97球目 個人練習はおろそかにしない(宅部の場合)

「最近の宅部やかべ君、おかしくない?」


「授業中ずっと起きてるもんなぁ」


「目の下のクマも消えとるし」



 クラスメイトがヒソヒソうわさする中で、宅部やかべカオルは目をパッチリ開けて授業を受けている。傍目はためからは真面目に聞いているように見えるが、実は机の下でゴムマリを握っているのだ。授業中に握力アップである。



 宅部やかべの野望は、水宮みずみやからエースの座を奪うことだ。宅部やかべ水宮みずみやほどのスピードはないが、コントロールの良さと変化球の豊富さでは勝っている。あとはカーブのキレを磨けば、エースになれる。



 水宮みずみや宅部やかべは強気な性格が似ている。しかし、水宮みずみやが闘志を前面に出すのに対して、宅部やかべはポーカーフェイス、胸中で燃やしている。さらに宅部やかべの方が口が悪い。



※※※



 昼休み、宅部やかべが何となく野球部のグラウンド近くを歩いていたら、火星ひぼしをのぞく1年生がトンボを使って整備していた。



「あっ、宅部やかべさん。どうしたんですか?」



 笑顔の水宮みずみやに対して、宅部やかべはそっけなく「特に理由はない」と答える。



水宮みずみや君。マウンドの整備終わったから、試しに投げてみて―」


「ファストボール見せて下さい」


「私も間近で見たいなー」



 津灯つとう達に呼ばれて、水宮みずみやは元気よくマウンドに上がる。彼はセット・ポジションから足を上げ、歯を食いしばってストレートを投げる。東代のミットにボールが入ると、乾いた音がグラウンド中に響く。



「ストレート速くなったよね。この前の試合、ストレートほとんど打たれてへんと違う?」


「いやぁ、まだまだ速くなるよ」



 グローブで照れ隠しをする水宮みずみやを見て、宅部やかべは拳を強く握りしめる。ふつふつと胸の底から湧き上がる闘志の炎。彼は声高に叫ぶ。



「み、水宮みずみゃぁ! 勝負せぇへんか?」


「えっ? 何の勝負ですか?」

 


 特に何の勝負か決めていなかった宅部やかべだが、打席に津灯つとうがいるのを見てこう話す。



「ええ、どっちが津灯つとうさんを抑えられるかや。勝った方が次の試合の先発ってのはどないや?」


「いいですよ。津灯つとうは?」


「うん。面白そうやし、やろやろ」



 津灯つとうは満面の笑みで答える。宅部やかべは前歯で下唇をかんで、小さくうなずく。



 津灯つとうとの勝負は1打席で、キャッチャーは東代とうだい、審判は本賀ほんがが務める。公平を期すために、投げる球種のサインはピッチャーから出す。



 先に投げるのは水宮みずみや津灯つとうが速球に強いことを知っているので、チェンジアップから入る。津灯つとうは打たない、ストライク。



「どうした? いつもなら打ってるだろ?」


「うーん。あれ打っても内野ゴロやし」



 津灯つとうが首をかしげて苦笑いする。水宮みずみやは2球目もチェンジアップを投げる。すかさず津灯つとうはバットに当てるが、右方向へのファウルになる。



「次で決めるぞ」



 水宮みずみやはさっきより足を高く上げ、全力のスライダーを投げる。



 左打者のふところを攻めるクロスファイアーだが、津灯つとうは瞬時に腕をたたんでライトへはじき返した。



「ライト前ヒットですね、ミス・ツトー」


「ううう。ストレート投げると見せかけたのに」



 水宮みずみやは肩を落としてマウンドを降りる。



 次は宅部やかべの番だ。彼は水宮みずみやと逆の攻めを見せる。速球派の投手の後で、軟投派(ボールが遅いピッチャー)はストレートを投げないセオリーの裏をかいた。



 外角低めアウトローギリギリを突くストレート。これを初球から打ってくるのは変人か、津灯つとうぐらいだった。



 またもや快音を響かせてレフト前へ。宅部やかべは大口を開けて、打球が落ちた方向を見る。



「このバトルのウィナー勝者は誰でしょうか?」


「2打席目もやりたいけど、時間ないし、じゃんけんで決める?」



 水宮みずみやが最初はグーの構えをしているが、宅部やかべは首を横に振る。



「俺の負けでいい」



 彼はそう言ってグラウンドを猛ダッシュで去る。



 まだまだエースへの道のりは長い。自分の力のなさを痛感した彼は、より一層の強化を誓い、授業中は空気イスで受けることにしたのだ。



「どうしたの、宅部やかべ君? お腹の具合でも悪いの?」



(夏大予選まであと59日)

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