再武装
塔の内部から飛び出すと急に高度感が襲ってきて股の間がすっと寒くなった。カイは両足を振り上げてクローディアの尻のあたりに引っ掛けた。
すると重心が動いたせいでクローディアの飛行姿勢は大波を乗り越えたように揺れた。
「ちょっと! 暴れないでよ」
「すまない」
カイは自分がどんな格好でクローディアにぶら下がっているのか想像して少し情けなくなった。彼女の体はとても細くてとても頼りなくて、抱きついているとそれが生々しすぎるほどにありありと感じられたのだ。
硝煙の匂いが鼻をついた。首を限界まで回してどうにか下を見ると、飛行場の周りから黒煙が立ち昇り、滑走路にはエトルキアのヘリコプターが何機も降着していた。もはやエアレースの華やかな雰囲気などどこにも残っていない。逃げ遅れた観客たちはエトルキア兵によって客席の周りに集められていた。
戦闘機のエンジン音も聞こえるがかなり遠い。前線はもうベイロン側まで押し込まれているようだ。
飛行場のゲートの近くにシュナイダーとヴィカを見つけた。
クローディアはカイの視線で察しをつけて2人をめがけて降下していった。
黒羽の天使が降りていくとその場の人々は話をやめて顔を上げた。
着地するとクローディアはその場にへたり込んで、息を整えながら鳩尾の横のあたりを手でもみほぐした。
「カイ、無事だったか」シュナイダーが呼びかけた。
「フェアチャイルドは?」
「すまない、逃がしてしまった。今頃はもうベイロンだろう」
「あの狙撃は?」
「グライヴィッツだった」シュナイダーは守衛所の中に入って奥の小部屋に案内した。
作戦会議の時に会った医者がベッドの上のグライヴィッツを手当てをしていた。彼女は右腕を完全に失い、肩もほとんど首の根元まで抉れていた。首や脇腹まで皮膚が裂けていた。まだ太い血管を閉塞している最中で包帯も巻かれていない。荒い息をするたびに血が吹き出そうとしていた。当人は意識朦朧として虚ろな目で天井を睨んでいた。
カイは口に拳を当てて喉の奥がもぞもぞするのを我慢した。
「ギグリの奇跡」クローディアが言った。
シュナイダーは目の前でゆっくりと両手を打ち合わせた。
「ぺしゃんこだ。狙撃銃と腕はミンチだった」
シュナイダーは頭の方へ回り込んでグライヴィッツの頭を両手で包み額に額を合わせた。
「すまない。俺のせいだ。きちんと引き留めておくべきだった」
グライヴィッツは口を開けて何かを答えようとしたがそれは声にはならなかった。
ヴィカが入ってきて3人を前室に呼んだ。彼女は鎧のような銀色のボディアーマーを着込んでいた。
「ベイロンに対する直接攻撃は90分後。23軍司令部から知らせがきた。我々はその前に城を強襲する。上手く占拠できれば攻撃を止められるだろう」ヴィカは言った。
「俺も行きます」カイは言った。
「君の目的は彼女を取り戻すことだろう。逃げてもよかったんだぞ」
「いや、あなた方は俺を組み込んで今の作戦を始めたんです。今さら抜けられませんよ。それに、きちんと成功しなければクローディアはまたベイロンに追われることになる」
「いいだろう。確かに民間機の方が上手くベイロンに近づけるかもしれないな。我々が偽装なんて卑劣な手段をここで使うわけにはいかないが、君は正真正銘民間人だからな」
「私にも武器を」とクローディア。
「扱えるのか?」
「もちろん。射程が長くて連射が利くやつを2挺。ギグリの相手は私がやるわ」
「グライヴィッツの腕を見なかったのか?」とヴィカ。
「私はフェアチャイルドのお気に入りなの。彼女も本気でぶちのめすわけにはいかないわ」
「上手くいく保証などないぞ」
「わかってる」
ヴィカは守衛所を出てゲートの外に停めてある地下組織のトラックまで歩いて行った。荷台からアサルトライフルのケースを出して中身をクローディアに渡した。
セローP676‐A、これもエトルキアの制式銃だ。ヴィカはバトルドレスのアーマー部分をクローディアに被せた。フリーサイズなので細身の彼女だとなんだか亀の甲羅を被ったような感じだ。
「ちょっとデカすぎるか」とヴィカ。
「大きさはいいんだけど、翼が……」
確かに背中の装甲が翼の付け根に引っかかっていた。
「なるほど」ヴィカはそう言って携杖を取り出した。「ハート・エアレンド・フォルセオルファン(熱き光よ断ち切れ)」
杖の先から煙が立ち上り、杖の先端に触れたアーマーが糸ノコで切るようにゆっくりと切断されていった。切断面は溶けて縮れている。一種のレーザーらしい。アーマーの背中は両脇が半円状に切り取られてリンゴの芯のような形になっていた。
「これでどうだ」
「ああ、これならいいわ」クローディアは腰のバックルをぱちんと留めて試しに翼を動かした。
ヴィカはさらに彼女の太腿に腿当てを巻いてホルダーにマガジンを差し込んだ。2挺持ちでも手を使わずに再装填できるわけだ。
「しかし、足はどうする。俺はベレットに乗せてもらうつもりだったが、さすがに3人は入らないだろう」シュナイダーが訊いた。
「ヴィカのチームはどうするんです?」カイが訊いた。
「あれだよ」ヴィカは滑走路脇に並んでいるアネモスを指差した。
「戦闘機に乗っていくの?」とクローディア。
「乗っていくというか、乗せられていくんだ。腹の下に見えるの、あれは増槽じゃない。空挺用のポッドなんだ。ひとつ2人、ちょうど1機予備があるが――」
ひえっ。
「結構です」カイは拒絶した。
「まあ民間機ならと言ったがこのさい――」
「結構です」
「じゃあ仕方ない。観客の自家用機で速そうなやつを選んで徴発するか」
「レース機は使えないの?」とクローディア。
「それは危ない」シュナイダーが答えた。「できるだけ軽いエンジンで限界まで馬力を引き出すのがレース機だからな。ぎりぎり1時間持てばいいってチューニングで、1回本番で飛ばすと分解整備なんだよ。まあ無理させてもいいが十中八九途中でエンストだろう。むしろ全力で1時間を超えたら止まるように設計してあるといってもいいくらいシビアなのさ。練習や移動の度にそこまでの整備を必要としないのはパワーを押さえているからだよ」
その時クローディアが何か閃いた顔をした。
「あるわ。全力で飛んでないレース機」
足早に歩き出したクローディアを追って客席の前に歩いていくとそこにはぴかぴかの新型機が空に機首を向けて佇んでいた。
なんと……。
プリマ・プロストレーターV-2。職人技で名高いプリマ社の最新鋭機だ。限界まで削ぎ落とした細い胴体、芸術品のような優美な反りを持った主翼、クローディアと同じマジョーラカラーの黒い塗装……。
「ハリボテじゃないんでしょ?」クローディアはそう言ってエンジンカバーを叩いた。
シュナイダーがコクピットに上って計器盤を覗き込んだ。おそらく燃料計とイグニッションランプを確かめたのだろう。つまりこの飛行機が生きているのか死んでいるのかを確認したのだ。
「ああ、燃料だけ足せば飛べるぞ」
しかもプロストレーターはレーサー機にしては比較的キャノピーが大きく、当然防弾板など載せていないので、一番後ろまでキャノピーをスライドさせればシートの後ろに1人くらい潜り込むことができた。小柄なクローディアなら銃を抱えていてもまだ余裕があるほどだった。
カイはあとから乗り込んでセルモーターでエンジンを回し、片足で立ち上がって前を見ながら機体を滑走路まで持っていった。
シュナイダーが操縦するベレットが先行して離陸を始めた。
カイもキャノピーを閉めて続く。素直な加速だ。反トルクによる傾きもほとんど感じない。
「しっかりやってねパイロット様」クローディアが後ろから肩を叩いた。
「レースクイーン気取りだな」
「あら、失礼ね。私だってレッキとしたクイーンなのよ」
「まあね。君が出てきた時は不覚にも可愛いって思ったよ。アルルのおさがりよりずっといい」
「不覚って!」
「まさか、ベイロンの方がよかった?」
「あのスケベオヤジは嫌い」
「ならいいよ」
プロストレーターはベレットを追ってやや左に翼を傾けながら上昇していった。
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