青い瞳の2人

 城の外壁から炎が噴き出すのが見えた。

 弾き出された壁や窓枠の破片に何かが混じって落下してきた。

 ギグリが気づいて体を起こした。

 それは人間の形をしていた。

 予感があったのだろう。障壁オーべクスを飛ばして落下速度を合わせ、下から掬って目の前に下ろした。

 黒焦げになってはいたが、それは間違いなくフェアチャイルドだった。彼の背中から右肩、頬、さらに下腿に至るまで半身は肌が真っ黒に炭化し、それこそ消し炭のようにところどころに熾火おきびが燻っていた。

 だがまだ死んではいなかった。よく聞くと呼吸をしていた。

 ギグリは再生促進の術式をかけようと手をもたげたが、すぐに下ろした。いくら奇跡でも回復の望みはない、苦しめるだけだ。そう判断したようだった。

「フラムで大勢を苦しめてきたあなたにはお似合いの死に方かもしれません」ギグリは障壁の上に乗ってフェアチャイルドの耳元で言った。

 彼女の触れた腕の皮膚が剥離してフェアチャイルドは苦悶した。だがもはや声も出ない。

 熾火はなお広がり、フェアチャイルドの肉体を広くそして深く焼いていった。

「クローディア、ナイフを」ギグリが手を伸ばしてきた。

「ナイフ?」

「持っているでしょう?」

 確かに銃剣用のナイフがもう1本あった。

「放っておいても死ぬのに、殺すの?」

「せめて安らかに死なせてあげたいのよ」

 ギグリはフェアチャイルドの胸にナイフを突き刺した。もはや流れ出うる血すらなかった。

 そして胸に抱き寄せたが、その間にも体は朽ち、ぼろぼろと腕が折れ、脚が折れ、体そのものも細っていった。そして燻りはそこに触れるギグリの体にも火傷を負わせていった。

 クローディアは考えた。

 もし私にも愛する人がいるなら、その人が死にゆく時、私もまた彼女と同じようにするだろうか。

 よくわからない。

 それを上手く想像するには私はあまりにも長く1人きりで生きてきてしまった。

 愛する人がいるというのは幸せなことなのだろうか。

 それさえわからなかった。

 やがてフェアチャイルドの体は完全な灰になった。

 ギグリはその灰の上に寝そべり、撫でるように手でまさぐった。

「少し1人にしてもらえるかしら」彼女は顔を上げずに言った。

 そう、そうすべきなのだろう。

 クローディアは黙って翼を広げ、風を起こさないようになるべく羽ばたかず、走って飛び立った。


 城まで上昇して炎が噴き出した外壁を覗き込むと、ヴィカとシュナイダーがカイの介抱をしているのが目に入った。

 首筋に冷たい汗が伝ったような嫌な感触があった。

 カイは大丈夫なのか?

 でもそれはほぼ杞憂だった。

 カイはフラムに肺を焼かれていたが、まだきちんと生きていた。

「クローディア! カイはフラムを吸ったのか」ヴィカが訊いた。

 クローディアは頷いた。

「なぜ早く言わない」

「ごめんなさい」

 正直、ここまで酷くなるとは思っていなかったのだ。フラムに対する人間の脆弱さを舐めていた。

 クローディアはとにかく廊下に寝かされたカイの横にひざまずいた。

「ギグリは」シュナイダーが横へ来て訊いた。

「中層にいるわ。大丈夫」

「そうか、よくやってくれた」

 ヴィカが呼びつけたエトルキア兵が吸引器を持ってきた。

 ヴィカはその透明な2本のゴム管を容赦なくカイの口に突っ込み、えずきと噎せで判別して気管に通し、粉末のパックを取り付けてポンプを作動させた。膨らんだパックを手で揉みながら粉末を少しずつ送り込んでいった。カイは盛大に噎せ返ったが、ヴィカはカイの鼻を塞いで押さえ込んでいた。

「抗糜爛びらん剤だよ。炎症は鎮めてくれるが肺の機能そのものを再生してくれるわけじゃない」ヴィカはクローディアに説明した。

「呼吸が浅くなるのかしら」

「少量なら致命的なレベルではないと思うが。とにかく寝かせてやろう」

 ヴィカはそう言ってカイを抱え上げた。

 クローディアは執務室の隣がフェアチャイルドの寝室だということを知っていたので案内した。

「フェアチャイルドは死んだわ」

「そうか」ヴィカは頷いた。

 あの炎は彼女の魔術だったのだろう、とクローディアは思った。

「エトルキア軍の攻撃は」

「ああ、止めたよ。我々の作戦は成功だと電信を打ったからな。止まるだろう」

 ヴィカはカイをベッドに下ろすと、クローディアに持たせた救急箱を開け、クローディアの生傷の手当てを始めた。ギグリのマレウスが掠った切り傷が頬やら腕やらにいっぱいあった。消毒液で傷を流し、絆創膏を貼っていく。

「これからどうするの? テレビで彼の罪を暴こうって計画はオジャンになっちゃったんでしょ?」

「いや、放送自体はオーバーライドしてエリスヴィルで撮り溜めた映像を流していたんだ。この島の人間たちも今までお祭り騒ぎしか映されていなかった廃墟の島々の裏の姿がよくわかっただろうよ。準備が整ったら、私は占領者として、シュナイダーは当面の新しい首班として、表に出てこれからの政治を語ることにするさ」


 ヴィカが出ていくと部屋にはクローディアとカイだけが残された。カイの口に突っ込まれたゴム管のポンプはまだポコポコと回っていて抗糜爛剤のパックも膨らんでいた。

 クローディアはヴィカの真似をしておもむろにパックを揉んだ。するとカイが猛烈に咳き込んで口から白い煙が舞い上がった。

 カイは手をめちゃくちゃに動かしてクローディアを制止した。

「あえ、あえ、あいおおええいいお!」

 え?

 喉がふさがっていて喋れないのだ。

 クローディアは少し考えてカイの言いたいことを理解した。

『やめて、やめて、最初だけでいいの!』

 そうか、パックを揉むのは最初だけでよかったんだ。

「ご、ごめん……」

 カイは目に涙を浮かべながら咳に耐え、どうにかこうにか収まったところでズボンのポケットの中から何かをつまんで取り出した。

 それはクローディアの肺珠だった。ラウラの家に行く前にカイが拾ったと話していたやつだろう。

 そしてクローディアはギグリの話を思い出した。彼女は自分の肺珠を砕いて鳥のエサに混ぜるほか、もっと細かくして吸い込ませたという話もしていた。

 1回2回という短期で効果が出るものではないだろう。でも鳥で効果が確認できたのだからカイにだって効くかもしれない。

 しばらくするとポンプが止まり、カイは自力でゆっくりと、背中を波打たせて何度も吐きそうになりながらゴム管を引き抜いた。

「羽がボロボロだ」カイはそう言って少し咳き込んだ。声帯の震えが肺に響くのかもしれない。それから息だけの小さな声に切り替えた。「生え変わるのに1年かかるんだろ?」

 クローディアは翼の先を広げて手の甲で撫でた。ギグリの鎚に貫かれたところから羽根が折れて歯抜け状態になっていた。

「いいのよ。1年経てば元通りになるんだから。それより、カイ、ありがとう」

「君がそれを頼んだわけじゃない。俺は勝手をしただけだ」

「でも嬉しかった。私が誰かのものになっているのを見ておけない人もいるんだって、今まで知らなかったから。だから、ね、ええと、あなたの肺が治るまで私に面倒見させて。そして落ち着いたら一緒にエトルキアに行きましょう」

 カイはそれを聞いて顔を紅潮させた。

「本当? それなら俺は新しい飛行機を作るよ。うんといいのを作るさ」

 それは普通の声だった。興奮して抑えるのを忘れてしまったようだ。

 そして案の定カイは死ぬほど咳き込んだ。口から肺が出てきてしまうんじゃないかというくらいの咳だった。

 クローディアはカイの背中をさすった。そしてあのエトルキアがなぜカイに協力することにしたのか改めて考えることにした。そこにはカイが知っている以上の裏があるに違いなかった。

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