アンフェア・デュエル
カイは塔の内壁に身を寄せて上の甲板の陰に隠れた。
エンジン音の主は塔の上をぐるぐると旋回しながら少しずつ降下してきているようだった。
カイは上の甲板に目だけ出して機影を確かめた。
四角い胴体、直線翼の両端に壺のようなエンジンポッド。灰色と黒の迷彩。
ルフト軍の空挺機――タニンだ。ベイロンの所属機か?
紋章までは見えないがおそらくそうだろう。
空挺機は排気口を下に向けてホバリングを始め最上階の甲板に降り立った。兵士を降ろそうとしているのだ。
「ベイロンだわ」カイの下に隠れていたクローディアが言った。
「逃げよう」カイはクローディアの手を引いて階段を下り始めた。
だが逃げるといったって、どこへ?
この島を出るのか?
だめだ。飛行機を調達できたとしても目立ちすぎる。すぐに追いつかれてしまう。
隠れるしかない。
「中下層まで行こう。あそこは空き家が多い。10人いても20人いても探しきれないさ」
工場の中も複雑で隠れ場所にはいいかもしれない。でもベイロンの兵士が入ってくれば働いているおやじたちに迷惑がかかる。機械を壊されたりしたら堪らない。
2人は時々後ろを確認しながら温室のエレベーターホールまでたどり着いた。
ラウラは大丈夫だろうか? いや、ベイロンだって見境なしに敵を作るほどバカじゃない。クローディアのことを尋ねられたとしても上手くあしらってくれるだろう。
まさかラウラが呼んだのか?
……いやそれはない。軍隊の行動というのはこんな数時間で準備が整うほど簡単なものではない。さしずめフォート・アイゼンでのエトルキアの行動に目をつけて俺の飛行機を探したのだろう。カイはそう考えた。
「あっ」上ってきたケージに乗り込んだ時、クローディアは小さく悲鳴を上げてカイに身を寄せた。
下を見ると中層の飛行場にもベイロンの空挺機が降りているのが見えた。横には給油中の戦闘機もいた。
退路を塞ぐなら飛行場を押さえるのは常套手段だ。当然だろう。
カイはケージの真ん中に立ち、クローディアをドアの横に隠してケージが止まるのを待った。
ケージが止まり、ドアが開いた。
案の定2人の兵士が表で待っていた。黒いボディアーマーとヘルメットを身につけ、サブマシンガンで武装していた。2人とも30代半ば、職業軍人といった感じだった。
カイはちょっとギョッとしたような表情を作り、敬礼しかけたみたいに半分だけ手を上げた。
「兄ちゃん、女の子を見なかったか? これくらいの、黒髪のかわいい子で、背中に翼をつけてるんだ」兵士が訊いた。
「黒髪の女の子? 市場にいませんでしたか?」
「羽が生えてんだぞ?」
「天使……みたいな?」
「ああ、もう、いいよ、行きな――」
兵士が言い終わらないうちに後ろから何かが近づいて彼らの頭を鉄の棒で殴りつけた。
カイは咄嗟に避けたが、はずみで引き金を引かれたサブマシンガンの弾が足元で跳ねた。
誰が殴ったのかと思えば、ヤードのおやじたちだった。
「ったく、危ないじゃないか!」カイは叫んだ。「クローディア、当たってないか」
「うん。大丈夫」
「悪い悪い。ベイロンの連中、その子を探してるみたいでな、お前が下りてくるのが見えたからこれはまずいと思ったんだよ」
2人の兵士は泡を吹いてドアの前にぶっ倒れていた。1人のおやじが彼らを上から下まで触って銃とナイフを外していた。
彼らを殴った鉄の棒――火掻き棒は打点で「へ」の字に曲がっていた。
ヤードで鍛えたおやじたちの全力だ。相当効いただろう。
「と、ともかく助かったよ」とカイ。
「持ってけ。クレーンで下ろしてやる」
カイは投げられた新しい火掻き棒を受け取って走った。クローディアもついてくる。走ると骨に響くらしく少し顔をしかめていた。
「クレーン?」と彼女は訊いた。
「さっき話したやつだよ。荷物を下に送るための」
「乗るの?」
「乗るっていうか、掴まるのさ」
クレーンのフックは穴の横に下ろしてあって、カイがそれに掴まってクローディアをしっかり抱き寄せると、オペレーター室にいるおやじがアームを旋回させて穴に下ろした。穴の向こうには吸い込むような青空が抜けていた。
「大丈夫? 私、いま飛べないわよ?」
「大丈夫、落ちないよ」
フックは下層甲板に向かって下りていく。中層甲板の巨大なアーチ支柱を抜けたところで、カイは最下層の旧飛行場に人だかりができていることに気づいた。
俺の飛行機が囲まれている?
あれもベイロン兵だ。
カイは小さく舌打ちしてブランコのようにフックを振った。
早く隠れなければ。
振り幅が中下層の甲板に届いたところで手を離し、手近な空き家に飛び込んだ。
今の動きを見られていたら危ないかもしれない。
5分ほど埃まみれのクローゼットで息を殺した。
「ねえ、カイ。私ね、ベイロンに捕まったらきっとレースクイーンをさせられるの。あなたの飛行機につくことだって、あるかもしれないわよ。それって悪くないでしょ?」クローディアはカイの左腕の中で震えながら言った。
「今はそんな話をしちゃだめだ」
「ダメならダメでいいの。あなたが無理することないわ」
「シッ」カイはクローディアの口を塞いだ。
大勢の重たい足音が家の中に踏み入ってくるのが聞こえた。
2人、いや3人。
やはりバレていたようだ。
カイは火掻き棒を握りしめた。
心臓の鼓動が死ぬほど大きく聞こえた。
そして1つの足音が目の前で止まった。
クローゼットの扉が揺れた。
カイは扉を突き破って飛び出すと、火掻き棒を振り回して目の前の1人の頭を叩き、そのままの勢いで向かいの一人の胸を突き、引き抜いて逆振りに隣の一人の足を払って引き倒し、胸を滅多打ちにした。
全力だった。反撃を許せば撃たれて死ぬに違いなかった。
「レート(光よ)。ヒンドリエ(遮断しろ)」
誰かが唱えた。
部屋の中が明るくなって戸口に白い服を着た男が見えた。
だが全身が痺れてまるで動けない。そう思ったのも束の間、気づくと家の外まで吹き飛ばされていた。
少し遅れて脇腹の痛みと剣の鞘で殴られたのだという視覚情報が意識に上ってきた。
カイが起き上がって火掻き棒を取ろうとすると、白服の男は「待て、少年」と言って制した。
「ヒンターラント、被害は」
「1人負傷、2人は死んでます」
男が家の中に訊くと副官が答えた。
「そうか」
男はカイに向き直ってマントを払った。白い詰め襟の軍服に革靴、裏赤の長いマントを身に着け、銃を持たず、腰に剣を佩いていた。そしてさらに5人ほどの兵士を引き連れていた。
「私はエヴァレット・クリュスト。ルフト同盟軍少佐、ベイロンの騎士」
「あなた、おんなじ自己紹介しかできないわけ?」クローディアは副官に右手を引っ張られてじたばたしながら表に出てきた。
白服の男はちょっと不愉快そうに咳払いした。
「身分を明かすのは礼節の
「カイ・エバート」カイは低い声で答えた。
「では、カイ・エバートよ、改めて剣を交えないか。君が勝てば私は潔く天使を諦めよう。私が勝てば君は大人しく彼女を手放したまえ。公平を期して銃と魔術は使わない。鞘は温情と思え」
カイは火掻き棒を構えた。
相手も剣を置いて鞘を素振りした。
「先程の打撃も痛かっただろうに。いい意気だ」
「しょっちゅうエトルキア空軍相手に喧嘩して鍛えてるんだ。舐めるな」カイは言い返した。
どう考えても相手は手練。
ハンデをもらったところでフェアとは思えない。
いや、部下に撃たせないだけフェアなのか?
距離10m。
カイは火掻き棒を横に振り出して走り出した。
徐々に構えを低く、相手がこちらの動きを読んでいるな、と感じたところで左手を押し込んで突きに変えた。
相手は鞘を立てて突きを弾いた。
カイは左手を相手の首に伸ばして鞘の動きを封じようとした。
だが相手は凄まじい力でそれを簡単に跳ね除け、カイの側頭部を殴りつけた。
カイは甲板の端まで吹っ飛び、手から離れた火掻き棒はそのまま滑って虚空に落下していった。
どれだけ殴られても耐えればいいはずだ。カイはそう思っていたが、一撃で頭が朦朧として体に力が入らなくなってしまった。
カイはただ地面に突っ伏していた。
「では約束通りだ。――彼はそのままにしておけ」
男は部下たちにそう命じ、自分でクローディアを抱えて去っていった。
カイの意識は途切れた。
次に気づいた時、アルルが頭の傷の手当てをしていた。場所はそのまま。気絶していたといっても長くて2,3分だろう。
「クローディアは?」カイは訊いた。
「ベイロンが連れていったわ」
「見てたのか」
「うちにも訪ねてきたもの」
カイは脇腹に手を当てた。肋骨のやや下だ。
「そこも殴られたの?」
「なんとか。折れてない」
真上に中層甲板の真っ黒な裏側が見えた。クレーンの穴がぽっかりと空いていた。
これで終わりなのだろうか、とカイは思った。
俺はまたこの島の上で飛行機を作り、クローディアはベイロンに囚われて、いつかレース場で出会うのだろうか。
クローディアの言った通りになるのか?
でも彼女は絶望的にそれを語った。
それじゃいけないはずなんだ。
その時、エンジン音が聞こえた。
雷に似た戦闘機のエンジン音だ。
ベイロンのアルサクルだろう。空挺機の護衛についてきたのだ。
カイはそう思ったが、顔を上げると島の周りを旋回しているのはエトルキアのアネモスだった。
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