98球目 個人練習はおろそかにしない(山科の場合)

 金曜日、誰もいない体育館で1人、山科やましな時久ときひさがバスケのドリブルをしている。彼の本気のドリブルを止められるの人は、浜甲はまこう学園に存在しない。



「もったいないわな、山科やましな



 プラスチックのバットをかついた生徒指導の鉄家てつげがつぶやく。彼は定時の見回りで、体育館を訪れたのだ。



「元々、僕は野球少年なんですよ。野球部が無かったから、バスケを始めただけで」


「そんなに野球好きなら、別の高校に転校したら良かったものを」


「好きな子が出来ちゃったから、それはムリでしたよー」



 ヘラヘラと笑う山科やましなを見て、鉄家は時代が変わったと遠い目になる。



「そういや、いつも連れとる女子達はどうした?」


「ああ。今日は先に帰ってもらってます。たまに1人になりたい時あるんで」


「それでバスケか。ホンマはバスケに未練あるんと違うか?」



 鉄家てつげはバスケ部監督の高東たかひがしから山科やましなのことを、耳にタコが出来るぐらい聞かされていた。実際のプレイを見たことないが、凄い選手だと思っている。



「ないと言ったら、嘘になりますよ。でも、何やろう。あのウサちゃ、津灯つとう君に引っ張られている内に、野球やってる自分の方がカッコいいと思うようになって」


「なるほどな。そんなん聞くと、俺も野球やりたなってきたわ」



 鉄家てつげは生徒指導用のバットを振る。



「野球部の顧問はどうです? 飯卯いいぼう先生のサポートできますよ」

 


 鉄家てつげはコワモテの坊主頭で、いかにも野球部らしさがあった。



「いや、俺は遠慮しとく。帰りが遅いと女房に叱られるからな」


「そうですか、残念」



 山科やましなは目を×印にして、ボールを投げる。ボールはゴールネットに当たって入らない。



「せや、山科やましな! バスケと野球両方きたえたら、どないや?」



 ハテナマークを目に浮かべる山科やましなを尻目に、彼は倉庫からテニスボールを取り出す。彼はゴールポストの下に立つと、端のゴールポスト目がけてボールを投げた。ボールはネットの手前で失速して入らない。



「バスケのボールでも入れるのは難しいロングスローを、さらにちっこいボールでやってみろ。コントロールと肩がようなるぞ」


「あっ、ありがとうございます! 僕、やってみます!」



 山科やましなはテニスボールをつかみ、何度も投げる。何度外れてもあきらめない。山科やましなの心は、ストライクが入るよう頑張っていた少年野球の頃に戻っている。



「俺ももうちょい若かったらなぁ」



 鉄家てつげは彼をうらやましそうに見ながら、体育館の出口へおもむろに歩き出す。



「7時半なったら、電気消しとけよー」



 山科やましなはロングスローに夢中で返事をしない。鉄家てつげはバットで床を叩いてから、体育館を後にした。



(夏大予選まであと56日)

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