プロローグ

プロローグ:強襲

 ファロン西空域、高度1200m。

 澄み渡る青空と渦巻く黒雲の境界、爛気圏フラムスフィアの上層を一機の輸送機が悠然と飛んでいた。

 全幅70mにおよぶ長大な主翼の両端に耳棒付き二重円――エトルキア軍の識別マーク。

 その下方、黒雲の中から別の飛行機がシルエットを現した。

 大きさは輸送機の三分の一ほど。機首が長く、主翼の中間に古典的なエンジンナセルを備えている。

 ルフトの空中強襲機らしい。雲を引きながら青空に抜け出したその機体は影に溶け込むように黒い。機首側面に描かれた所属都市を示す紋章は手足に宝玉を掴んでくねくねと体を曲げた龍。ベイロン所属機だ。

 強襲機は輸送機のレーダーと防護銃座の死角を縫って上昇、距離を詰めていった。

 エトルキアの護衛が気づいた。2機の戦闘機が強襲機を狙って500m上空から急降下に移った。

 しかし強襲機も単独ではない。1km後方に控えていたベイロンの戦闘機が突っ込んでエトルキア機の前方に斉射、回避を促して戦闘機対戦闘機の空戦に持ち込んだ。

 その間に強襲機は輸送機の真後ろに躍り出ていた。

 回避機動を取る暇は与えない。

 後方にロケットスラスターを噴射して急加速、尖った機首を輸送機の尾部カーゴドアに突き立てた。

 機首は油圧ジャッキの力で嘴のように上下に割れ、カーゴドアを破壊しながらこじ開けるや否や、その機首下部を伝って完全武装の戦闘員10人余りが輸送機の貨物室に飛び込んだ。

 爛気対策のガスマスクで顔を隠した彼らは整然と複合装甲の大楯を構え、一切発砲せずに前進していった。

 エトルキア側の警備兵6,7人は物陰に隠れて一方的に射撃していたが、ベイロン側はそれをものともせず接近、数で押して拳銃やナイフの肉薄攻撃で1分とかけずに一方的に制圧してしまった。

 ベイロン側はそのまま輸送機の上部キャビンとの連絡タラップを封鎖、アーマーの胸に紋章をつけた指揮官らしき1人が貨物室の中央にポツンと係留された箱型の荷物に歩み寄り、上に被せられた幌を引き剥がした。

 中身は一部屋ほどもある大きな檻で、その中に一人の少女が座っていた。少女は大判のマントを纏っていたが、それでもわずかに覗いた首元や腰回りはもうひと月くらい何も口にしていないのではないかというほど痩せこけ、枝のように細った手足には枷が嵌められていた。フードの陰になっているが、髪は黒く、サファイアのように深く青い瞳を持っていた。

 どうやらベイロン側が発砲しなかったのは彼女に流れ弾が当たるのを避けるためだったようだ。

 指揮官が檻の前でマスクを脱いだ。ブロンドの貴族然とした男だった。

「私はエヴァレット・クリュスト。ルフト同盟軍少佐、ベイロンの騎士。君の解放に馳せ参じた」男は口上のように言った。「天使よ、空腹ではないか?」

 少女は顔を上げた。

「一緒に来てくれるなら好きなものを食わせてあげよう」

 男はそう言うと懐から取り出した小さなプラズマナイフで檻の錠を焼き切った。

 檻の扉が開くと少女は男に向かって両手を差し出した。

 男はその両手をつなぐ手枷の鎖も同じように焼き切った。

「悪いが足枷は切れない」

 少女は頷いた。それは唾を飲み込む仕草に見えなくもなかった。喉が渇いて声が出なかったのかもしれない。

 男が伸ばした手を少女は弱々しく握った。

 しかし――。

 次の瞬間には少女は全身の力を込めて男の手を引き寄せていた。

 そしてわずかによろめいた男の顔面を思い切り踏みつけた。

 すると少女の足首にあった足枷に閃光が走った。

 誰かが切ったわけでもない。そこに切れ込みや火薬が仕掛けられていたわけでもない。

 その鋼の塊は左右で真っ二つに割れて男の顔面や肩に降り注いだ。

 少女が何らかの方法で足枷を割ったのか?

 手首にあった枷も同じように割れ、やはり男の真上に投げ上げられた。

 男は両手を出して3つまでは受け止めたが、最後の1個が額に落ちた。

 少女が男に手枷の鎖を切らせたのは油断させるためのブラフだったというのだろうか。

 男の顔面を踏み越えた少女は脱兎のような足の回転で貨物室の後端まで走り抜け、強襲機の嘴の隙間から身を乗り出した。

 そして男の顔を確かめるかのように少し振り返ると、直後には背面飛びで虚空に飛び出していた。

 男は手を後ろに開いて味方たちが発砲しないよう制止、そのまま後を追って隙間から下を覗き込んだが、少女の姿はすでに黒雲に紛れてしまって探しようもなかった。眼下には赤い稲光の走る分厚い雲が走っているだけだった。

 男は何食わぬ顔(蹴られた鼻っ柱がやや赤くなってはいたが)で体を起こし、引き返して檻に入った。部下の一人がそれに従い、男の横にしゃがんで床に落ちていた羽を1本拾い上げた。

 檻の床にはまるでネコに襲われたハトの墓場のように羽根が散乱していた。

 彼はマスクを上げて肉眼でその羽根を確かめた。

「黒い……」 

「ああ。あれは必ず見つけ出さなければならない」ブロンドの男は言った。

「しかしマスクなしでフラムスフィアに潜るなど自殺行為では」

「いや、天使にフラムは効かないさ。我々人間とは違うのだからな」


 戦闘員を収容した強襲機は嘴を閉じて輸送機から分離、50mほど上昇してやや機体を傾け、胴体側面の銃座を輸送機に向けて主翼の上面を端から端まで撃ち抜いた。

 エトルキアの輸送機はその弾痕の方々から火を噴きながら雲の下へ沈んでいった。

 戦闘機同士の空戦も決着していた。

 最後のエトルキア機も幾多の被弾を負ったまままま急旋回に入り空中分解、スピンに入ったところをベイロン機に射抜かれ爆散した。

 ベイロンの2機の戦闘機はほぼ無傷のまま強襲機に翼を連ね、まだ爆炎に仄赤く染まる黒雲を後に去っていった。


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