8話「変わらぬ横顔」
8話「変わらぬ横顔」
☆☆☆
最後に千絃と会ってから、5日が過ぎた。
響は早く次の仕事を決めようと動いていたけれど、なかなか決まらないものだった。
きっと剣道の仕事にすれば決まったかもしれない。全日本や世界大会での選手となれば、学校や道場での顧問にもなれただろう。実際、その誘いもあった。
けれど、自分が試合に出れないのに人に教えられるほど、まだ心の準備が出来ていないのだ。昔から、考えていた事なのに………。
全く違う職種である事務や販売をしようと申し込みをしたこともあったけれど「経験なし」というと、いい顔をされなかった。
それに、きっと自分自身が「本当に出来るのだろうか」という不安もあり、きっと相手もそれを敏感に察知されていたのかもしれない。
上手くいかずため息ばかりの日々。
そして、そんな時に思い出すのは、千絃からの突然のキス。
彼は出来心だったかもしれない。
たかがキス。かもしれないけれど、響にとっては気持ちが不安定になってしまうほどに影響を受けていた。
唇の感触や味を思い出してはドキドキしてしまう。けれど、それと同時に怒りの感情も沸き上がってくるのだ。
「千絃のバカ……!」
そう言って枕を叩いて過ごした夜が何日も続いたのだ。
けれど、そんな彼と会う事ももうないはずだった。もし会うことがあっても、あと1度だけ。
だから、忘れよう。
そう思い続けても、彼の事を思い出してしまっていた。
モヤモヤした時間を過ごすのも嫌で、それを忘れるためにも竹刀を振ったり、体を動かしたかったけれど、中庭も行きにくかった。先日、泣き顔を和歌に見られてしまったからか、彼に会うのか恥ずかしかったのだ。それに道場も誘われていたものへの返事も決まっていないので行きずらいのだ。
思いきり竹刀も振れない日々だったため、部屋で筋トレをして過ごすしかなかった。
そんなある日。
とうとう、千絃の会社から連絡が来た。
電話の相手は千絃ではなく関だった。そろそろ動画が出来そうなので見てほしいとの事だった。響は「すぐに伺います」と返事をしたけれど、動画サイトには更新されていなかったので、おかしいな、と思った。関は出来上がったらサイトに更新すると話していたからだ。
不思議に思いながらも発表する前に教えてくれたのかもしれないと思い、急いで準備をした。
道中は断るために台詞を考えながら向かったけれど、やはり動画がどんなものに仕上がっているのか楽しみもあった。
複雑な心境のままに、響は再び千絃が待つ会社へと向かったのだった。
出迎えてくれたのは関だけで、千絃の姿はなかった。彼の姿がなかった事に安心してしまう事に気づき苦笑した。あんな事があった後なのだから、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
関の後をついていくと、また同じ会議室に案内された。
「わざわざ来ていただきありがとうございます。なんですが、実はまだ完成していなくて………」
「そうなんですね。時間はあるので待ちますよ」
「すみません。完成はしているんですが、月城が納得出来ない部分があったようで、手直しをしているんですよ。今も、まだ作業中でして」
そう言って、関は廊下の方を見つめた。すると、ガラス張りになっている個室にこもって、PCに向かって仕事をしている千絃の姿があった。窓越しに見られている事も気づかずに集中して作業をしているようだった。
「普段は自分のデスクで仕事してるんですが、どうしても集中したいときは、あそこの小さな部屋を使ってこもるんですよ。あそこだと集中出来るそうで」
「そう……なんですね」
真剣な眼差しでパソコンの画面を見つめる千絃に響は釘付けになってしまった。その横顔や瞳は、あの頃剣道の稽古をしている時と全く変わっていなかった。彼はあそこで戦っているのだ、と感じられた。
「月城とは知り合いなのですよね?」
「え、えぇ……幼い頃の友人です」
「そうですか……。ここからの話は月城には言わないで欲しいんですが、スタッフ達で動画を作り上げた後、彼が手直しをしたいと申し出たんですよ。ですが、私はゲーム本体のものではない宣伝のものなので、細かい所は気にしなくていいと言ったのですが………あいつは「あいつが見て少しでもがっかりするようなものは見せたくないんですよ。それに今後の仕事にも関わってくるのでやらせてください」って言ったんですよ」
「………ぇ………」
「あいつは、漣さんの剣舞や剣がこの世界で活躍すると信じているようでしてね。いや、私もそうなんですが………漣さんの実力を信じているみたいなんですよ。なので、ぜひ動画を見て、しっかりと決めて欲しいのです。もちろん、動画は私たちの自信作です。ですが、月城の気持ちも知って欲しかったので。話させていただきました。……どうも、あいつは不器用なんでね」
そう言って苦笑しながら千絃を見つめ熱く語った関。彼は部下である千絃を尊敬し、そして気持ちをよくわかっているようだった。自分の事をよく知り、実力を認めてくれる上司がいるのだ。千絃は良い会社にいるのだな、と思った。
響はその関の言葉を聞き、胸の奥が熱くなるのを感じた。
そして、彼と同じように千絃を見つめた。
「………そうですね。私も、そう思います」
そう微笑みながら、鋭い眼差しで画面を見つめる千絃を見守ったのだった。
千絃が響が居る会議室に入ってきたのはそれから1時間もかからない頃だった。
千絃は「すみません……お待たせしました」と、仕事の相手のような口調で謝った。関も同席していたので当たり前だが、それがとても新鮮だった。
「納得いくものは出来なかな、月城」
「はい、おかげさまで」
そう言って、手に持っていたノートパソコンを開いて操作を始めた。そして、すぐに千絃の前にパソコンを置いてくれた。
「あまり長い動画ではないですが、私たちが作った現在の最高傑作です。響さんの魅力を最大限に使っていると自負しています」
そう言って満足げに微笑んだ千絃は、動画の再生ボタンを押した。
すると、夜の森が映し出された。けれど、一角に明かりが灯っている場所があった。そこがアップになると木で作られた平舞台だ。周りには松明の炎が明かりの正体だった。
その舞台の真ん中に、黒髪が綺麗な女の子が立っていた。長い髪は風に揺れ、彼女が着ている少し変わった和装はどこか巫女のようだった。とても綺麗なのに、手にしているのは長細い刀だった。顔がアップになると、真っ赤な唇が妖艶に光っていた。
そして、どこからともなく聞いたことがある音楽が流れた。響が剣舞を踊った音楽の変わりに動画で流れたものだ。
その女性はどこか冷たい表情のまま剣舞を舞う。それは、響が踊ったものと全く同じだった。
神秘的な雰囲気と音楽、綺麗なCGの映像。異世界だとわかっているが、こんな世界がどこかにあるのではないかと思わせてくれるほどリアルなものだった。
響はその動画を見ている間は、声を発するのを忘れるほどに見入ってしまった。
それほどに、千絃達がが作り上げた物は、響の心を揺さぶった。
そして、少しずつ気持ちの変化が起こっている事に響自身も気づいてしまった。
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