バーティカル・ダイブ
レースの様子は客席向かいの大画面に映し出され、主催席にもモニターが置かれていたので余すところなく見ることができた。コースの各所に配置されたカメラや各機のコクピットに取り付けられたカメラから送られてくる映像をテレビ局の放送チームがスイッチして映していたのだ。
実況の声も会場に流れていたが、アナウンサーは先頭集団の動向を伝えるとともに大きく引き離された最下位の1機にも注目していた。いや、不調や軽いクラッシュで3機が脱落していたので正確には最下位ではなく21位だったが。パイロットはグライヴィッツという上位の常連らしい。
「一体どうしたんでしょうか。グライヴィッツらしくありません。これだけ遅れるということは機体にどこか不具合があるのでしょうか。しかし外観からわかる範囲では異常は見られません」
「さあ、トップのシュナイダーが後方から近づいてきます。グライヴィッツ、このまま周回遅れになってしまうのでしょうか」
「おおっと、これは、グライヴィッツ、ここで粘りを見せます。並んだっ! シュナイダーとグライヴィッツが並びました。まるでいたわるように並んだシュナイダー、そのままチームの2機が並んだまま……、今、フィニッシュ。シュナイダー、第1戦に続いて圧倒的な勝利を収めました。そして遅れること15、16、17秒、今2位で――」
ゴールと同時に客席から地鳴りのような歓声が沸き起こって実況を掻き消した。
クローディアは表彰式までのつなぎを務めるために全ての完走機のフィニッシュを待たずに主催席を出て客席の下に降りた。新型レーサー機のお披露目なのだ。実質初仕事、緊張した。客席の下にはカメラマンが集まってバリケードのように三脚を並べていた。
クローディアはレッドカーペットの上に引き出された飛行機の前でタイミングを待ち、テレビ局のディレクターの合図で飛行機に被せられた赤いクロスを引いた。
プリマ・プロストレーターV-2。名前だけは覚えた。飛行機の形の違いはわからなかったが、光沢仕上げの真っ黒な塗装は明らかに自分に合わせたものだと思えた。
クローディアがゆっくり翼を広げるとクロスを引いた時よりもたくさんのフラッシュが光った。それは少なからず優越感を呼び起こすものだった。翼を打ち下ろすとクロスが風をはらんでふわりと浮かんだ。いい手応えだ。きちんとやれている。
いくつかポーズをとっているうちにフェアチャイルドたちも主催席から出てきた。ギグリに呼ばれたのでクローディアは翼を畳んで付き従った。
表彰台の前で待っていると上位3チームが下から順に観客の拍手に迎えられて入場してきた。
優勝チームがレースクイーンに囲まれて登場した時、選手の紹介をしていたアナウンサーの声が上ずった。
「なんと、グライヴィッツではありません。サングラスをしているため目元はわかりませんが、男性です。この体格はグライヴィッツではない。そんな事前情報は入ってきていませんが、シュナイダーは急遽新しいチームメイトを迎えたようです。周回遅れになりながら最後にデッドヒートを演じたパイロット、気になるところですが、ここはシュナイダーへのインタビューを待つとしましょう」
カイだ。
サングラスなんて取らなくたってわかる。
クローディアには事情はわからなかった。ただそこにいるのがカイだという事実になぜだか急に自分の恰好が恥ずかしくなってきた。
まるでベイロンという幻術に染まりかけていたみたいじゃないか。
だがカイにはカイなりの考えがあるのだろう。
ここで変な反応を表に出してそれを台無しにしてはいけない。それだけは確かだった。
軍楽隊が表彰曲を演奏し、3チーム6人にフェアチャイルドがメダルをかけ、ギグリがトロフィーを授けた。
そしてアナウンサーがお待ちかねのインタビューに入った。
「おめでとうございます、シュナイダー。しかしあなた自身のことを聞く前に教えていただかなければならないことがありますね。あなたの今日のチームメイトが誰なのか」タキシード姿のアナウンサーがマイクを向けた。
「もういいだろう」優勝パイロットは一言だけ答え、隣に立っているカイに視線を送った。
「カイ・エバートです」カイはそう言ってサングラスを外した。モニターが彼の顔を大写しにした。
「少年、約束を反故にするとはな」クローディアの隣でエヴァレットが呟いた。彼も気づいていたのだろう。剣の柄にかけた左手に力が入っていた。
「エバート?」アナウンサーもそう呟いて短く顔を伏せた。そして場を盛り上げるためのセリフを淀みなく続けた。「ここにいる観客のみなさんならその名が持つ伝説はもちろんご存じでしょう。そしてその名を騙る罪の深さも。しかしご覧ください。疑うには及びません。彼の顔はかのファウロス・エバートの面影をあまりに強く感じさせるものです。私は今、もしかするととんでもない場所に居合わせてしまったのかもしれません。あえて訊きましょう、あなたは父上のかつての盟友、ハイドリヒ・シュナイダーに見出されたのですか?」
カイはマイクを向けられるのを待ってフェアチャイルドを指差した。
「そうです。アーヴィング・フェアチャイルドの罪を暴くために」
まるでカイがそう言うのを待っていたかのようだった。
表彰台の横に立ったフェアチャイルドとギグリの背後に
障壁が粉々に砕けると同時に銃弾の跳ねる甲高い音が響いた。
ギグリは間髪入れずに入射方向に振り向いて
ほぼ同時に飛行場の周囲で立て続けに爆発が起き、黒い爆炎が次々に吹き上がった。
襲撃?
だがカイもシュナイダーも驚いた顔をしていた。
彼らの企みではないのか?
考える間もなくエヴァレットが剣を抜いてカイに向かって駆け出した。
「カイ!」
クローディアが叫ぶと、カイはエヴァレットに気づいて背中からサブマシンガンを取り出した。ユニフォームの下に隠していたのだ。
だがエヴァレットも射撃の暇までは与えない。
カイは縦切りを受けるのが精一杯だった。2人はその体勢で縺れ合ったまま背後のスポンサーパネルをぶち破って飛んでいった。
クローディアは2人を追った。
カイは後ろに転がりながらマシンガンを装填して撃とうとしたが弾は出なかった。
エヴァレットの一撃で機関部が砕けたのかもしれない。
エヴァレットはその隙に容赦なく距離を詰めて掬い切りでカイを打ち上げた。
剣を受けたマシンガンがとうとう真っ二つに割れた。
だめだ。次はない。確実に切られる。
クローディアは後ろからエヴァレットに飛びかかって右手に噛みついた。
「邪魔するな!」
エヴァレットはクローディアを振り払ったが、その時クローディアの手に刃が触れた。それで傷つけてはいけないという理性が働いたのだろう、エヴァレットは剣を放した。
「こっちだ!」
起き上がったカイが殴り掛かったが、エヴァレットは振り向きざまの肘打ちと右ストレートの連撃をカイの顔にぶち込んだあと、鞘を抜いてフルスイングを鳩尾に叩き込んだ。
「少年、君が誰であろうと誓いを破る人間を生かしておく義理はない!」
カイは気を失ってゴムボールのように跳ねながら甲板の端まで飛んでいき、すさまじい勢いで手摺を突き破ってそのまま虚空に投げ出された。
「ああっ!」クローディアは思わず悲鳴を上げた。
下はフラムスフィアだ。それでなくとも千数百メートルの高さから墜落して助かるわけがない。
クローディアはエヴァレットに向けてハンマー投げのように剣を投げつけて甲板の端へ向かって駆け出し、そのまま縁を蹴って空に飛び出した。
体をまっすぐにして垂直降下。
カイの体は自然に手足が開いて減速姿勢になっていた。背中から落ちている。
よし、よかった、これなら追いつける。
クローディアが手を伸ばしてカイの体を捕まえるのとほぼ同時にフラムの雲に飛び込んだ。
クローディアは両腕でカイを抱きしめた。
カイが気づいて咳き込んだ。
「だめ! 息をしないで!」
クローディアはカイの口を手で塞いだが、カイは必死に息をしようと肺を動かしていた。どうしても隙間から空気が抜ける。激しい運動のあとの生理現象だ。どうしようもない。
クローディアは翼をいっぱいに広げて上旋回、水平に戻して進路を塔に向け、ハッチを探した。
最下層以下の塔外部は基本的に人の触れるものではないが、外壁の点検用に一定間隔でハッチが設けられているのだ。
あった。あれだ。黒い外壁に赤い四角が描かれている。
クローディアは直前で羽ばたいて減速、ハッチの下の小さな足場に降りた。
ハッチのロックハンドルを押し下げる。
だが数百年は閉ざされたままだったのだろう。簡単に動くわけがなかった。
カイがクローディアの手の横に手をかけ、一緒に力をかけるとハンドルはガクンと落ちてハッチが内側に開いた。
エアロックを抜けて塔内部の空洞に入るなりカイは猛烈に咳き込んで床にへたり込んだ。
塔の内部は気密構造になっている。通気構造にすると居住高度までフラムを吸い上げてしまうおそれがあるからだ。エリスヴィルの塔は上部が折れてしまっているが、その穴からフラムが流れ込んでこない限りはまだ安全だった。
上を見るとほとんど針の穴のような大きさの空の明るさが見えた。
塔の内部は真っ暗だった。床がどこまで広がっているのかもよくわからない。
「カイ、大丈夫?」クローディアは訊いた。
「大丈夫、これくらいなら吸ったうちに入らない」カイは答えながら起き上がって顔を拭った。鼻血がべったりと頬に伸びた。「鼻血だ……」
カイは鼻の穴を片方塞いで「フンッ」と思い切り血を吐き出したあと、ずるずると血を啜って頬を拭った。かなり痛そうな顔で鼻梁をつまんで左右に揺すった。
「折れてない?」
「たぶん平気だ。くそっ、腹も痛いな。絶対仕返ししてやる」カイはそう言って一息置き、それからクローディアを抱き寄せた。「ありがとう、よかった、飛べるようになったんだ」
「ギグリが直してくれたの」
クローディアはカイの背中へ回した自分の両手が血で濡れていることに気づいた。カイの血ではない。手のひらが切れているのだ。エヴァレットに振り払われた時に剣の刃に触れたのだろう。
「大丈夫か」
「深くない。血が滲んでるだけよ」
2人は互いに傷の手当てをしながらフェアチャイルドについて得た情報を共有し照らし合わせた。
「じゃあ、パールヴェーラーというのはギグリの肺珠をモデルにフェアチャイルドが化学的に合成したものなんだろうか」カイは言った。
「そうでしょうね。ベイロンといってももとが学園島だもの。進んでいるのよ。エトルキアはその技術を欲しがっているのかもしれない」
2人は改めて頭上のはるか遠い穴を見上げた。吹き抜ける風が笛のような音を立てていた。
「まずいな、そろそろ本隊が占領にくる時間だ」カイは腕時計を見た。「もともと演説が成功しなかった時はまともにドンパチやり合う算段だったんだ」
「ベイロンもこの島のように焼こうというの?」
「わからない。エトルキアもあえて壊そうとは思わないだろうけど、この島だってきっと結果的に壊れてしまっただけなんだ」
「行きましょう」
「行く?」
「フェアチャイルドを降伏させに行くのよ」
カイは頷いた。
「エレベーター坑を探そう。非常ボタンを押せばこの階にも止まるはずだ」
塔の内部は空洞だが、内壁には地下資源を汲み上げるためのパイプやコンベヤが這っている。かつて住民を島の上に運び上げるために使われたエレベーターも内壁に埋め込まれている。内壁に沿った足場を歩いていけば見つかるはずだった。
果たしてドアは見つけられたが、ボタンを押しても何の反応もなかった。
壊れているのだ。
「クローディア、君だけでも先に行きなよ」カイは残念そうに言った。
「あなたを抱えて飛ぶわ」
「それはさすがにきついだろ。いくらなんでもまだ本調子じゃないだろうし、ほぼほぼ垂直上昇だ」
「舐めないで。黙って掴まりなさい」
クローディアは腕を広げてカイが首の後ろでがっちりと腕を組むのを待った。彼の脇の下を抱えるように背中に手を回した。カイの体はやはりずっしりと重かった。人間というのはこんなにも重いのだ。当然だ。単独で飛行するための肉体構造ではないんだ。
「爆弾になった気分だ」カイはちょっとふざけて言った。
「母機より重い爆弾があるの? いいから、せーので床を蹴って」
クローディアは翼を広げて助走のように力いっぱい羽ばたいた。周りの埃が舞い上がって闇が曇った。
「せーのっ」
離昇、最初の50cmから先は水底から浮かび上がるようにゆっくりと昇っていく。
全力、全力だ。ホバリングというのは水平に飛ぶよりずっと力を使うのだ。
内部とはいえ塔の直径も数百メートルあるのでできるだけ横に距離を使って歪な螺旋を描くようにジグザグに昇っていく。
しばらく羽ばたいていると左翼の骨折部分が少し辛くなってきた。
「やっぱり別々の方がいいんじゃない?」カイは言った。手が滑ったりして本当の底の底まで墜落することを心配してるみたいな言い方だった。
「いいから、蹴って」
クローディアは1つ上の足場に近寄って手摺を蹴って体を持ち上げた。その次はカイもタイミングを合わせて一緒に蹴った。カイの力があると一気に勢いがつく。
水平速度がついてくると飛行自体はかなり楽になってきた。キックによる加速にも慣れてきた。
頭上の穴がだんだん大きくなっていった。空の明かりも少しずつ差し込み始めた。
結果20分ほどで塔の開口部に到達することができたが、その短時間で外の様子は一変していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます