7話「冷たい指と熱い唇」






   7話「冷たい指と熱い唇」





 千絃の指先はとても冷たい。


 触れられた頬は熱さを感じていたので、とても気持ちいいなと思った。

 けれど、そんな余裕は一瞬で、響は唇や舌で与えられる感覚に翻弄されていた。


 響が驚いて動けなくなった隙に、千絃のキスはあっという間に深くなっていった。ピチャッと水音が耳に入ると、体が震えた。

 やっと体が動くようになり、彼に抗議の声を伝えようとしたけれど、頭の後ろをガッチリと押さえられてしまい、キスから逃げることが出来なかったのだ。彼の胸を押して抵抗したけれど、全く動かないのだ。やはり彼は男の人なのだと実感してしまう。どんなに鍛えていても、敵わないのだ。



 そして、目の前の幼馴染みはどうして自分に酷いことばかりするのだろうか。

 無理矢理キスをして、そして大切にしていた約束を、心の拠り所になっていた約束を破ったのだから。

 そんなにも、自分の事が嫌いになってしまったのだろうか。あんなにも仲がいい幼馴染みだったのに。



 そんな事を思うと、響の瞳には涙が浮かんできた。彼の前で泣きたくない。弱さは見せたくない、そう思うのに1度流れた涙はなかなか止まらないものだった。

 先ほどよりも力を込めて強く彼の胸を押すと、やっとの事で千絃の腕が緩みキスから開放された。




 「………やめて………」




 もっと強くに声を上げたかったけれど、体に力が入らないのか弱々しい声になってしまった。

 彼に見られる前に顔を背けて涙を隠そうと手で涙を拭おうとするけれど、今度は千絃に手首を取られてしまう。




 「はっ、離してよ………」

 「おまえ、何泣いてるんだよ………」




 響の頬についた涙を千絃は舌先で舐め取ってしまう。更に驚いた行動をしてくる千絃に目を大きくして彼を見た。

 けれど、今は恥ずかしさより怒りが増していた。



 「泣くに決まってるじゃない!?何で………何で私にキスなんてするの?」

 「おまえが何かお礼をするって言ったからだろ」

 「そ、そんなのおかしいよ!!」

 「俺がキスしたかったから」

 「………っっ!………」



 あまりの自分勝手な言葉に、響は絶句してしまう。泣きそうになるのを必死に堪えながら彼を睨み付けるが、それでも千絃は全く気にする事なく響を見て笑みを浮かべている。




 「……最低ね」

 「おまえがお礼したいって言ったんだろ」

 「キスはいいなんて一言も言ってないわっ!」

 


 響はそう大声を上げた後、涙が出そうになったので、咄嗟に車のドアを開けて逃げ出した。

 彼は止める事も声を掛ける事も、追いかけることもなかった。

 泣かれている姿を見られる事も嫌だったし、千絃の言葉からも逃げたかったしで、良かったはずなのに、何故かまた胸が締め付けられた。


 涙を拭きながら、足早に部屋に帰ろうとした時だった。



 「あ、漣さん、おかえり。他の人のポストに君の手紙が入ってたみたいだから、今預かったよ………」

 「っっ………」



 丁度部屋から出てきた和歌と鉢合わせしてしまったのだ。響は咄嗟に顔を隠したけれど、和歌は途中から響の異変に気がついたようで、声音が変わっていくのがわかった。


 そして、心配そうに「漣さん?」と名前を呼んで近づいてくるので、響は泣いた顔のまま笑顔を見せた。笑えば誤魔化せると思ったのだ。

 けれど、そんな響を見ても和歌はかえって表情を曇らせるだけだった。

 うまく笑えていなかったのかもしれない。



 「大丈夫?泣いてたよね………何かあった?」

 


 そう言って和歌は響の顔を覗き込んだ。

 いつもよりも顔が近く、響は驚いてしまう。けれど、和歌の長く艶のある睫毛や女性が羨む白い肌が目に入り、思わず見いってしまう。


 不思議そうに響の返事を待つ和歌の視線に気づき、響はハッとした。



 「だ、大丈夫ですよ!何でもないです」

 「本当に………?」

 「欠伸しただけですよ。間抜けな顔を見られたと思って思わず顔を隠しちゃいました」

 「…………泣いてない?」



 響の言葉が信用出来ないのか、それでも心配してくる和歌に、今度こそしっかりと笑顔を見せようと、笑みを作った。




 「泣いてなんかないですよ。だって……私、強いですから………」



 そう、私は強いのだ。

 剣を握れば、大抵の男にも勝てるだろう。体力だってあるし、護身術程度の動きだって稽古している。

 そんな私は男一人の言葉で泣くはずもない。

 どんなに辛い稽古でも、試合でも歯を食いしばってきたのだから。




 「そうだね………。君は強いよ」



 和歌の表情はどんなものだったのかはわからない。響がうつ向いたままだったから。

 けれど、彼の声はとても優しかったのだけはわかった。その言葉だけが、今の響を安定させたような気がした。




 部屋に帰る前に、アパートの前をこっそりと見たけれど、もうそこには千絃の車の姿はなかった。












   ★★★





 「はぁー…………」



 響を家まで送り、すぐに会社に戻った千絃だったが、すぐに仕事には戻れずに駐車場に停めた車の中で大きくため息をついてしまった。


 あいつは、良くも悪くも昔と変わっていない。だからこそ、昔と同じように話せるし、戸惑う事もある。



 「何やってんだ………俺は………」



 そう一人呟いて髪をかきあげた後、ハンドルに頭を乗せる。すると、視界の端に見えたものがあった。

 自分用のブラックコーヒーの缶と、残されたジャスミンティーのペットボトルだった。

 千絃がそれを渡すと、響はとても嬉しそうに受け取った。それが好きだったのもあると思われるが、別の意味があると千絃は気づいていた。

 だからこそ、千絃も妙に心が動かされたはずだった。

 なのに………何なんだ?と、問い詰めたかった。けれど、彼女とは時間も距離も空きすぎていたから仕方がない。そう思ってしまう。




 「それにに引き換え、俺はきらわれているな……」




 自分で発した言葉なのに、自分で辛くなってしまい、また大きくため息をこぼした。




 けれど、今から仕事だ。


 しかも、あいつが楽しみにしているものだ。

 やるしかないな、そう思い、千絃は残りのブラックコーヒーを勢いよく飲み干して、仕事場へと急いだのだった。




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