109球目 理事長夫人は慈悲がない

 6月に入ったが、まだまだ快晴の日は続く。今年は月に向かって打つ特訓だ。未だに月に当たった人はいない。



「今日も頑張っているわね」



 理事長夫人が赤いハイヒールのまま、グラウンドに足を踏み入れる。俺達は帽子を取って、「こんにちは」とあいさつだ。



飯卯いいぼう先生、この子達がどんな試合やってるか気になるから、スコアブック見せてくれる?」


「は、はい。本賀ほんがさん、スコアブック持ってきて!」



 本賀ほんがが上位国の王様への献上品を差し出すかのように、理事長夫人にスコアブックをお渡しする。彼女はスコアブックをパラパラめくってつぶやく。



「7-10、4-8、12-15、5-9、3-6、10-11、2-3、5-6。何これ。全て負けてるじゃない。この東灘ひがしなだロッキーチャックスって、中学野球のチームよね?」


「はい、そうです」



 グル監は蛇ににらまれたカエル状態だ。



「そう。中学生相手に勝てないようじゃ、浜甲はまこう野球部は解散した方がいいわ。甲子園なんてムリだもの。きっと理事長もそう言うわ」


「そ、それはちょっと、確かに負けていますが、最初の頃より上手になっていますし、接戦のスコアになりました」



 皆はグル監頑張れと、応援のまなざしを送る。



「ふぅん。じゃ、そろそろ浜甲はまこう野球部に勝ってほしいから、理事長のコネで良い対戦相手を紹介してあげるわ」


「本当ですか? ありがとうございます!」


「もちろん、理事長が紹介するチームなのだから、浜甲はまこうの名に泥を塗らないでね。もし負けたら、夏の大会予選のエントリー取り下げよ」



 夏大予選に出場しなかったら、事実上の野球部解散だ。刈摩かるまの言ったとおり、この女は野球部滅亡を願っている。



「わかりました。絶対に勝ちます!」



 グル監の力強い返事に、津灯つとうキャプテンが応じる。



「みんな勝つよー!」


「勝ったる!」


「ウィン&ビクトリー!」



 皆が戦国武将のように勝利への雄叫おたけびを上げる。どんな相手でも、俺達は怯まない。理事長の思惑通りに事が運んでたまるか!



「それでは、色んな学校に練習試合を申し込んでくるから、楽しみに待っていてね」



 理事長夫人は不敵な笑みを浮かべて去っていく。



 どうせ、こんな高校との試合に応じてくれるのは、弱小校か強豪校の二軍だろう。京阪神けいはんしんの中学野球の強豪チームと戦ってきた俺達なら大丈夫だ。



 しかし、俺達は理事長夫人のコネクションをナメていた。



 部活終了後、彼女が告げにきた練習試合の相手は、よりによって春の近畿きんき大会ベスト4の高校だった。



(夏大予選まであと39日)

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