115球目 千井田が試合に間に合わない

 浜甲はまこう野球部の存続をかけた試合当日の朝、千井田ちいだ純子じゅんこは寝坊してしまった。



「あぁー! 何で起こしてくれへんかったん、父さん!」



 彼女は野球部のユニフォームに着替えながら吠える。



「いやぁ、すまんすまん。ジュンの寝顔があまりにも可愛かったから、10枚ぐらい撮って、起こすの忘れとったわ」



 千井田ちいだパパはスマホの顔写真を本人に見せながら、あっけらかんとしている。



「アホ! バカ! 死ね!」



 純子じゅんこは怒りでチーター化し、父を罵倒ばとうして家を出て行く。父は「ごめんな、ごめん」と頭を下げるが、彼女の耳に届かない。



 ちなみに、千井田ちいだ家の他の人々は動物園に行っている。


※※※



 千井田ちいだはホットドッグをくわえたまま、四本足で駆けていく。自動車より速いチーター走りは、数十秒ぐらい経てば、亀の歩みになってしまう。



 彼女はホットドッグをもごもごしながら、左の前脚でポケットの中をまさぐる。財布を探すが入っていない。これでは電車に乗れない。



「あーん! あたいのアホ―!」



 彼女は人目をはばからすに泣きわめく。その側を黒塗りの高級車が立ち止まる。窓が開いて、大富豪だいふごうピッチャーが顔を出す。



「おや? 浜甲はまこうの選手じゃないか?。どうしたんですか?」



 刈摩かるまはほんのり甘いフローラルな香りを漂わせながら、紳士的に尋ねる。



「フン! あんたに関係あらへん。あたいはこの脚で阪体はんたい大のグラウンドまで行くんやから」


「それじゃ、試合に間に合わないよ。私の車に乗って行かないかい?」


「誰があんたの車乗るか!」


「そう。せっかく極上ふわトロハンバーガーが余ってるのになぁ」



 刈摩かるまはハンバーガーを出して、これ見よがしにほおばる。その肉の誘惑に負けた千井田ちいだは、よだれをたらして言う。



「の、乗せてくれやん……」



(続く)

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