12話「金木犀の香り」






   12話「金木犀の香り」





 最近の自分は泣いてばかりだな。

 響は、そんな風に思いながら、トホトボと一人帰り道を歩いていた。

 ある程度泣いた後はすっきりするのか、涙が出ることはなくなった。すぐに泣き止むのは大人になった証拠なのかなーと思ってしまう。


 けれど、どんなに試合で悔しい結果が出ても、怪我をして取り残されたような気分を味わった時でも泣くことなんてなかった。

 それなのに、どうして一人の男性の事になると涙が溢れてしまうのだろうか。

 自分の中で幼馴染みである千絃の存在は大きいものだというのを千絃は実感した。そして、彼との約束に縛られているという事も。




 「こんばんは、漣さん」

 「和歌さん!こんばんは。お買い物ですか?」

 「そうそう。今日は冷やしうどんにしようかと思ってね」



 帰り道、管理人である和歌とバッタリ会ったのだ。和歌はカタカタと下駄を慣らしながら歩いている。響が近づくと、ニコニコしながら買ってきた食材が入ったビニール袋を見せながら夕飯の話をしてくれた。

 ゆったりとした時間が流れ、響はつかの間の平穏を楽しんだ。



 「おいしいそうですねー!サラダうどん。今度、やってみます」

 「うん。暑くなってきたら、さらに食べたくなるものだからおすすめだよ」



 優しく笑う和歌は、とても大人の雰囲気を持っている。安心感を感じられるのは、自分よりも年上だからなのか。それとも彼の優しさがそう感じさせるのか。響はどちらもそうなのだろうなと思った。



 「………また、泣いた?」

 「え……」

 「それか、悩んでるとか?どよーん、としてるから」

 「………どうして、和歌さんにはバレちゃうんですかね」

 「漣さんとは長いからね。中庭のお友だちだなら」



 彼の言葉は、スーッと体に染み込んでくるようにホッとする。和歌に相談してもいいだろうか?と悩んでいると、彼は続けて言葉を掛けてくれる。



 「漣さんが悩んでいるのは、あの時の彼かな?車で迎えに来た」

 「そうです。幼馴染みで、仕事に誘ってくれて……でも、彼の考えている事がよくわからなくて」

 「そう………。でも、わかる事もあるだろう?」

 「わかる事、ですか?」



 ゆったりとした和歌の声。

 そして、低音がとても心地いい。



 「自分の事はわかるだろう。泣いたという事は悲しかった、辛かったんだと思う。けど、それはよく考えてみれば、泣くほどに大切な人。そうは思わないかな?」

 


 気づかないようにしていた言葉を声にされると、ハッとしてしまうものだった。

 和歌の話した事を耳にして「あぁ、やっぱりそうか」と、納得してしまった。

 私は、千絃に好意を寄せ始めているのだ、と。いや、もしかしたら昔からなのかもしれない。離れてしまったのが寂しくて、目の前から去ってしまった時は堪らなく悲しかったのだ。彼を忘れてしまおうと、「約束を破った最低な幼馴染み」という怒りの気持ちだけを持つようにしたのだ。そうすれば、もう千絃を忘れられると思ったから。

 けれど、千絃の再開して、少しだけ期待してしまったのだろう。

 約束を果たしてくれるんじゃないか。

 会いに来てくれたんじゃないか。


 けれど、実際は違った。

 振り回すだけ振り回して、いつも去ってしまう。何も言ってくれない。

 だから、やはり彼は自分が嫌いなんじゃないか。

 だからこそ、感情が不安定になり涙を流す事が多くなっていたのだろう。



 「そう、かもしれません………」

 「そうか。気づいてよかったね。君を泣かせてしまうほど不器用な人なのだろうから、自分の気持ちや思いは伝えなければいけないだろう。その方がきっと自分にとっても彼にとってもいい事だと思うよ」

 「はい………」

 「あ、でも泣かされすぎは不安だから、何度も泣くような事があるなら僕に言ってね。大切な中庭のお客様なのだから」




 和歌に言われて気がついた。

 いや、やっと気持ちに素直になったのかもしれない。私は千絃が気になっている。

 認めてしまえば、それはもう変えられる事は出来ない。だからこそ、それに気づかないようにしていたのだろう。



 「和歌さん。ありがとうございます」

 「うん。頑張ってくださいね」



 話をしている内に、いつの間にかマンションに到着していた。

 そう言って和歌はヒラヒラと手を振って帰っていく。すれ違う時に、金木犀の香りを感じ思わず彼の姿を追ってしまう。和歌はいつも甘い香りの金木犀の香りを身に纏っていた。とてもいい香りだなと感じていたので、今度どんな香水を使っているのか聞いてみよう、と思った。


 もちろん、今日のお礼も忘れずに。




 




 「昨日は悪かったな」

 


 いつものように、千絃が家まで迎えに来てくれた次の日。

 会ってからすぐに千絃は気まずそうにしながらも、そうやって謝ってくれた。

 彼は強気な部分があるが、本当に悪いと思った事にはしっかひりと謝罪してくれる所が昔からあった。千絃に貸した本を彼が誤って汚してしまった時は新しい本を買って「悪い。汚した」とぶっきらぼうに本を差し出してきた事を思い出してしまった。


 どうしてキスなんかするの?

 そう聞きたい気持ちは山々だった。けれど、今から大切な仕事が待っているのだ。

 響はグッと我慢する事にした。



 「……ねぇ、千絃。今日の夜って空いてる?少し話がしたいんだけど………」

 「あぁ。大丈夫だ」

 「ありがとう。じゃあ、千絃の仕事が終わるまで待ってるね」

 「わかった。」

 


 あっという間に終わった会話。

 でも、それでも進展を予感するような展開に、響は思わず笑みをこぼした。

 彼の気持ちが知れるかもしれない。そして、自分の気持ちも伝えられるかもしれない。

 そう思うと、怖いと思いつつも、何故だか楽しみでもあった。


 長い年月会えなかった時間は、千絃との距離も遠いものになっていたのかもしれない。

 けれど、本音で話せばきっと前みたいに戻れるかもしれない。

 それが、例え自分の気持ちを伝えて、千絃に断られたとしても、きっと友達には戻れるのではないかと期待してしまう。


 約束を破って理由も。キスをするわけも。

 そして、仕事に誘った事も。


 きっと何かあるのだろう。


 2人きりで過ごす夜の時間の想像しながら、響はゆっくりと走る車から新緑の木々と街並みを見つめて仕事場へと向かったのだった。









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