちょっと政治的にシビアみたい」

「ま、口だけの方があの人らしいかしら」

「確かに」マグダはちょっと笑った。「でも、ベイロンもまだわからないんだ。難民と金持ちがそんなにすぐ仲良しになれるわけもないし、ツアーだってギグリ様が旗振りを続けられるのか、まだ微妙なとこだし」

「続けられるか?」

「もともと金持ちのスポーツだから難民が直接難癖をつけてるわけじゃないんだけど、廃墟出身のクイーンは支持を増やせる、というか勢いづいてるの」

「あなたはギグリ派なの?」

「微妙。ギグリ様はギグリ様だけど、私も廃墟の生まれだから。アンチの気持ちもわかるし、それに彼女自身、そういう潮流に合わせてもいいって思っているみたいなのよね」


 マグダは糸を切った。

「どう? ぴったり?」

 言われてみれば着心地は競泳水着みたいだった。もう少し生地がしっかりしていて締めつけられる感じがないと言えばいいだろうか。

「うん。いい感じ」

「じゃあもう1着もやっちゃうから」

「2着もあるの?」

「念には念を入れてって言うでしょ」マグダは同じデザインのドレスをスーツケースから取り出した。「実を言うとね、これ、一昨日くらいまでにだいたいはできてたの。だから渡そうと思えばあなたがベイロンにいる間にお披露目できたんだ」

「でもそうしなかった。自信がなかったの?」

「ううん。そうじゃないの。……いや、そうかな。つまりね、これって、要は戦闘服でしょ。それを渡すのって、これからも戦ってって言ってるようなものでしょ?」

「そうね。そうかもしれない」

「できれば平和でいてほしい。心配させないでほしい。戦わずにいられたら、その方がずっといい」

「だから渡したくなかった。でも現実はそうはいかなかった」

「そう。今日はぎりぎり間に合ったみたいだけど、やっぱりいざという時に準備してないっていうのはその方が嫌だなって思ったの」

「現実的。でも、現実的じゃないと、生きていけないよ」

「ごめんね」

「いい。ありがとう」

「だからね、そういうのを打ち消したくてっていうか、ほら、見て、あなたが着られそうなもの詰められるだけ詰め込んできたの。天使って洋服選ぶでしょう。いざという時着れるものがないときっと困るから。おせっかいだった?」

 マグダは抱えきれないほどの服をスーツケースから出してベッドに置いた。

「全然そんなことないよ」クローディアは感謝してもしきれないくらいだった。心からそう思った。



 クローディアは飛行場までマグダを見送った。いつ戦闘に入るかわからない。できるだけ早く帰ってこいとシュナイダーに釘を刺されているらしかった。

「またね。オーダーメイドが欲しくなったらいつでも言って」

「うん。ギグリによろしくね」

 マグダを乗せたジャヒアルはすっかり暗くなった空にエンジンから紫色の長い炎を引きながら急角度で上昇していった。

 高高度まで登りつめれば天使もグリフォンもまず手出ししない。空気が薄くてまともに飛べないからだ。帰路に不安はない。


「綺麗な人」後ろでモルが言った。

 廊下で話し声を聞いてついてきたみたいだ。

「ああ、モル」

「ごめん、驚かせちゃった?」

「ううん。彼女、ベイロンで知り合ったの」クローディアは答えた。

「レースクイーン?」

「そう」

「いいなぁ、ベイロン」

「いい?」

「あの街並みを1回見てみたいんだ」

 行ってみればいいのに、と言いそうになってクローディアは言葉を飲み込んだ。

 タールベルグの人々にとって島を渡るというのは人生の一大イベントなのだ。

「モルはタールベルグで生まれたの?」クローディアは部屋に向かって歩きながら訊いた。

「そう。生まれも育ちも、ってやつ。今まであの島を出たことなかったんだ。飛行機に乗せてもらったことはあるけど、でも島の周りを遊覧飛行しただけ。だからネーブルハイムって聞いて意地でもついていかなきゃって思ったの」

「下心丸出しだったのね……」

「わからなかったでしょ? でもカタキをとりたいのもホント」

 クローディアは安心した。身内の死を悲しむ姿は嘘ではなかった。

 彼女はただたくましいだけなのだ。

「でもさ、要塞って言ってもタールベルグより全然機能的で、整ってて、こんなに大勢の人たちが近代的な生活をしているんだって、驚いちゃった。さっき案内できる限りのエリアを案内してもらってたんだけどさ。タールベルグなんか本当に辺鄙なところなんだって、よくわかったよ」

「だから格納庫にいたのね」

「そう。そういうこと。天使は自由に島を渡りながら生きているの?」

「一部はね。そういう天使にも会ったことがあるわ」

「クローディアは違うの?」

「私は逃げてきただけで、島の上のことはよく知らない。羨ましがられるようなものは何も」

 モルの部屋の方が手前だった。

 2人は部屋の前で立ち止まったが、モルが「お風呂行かない?」と誘った。

 クローディアはもらった洋服の中からさっそく青いチュニックを選んだ。


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