ヘッド・オン
ベレットのコクピットはレース機とはまるで別次元だった。座席の位置が高く、キャノピーは大きく、枠も風防との合わせ目にしかなかった。したがって視野はすばらしく広く、少し頭を動かせば真下まで見えそうなくらいだった。その代わり胴体に包まれていない肩のあたりがなんだかスースーした。コクピットは密閉性が高くてすきま風なんて入ってこないのに、不思議なものだ。
計器盤はアルサクル並みにごちゃごちゃしていて、何より目の前にヘッドアップディスプレイ(HUD)がついているのだ! 主電源を入れると透明なガラスの端に緑色の表示が現れた。
カイはイグニッションスイッチを入れ、スロットルを少し開いてスタートボタンを押した。
強靭なセルモーターが3列21気筒のモンスターエンジンを力ずくで回転させる。すぐに発火があって3翅二重反転のプロペラが滑らかに回り出した。
イグニッションを切る。この一瞬でバッテリーメーターは半分近くまで下がっていた。レース機くらいならモーターだけでも飛ばせるんじゃないだろうか。
キャブレターやスーパーチャージャーの設定は当然のようにオートだった。飛ぶ前に確認することといえば3舵がきちんと動くか確認することくらいだった。カイはフットバーを踏み込んでブレーキをかけながら無線機を立ち上げた。
「カイ・エバート、チェック」
チェックというのは滑走路に入る準備ができたという意味だ。ベイロンのレース場で覚えた。
「聞こえるか?」事前の点検と操縦法のレクチャーをやってくれた年配の准尉の声だった。
「聞こえます」
「いいか、250キロ以下でラダーを目一杯蹴るのはタブーだ。確実にスピンに入る。上の方は特に制限はないが、900キロ以上はマッハ計を見ろ。速度計はアテにならない」
「こいつは試作機なのに、やけに詳しいですね」
「ヴィカはここでテストをしてたんだよ」
「なるほど」
上の甲板の床下にくっついたゴンドラ型の管制塔から無線で許可をもらって滑走路に入った。
フラップはおそろしい大きさだった。内翼の前後長の半分以上もある板が後縁からせり出してきた。太いブームがその両端を支え、主翼よりやや低い位置に固定した。この状態なら複葉機といっても嘘にはならない。主翼が極端に短いので低速で飛ぶ時のためにこれくらいの揚力装置は必要になってしまうのだろう。
エンジンを冷やすためにカウルフラップとオイルクーラーを全開にしてスロットルを押し込んだ。
猛獣のうなりのような音を立てて3000馬力が空気を押しのける。普通のレース機の3倍近いパワーだ。凄まじい加速だが二重反転プロペラのおかげでトルクはまるで感じなかった。
加速に耐えているうちにいつの間にか空に浮かんでいた。急いでギアとフラップを格納、操作をしているうちに速度計はぐるぐる回ってあっという間に600km/hを超えた。
計器盤の左端で緑のランプが灯った。何の警告かと思って表示を読むと「オートクルーズ」とあった。隣には「オートランディング」のボタンもついていた。
そうか、この飛行機はパイロットなしでも勝手に基地に帰って自分で着陸ができるのだ。ベイロンの城に飛び込む時、シュナイダーはこのベレットを乗り捨てたはずだった。だからそのあとベレットを見た時カイは新しい機体だと思ったのだが、同じ個体なのだ。
ひとつ謎が解けた。
同じレシプロ機でもこんなにハイテクになるものなのか……。
カイは10分ほど自由に飛んで飛行特性を掴んだあと、事前に言われていた通り中層飛行場の上をローパスした。中層滑走路は下層よりいくらか短く、幅も狭く、格納庫の中にいるのも戦闘機ばかりだった。高度は3500m。上空に行くほど空気が薄くなるから、揚力に余裕のある飛行機でないと離発着が難しくなる。重量物を運ぶ大型機は必然的に下層に集まるわけだ。
「どうだ、カイ、ベレットには慣れたか?」ヴィカが無線越しに訊いてきた。
「十分です」
「HUDの右下にあるボタンを押してみろ。演習モードを起動するかと訊いてくるはずだ。そしたらもう一度押す」
カイは言われた通りにした。ガラスの上に簡単な確認文が現れ、もう一度ボタンを押すと表示は消え、HUDの下に並んでいた武装のマーカーに斜線が引かれた。
「FCS(火器管制システム)が武装をロックしたはずだ。試しに機銃を撃ってみろ。弾が出なければそれでOKだ」
カイは機首が島の外側を向いているのを確かめて操縦桿のトリガーを引いた。
弾は出なかった。主翼の前縁から突き出した20mm機関砲の3対の砲身はまるで物干し竿みたいに押し黙っていた。
ヘルメットのバイザーを下ろしてもう一度トリガーを引くと、砲口から赤い線が出ているのが見えた。バイザーを介すとレーザーが見えるようになる、というよりは、計算した弾道を投影しているだけのようだ。
「カイ、聞こえる?」モルの声だった。ただ少し電波が悪かった。
「あ、ちょっと音が悪い」
「カイ、戻ってこい」ヴィカが言った。
左旋回、飛行場に機首を向けた。
「こっちはインカムなんだ。生身でご立派な無線機をしょっていくわけにいかないからね。せいぜい5キロ。障害物なしで5キロだよ。それ以上離れると話せないから気をつけてくれ」
「了解」カイは答えつつ、でもなんでモルまでインカムをつけているんだ? と思った。
でもその意味はすぐにわかった。中層飛行場の上にクローディアの黒い翼が浮かび上がったかと思うと、それに続いてジェットテールが2人上がってきた。それがヴィカとモルだ。3人ともアサルトライフルを抱えていた。演習用のレーザーをつけているのだろう。
「よし、まずは対クローディアに私とモルでかかろう。カイは少し見ててくれ」
ヴィカの合図でクローディアがバサバサと加速して500mほど離れ、そこからほとんど静止目標に等しいモルを数発で射貫くと、ヴィカともみくちゃの格闘戦に入った。クローディアの機動はもちろんだが、ヴィカのテール捌きもかなりのものだった。左右のジェットエンジンの残す軌跡雲がカクカクと折れ曲がって動きのすさまじさを物語っていた。
2人の弾は互いに当たらなかった。
「モル、復活していいぞ」
そう言われるとモルは100mほどの距離から2人に向かってライフルを乱射した。
クローディアもヴィカも蜂の巣だった。
「うわあ、無差別は反則だよ」ヴィカが喚いた。
「だって当たらないでしょ」
「味方に当てちゃダメだって。――いいよ、カイ、君の番だ。天使に当てられるか試してみな」
「こい!」クローディアが言った。
カイは操縦桿を引いて高度5000mまで上昇した。
主翼を立て、重力に任せて降下。
プロストレーターとは段違いの加速、速度計は軽く800km/hを回った。
約2kmの距離から接近、クローディアの姿がHUDに入った。彼女はまっすぐライフルの銃口を向けていた。
カイは操縦桿を引いて離脱した。
「どうしたの、まだ遠いよ」クローディアが言った。その裏で風の音がノイズになっていた。
カイは緩やかに旋回しながら頭上にクローディアの姿を探した。
「ぶつかりそうな気がしたんだ」カイは言った。
「アイゼンの時みたいに?」
「こいつはトラクターだから、ぶつかったらプロペラに直撃する。怪我じゃ済まない」
「大丈夫、見てれば必ず避けられる」
「絶対?」
「絶対。カイ、それはトラウマだよ」
トラウマ、なんだろうか。
しなくてもいい心配をしているのか。
カイは息を飲んだ。
そして旋回、加速してクローディアをHUDに捉えた。
彼女は射線を避けるように機首の下へ下へと小刻みに動いた。その間もライフルの狙いは外さなかった。
何度か被弾の合図が聞こえた。でもカイはまず回避せずにまっすぐ突っ込んだ。
ヘッドオン。
真正面ですれ違う。
クローディアのシルエットがスピードで3倍くらいに引き伸ばされて真横を通り過ぎた。
カイは真横を見た。
クローディアは翼を畳んで通り過ぎざまに体の向きを変え、左手を伸ばして主翼の上に触れていた。
ウインクしたのだって見えたような気がした。
次に瞬きした時、彼女ははるか後方に流れ去り、くるくると回りながら姿勢を整えていた。
「ね、大丈夫でしょ?」
「ほんとだ、大丈夫だった」
カイは笑った。笑えてきた。心配していたのがバカみたいだった。
次はカイの方も回避を入れてもう一度ヘッドオンをやり、それから旋回戦だとどうなるかもやった。フラップを開いた時のベレットの旋回はなかなかのものだったけど、天使が相手だとそれ以上に内側に入られてしまって狙いがつけられなかった。極端なことを言えば、相手は空中の一点に静止できるわけで、飛行機で円軌道を描きながらその中心に機首を向けられるかといえば無理だった。
再びジェットテールの2人も絡めて立ち回りをいろいろ考え、20分ほどで中層飛行場に着陸した。その時には全員息切れして汗を垂らしていた。
結果、的が小さく三次元的にちょこまかと動き回る天使やジェットテールを戦闘機の固定砲で狙うのはかなり難しいということがよく理解できた。
逆に、生身で扱える小口径の銃で戦闘機に致命傷を与えるのも困難だということも明らかだった。
やはり天使は天使、あるいはジェットテールで相手をするしかないようだ。
でもグリフォンはどうだろう。戦闘機で相手になるだろうか。機銃を避けるくらいの身軽さはあるんじゃないだろうか。
「そのための
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