99球目 個人練習はおろそかにしない(取塚の場合)

 取塚とりつか礼央れおは、祖父の柔道場でストレッチをしている。戸が開いて、ムスッとした表情の祖父が入ってくる。



「準備はいいか?」



 礼央れおは無言でうなずき、互いに正座のまま礼をする。



「はじめっ!」



 祖父の合図とともに、礼央は祖父の袖を引っ張る。しかし、強靭きょうじんな祖父の脚はビクともしない。逆に、礼央れおの右足が払われ、押さえ込まれてしまった。



「どうした? かなり弱なったな、礼央?」


「ううう。やっぱ、じいちゃん、強い……」


「そりゃ、昔の県大会王者やからな! ガハハハハハ!」



 祖父は豪快に笑って、孫の帯を締め付ける。礼央れおは舌を出して吐き気をもよおす。



「野球辞めて、柔道戻る気ぃなったか?」


「まだムリやで、じいちゃん。甲子園出ぇへんと」



 彼は甲子園出場を生前に果たせなかった幽霊・夕川ゆうかわかれている。甲子園に出場すれば成仏してくれるが、そう簡単にはいかない。



「まったく! かれやすい体質改善で、柔道始めたっちゅうのに」



 祖父は孫の押さえ込みをやめて、のっそりと立ち上がる。



「ごめんね、じいちゃん。せやから、もっと体力つけて、長いイニング投げられるようになりたい。甲子園出場の確率アップさせたいから」



 夕川ゆうかわが長いイニングを投げられたら、エースの水宮みずみやの負担が減る。そのため、ピッチャーとして大事な足腰を柔道で鍛え直そうとしていた。



「甲子園か。俺に勝てないお前が行けるワケないやろ」



 再び組み合って、互いに技をかけあう。礼央れおの技はかわされ、祖父の技は華麗かれいに決まる。



「ハァハァ。夕川ゆうかわさん、力を貸して」


「断る! ワイは野球以外やらん!」



 白煙状の夕川ゆうかわは激しく首を横に振る。



「幽霊と相談してもムダや、礼央れお。お前は勝利の意志が弱い。そんなんやったら、100万回やっても同じ結果や」


「勝利の意志? 何それ?」


「相手をこの技で倒すという強い意志を持つことや。どうせ、お前のことやから、じいちゃんにかなわないとでも思っとるんと違うか?」



 礼央れおは心の中を言い当てられた恥ずかしさで、唇をすぼめてうつむく。



「甲子園出たかったら、少しでも勝つ意思を見せい。次が最後にするで」



 礼央れおの目が純粋な勝利の意志で、まっすぐな光を放つ。彼は祖父の突進力を利用して、瞬時に背負い投げをかける。



 畳に背中を強くぶつけた祖父は、引きつった顔で笑いながら、震える親指を立てる。



「勝利の意志か。じいちゃん、参考になったよ。今までありがとう」



 礼央れおはそう言って目をつむり、祖父の体に向かって手を合わせる。



「おっ、俺は死んどらんぞ!」



 祖父は唾を飛ばして叫んだ。



(夏大予選まであと55日)

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