14話「不器用な片想い」






   14話「不器用な片想い」





 車に乗り込むと、千絃は車を発車させずに響の方を見つめていた。

 響はどうしていいのかわからずに、彼を見返していると、千絃の手が伸びてきた。

 そして、響の左目にそっと手を当てた。そこが傷があるとわかっているように、優しく労るような手つきだった。



 「…………目、見えなくなってるのか?」



 やはりこの人は気づいていたのだ。

 話していたから当然かもしれないが、それでも会う前から薄々気づいていたのだろう。


 響は苦笑しながら、小さく頷いた。



 「うん。左目がね。少しずつ見えない部分が増えてるの」

 「今日はそれが原因か?」

 「そう。見えない部分は音とか気配で何とか感じていたんだけど、最後のは気づかなかったわ………」

 「緑内障………」



 最後の彼の言葉は自分のために溢した言葉なのか、とても小さなものだった。

 緑内障。眼圧が異常に高くなる病気で、少しずつ視力が弱くなり、見える視界が狭くなっていくのだ。それを学生の頃に発症し、響は治療していた。が、少し前に見えない部分が広くなり、剣道の稽古や試合で、支障が出始めたのだ。そのため、響は選手生命を終えることに決めた。


 そして、今回の怪我もそれが原因だった。いつもは気配や音などで察知していたが、「そろそろ終わりだろう」という油断から完璧に警戒を怠っていたのだ。そのため、見えなくなった部分にスタッフが居ると思わなかったのだ。あの男性に悪いことをしてしまったと、響は反省していた。



 「悪かった。早くに止めるべきだったな」

 「千絃は止めてくれたでしょ?私が無理を言ってお願いしたんだから、私の責任よ。それにこれぐらいの傷は何ともないわ」

 「…………家まで送る。今日は休めと関さんにも言われた。後、さっき買ってきた弁当あるから。その腕だと動きづらいだろ」



 そう言って、千絃は視線を後部座席へ向ける。響もそちらを見ると、お弁当やお菓子、スポーツドリンクにジャスミンティーなど、いろいろなものがビニールに入って置いてあった。

 先ほど、いなくなったのはこれを買いに行っていたのだと知り、響は胸の奥がぎゅーっと締め付けられた。



 千絃の事がわからない。

 けれど、こうやって優しくされるのは嬉しいし、理由が理解出来ない。

 嫌われているはずなのに、守ってくれたり、褒めてくれたり、優しい笑みを向けてくれる。


 約束を破ったくせに、病気の事を覚えてくれている。



 響の感情は限界まできていた。







 「千絃の考えてる事………わからないよ」

 「え………」



 気づくと響の口からそんな言葉が発せられていた。自分の声で、それに気づいたけれどもう止める事が出来なかった。

 今まで我慢してきた感情が、溢れ出て暴走ひてしまう。



 「約束破って目の前からいなくなったくせに、突然目の前に現れるし、優しくしたり、ジャスミンティー好きなの覚えてくれたり。私の事褒めたり、昔みたいに笑ったり………怪我を心配してくれたり。それなのに、いじわるまでしてきて私の事からかうし。………千絃は私を嫌いなら優しないでよ。仕事なんて誘わないで………キスなんて、しないでよ………!」



 思いつく限りの事を千絃にぶつけ、最後は悲痛な叫びに近かったかもしれない。泣きそうになりながら彼を見つめる。

 千絃は少し目を大きくしながら、響を見ていたけれど表情は真剣なものだった。


 響は言い終わると、視線を逸らした。ただ気持ちを伝えただけなのに、息が上がったようにはーはーっと早い呼吸になっている。それを隠すように顔を背けて包帯がついた腕を掴む。ジンジンとする痛みが少し強くなった。



 「…………俺はおまえをいじめたつもりなんてない」

 「いじめてるじゃない!キスなんて………何とも思っていない私にキスするなんて。からかって私の反応を見て楽しんでるんでしょ………」

 「っ!………そんなつもりじゃないって言ってるっ!!」



 大声を上げたと思うと、千絃は響の肩を掴み抱きよせてくる。言葉は乱暴なのにその力はとても優しく、響の怪我をいたわっているのがわかった。それが、今の千絃らしさを感じさせる。



 「離してっ………そういう事をして私を惑わさないで……」



 千絃の胸を右手だけで押すが、片手では千絃に到底敵うはずもない。響はドンドンッと胸を叩くけれど、びくともしない。それどころか、彼の腕は強くなり、響は千絃の体に強く押しつけられる。彼の香りに包まれて、どうしていいのかわからなくなる。



 「おまえを仕事に誘ったのは、俺がおまえの剣が好きだからだ。昔から凛とした強さとしなやかさがとっても綺麗だと思ってた。だから、いつか会いたいって思ってた」



 この人はどうして本人の目の前で綺麗とか好きだと言えてしまうのだろうか。

 響はその言葉にドキドキしつつも、それを隠すしか出来なかった。抱きしめられて、そんな事を優しく話されたら誰でも少し期待しまうのだから止めてほしいものだ。




 「そんな事言われたことなかった」

 「こんな恥ずかしい事そんなに簡単に言えるはずないだろ。それに、モーションの時に少し話しただろ」

 「………キスしてくるのは何で………」

 「おまえ………本当にそれわかんないのかよ」



 耳元でため息が聞こえてくる。

 千絃は「……わざとなのか?言わせたいって事なのかよ」と、何かぶつぶつと言っているので、響は「何?」と顔を上げて彼を見上げる。

 すると、悔しそうな顔をした後に千絃は、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 キスをされると思ったけれど、その唇は頬に落とされ、そのまま響の耳元に彼の口が寄せられる。



 「俺の初恋も、好きな奴もずっと変わらずにおまえだけだ」


 

 時が止まったように感じるとはこんな時なのだろう。

 響はまるでスローモーションのように、彼をゆっくりと見上げた。その言葉の意味を理解するのに時間がかかり、思わず千絃の顔をまじまじと見てしまう。見慣れた無表情よりも少しだけ柔らかく微笑んだ顔。ほのか赤くなる頬は彼が照れているのがわかる。


 それを頭の中で考えた結果に彼は嘘をついているわけではないと理解した。もちろん、こんな嘘をつくような人間ではなのは知っている。




 「………何で今さらそんな事言うのよ……そんなのおかしいよ……」

 「昔から好きだった。剣道に真剣な所も、自分は強いからって泣かない所も。本当は病気の事で不安だったはずなのに、いつも笑顔な所も。そして、俺だけに弱い所を見せてくれるのが嬉しかったんだ」

 



 千絃が自分に想いを寄せてくれている何て思ってもいなかった。考えもしていなかった彼の気持ちに、響の心は揺れていた。

 自分の気持ちを伝えるだけになるだろうと思って覚悟していた。

 もう職場が同じの幼馴染み、というだけの関係になってしまうはずだと思っていた。


 それが彼が自分を好いてくれている。

 信じられない事だった。



 けれど、彼が抱きしめてくれる温かい体温とゆったりとした口調。少し早くなった彼の鼓動。それらが真実だと告げている。





 「おまえは違った?俺の事、好きじゃなかった?」

 「………好きだった。………離れたくなかった。忘れようとしてたの………」




 やっと自分の本当の気持ちを言葉に出来た瞬間に響は涙がこぼれた。

 そんな響を千絃は優しく微笑みながら見つめ、指で涙をすくってくれる。



 「やっと言ってくれた」



 その笑みはどこか昔を思い出す少年のような笑みで、響はまた胸が高鳴るのを感じた。



 「好きだからキスしたい……今、してもいいか?」

 「………前からそう言って欲しかった」

 「そうか、悪かった………。大切にする、絶対に。好きだ、響。」

 「私も………」



 今までのキスの中で1番優しくて、気持ちを確かめ合うようにゆっくりとした口づけは、響の涙を溶かしていくほど幸せなものだった。


 長いながい2つの片想いは、今やっと結ばれた。



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