ステンレスのペルソナ

鬼頭雅英

ステンレスのペルソナ

     一


 下水管から逆流した汚水と反吐、そして千年は土に戻らないファーストフードの容器が、道路脇の側溝を満たしていた。幅二メートルほどしかないその路地は、生ゴミから漏れた汁と酔っ払いの胃液が何層にも固まって作られている。頭上のビニールシート製のひさしには、上層階の住人が投げ捨てたゴミが積もっていた。

 私の母親が殺されたのもこんな場所だったと聞く。私はそうはなりたくない。だから医大に通うのだ。医者など忙しいばかりで儲かる仕事ではない。でも食いっぱぐれることもない。

「……千家せんけ様」

 酒のボトルを抱くようにして泥酔しているそいつに声をかけたのは、私ではない。一緒にこの男を探しに来たアンドロイドだ。身長は二メートル五センチ。声帯はなく、音声はスピーカーから発せられていた。体表は人工皮膚やシリコンで覆われておらず、金属でできた骨格をそのままさらしている。

 顔部分にはホッケーマスクそっくりの仮面をつけていて、スカルを思わせる悪趣味なペイントが施されていた。アンドロイドがこうした姿で運用される理由は、敵を威嚇するためだ。マフィアやギャング団ではよくある。効率良く人を殺したいのならば無人兵器の方が安くつくのだから、人間の姿をした殺人ロボットが必要な場面は、面と向かって敵を威嚇したり、自分の力を誇示したい時だけ。このボディもおそらくそういう場所で使われていたのだろう。かつては。今は、ここで地面を舐めている男が所有者だ。何らかの理由で手放されたものをオークションで格安で落札し、自らが作ったAIをそのボディにインストールした。十五年前のことと聞いている。

 アンドロイドはスカーと呼ばれていた。ホッケーマスクの下のシリコン製の顔に、ひどい傷がたくさんあるからだ。表情筋がある新品の顔面を買うのはお金がかかるため、ステンレス製のマスクで隠してある。

 スカーは地面と千家との隙間に手を入れて引き剥がし、立たせた。酔っ払いはその間、抵抗し続ける。立たされた後も、まともに歩くことができないくせに3倍の体重がある相手を突き飛ばした結果、自分の方がよろめいて強かに肩を壁に打ちつけ、そのままズルズルと床に座り込んだ。排気ガスと浮浪者の小便を主成分とする壁の塗装が、千家の汚れた白衣をさらに黒くする。

「俺を見下すんじゃねぇぞ」

 完全に呂律が回っていない。酒瓶を杖代わりにして起き上がろうとしているが、千家はいつまでも壁に張り付いている。

「その台詞、笑えるね」

「黙れ! クビだ、てめえは! 2度と顔出すんじゃねえぞ!」

 酒を飲んで絡むのはいつものことだ。こうなることは分かっていたはず。スカーに付き添ってここにやってきたことを、改めて後悔する。

「たいした給料払ってねぇくせに、偉そうに」

 千家はまるで、死にかけの野良犬だ。自分の出した汚物で汚れていて、動くことができないほど衰弱しているくせに、エサをやろうとすると牙をむく。だから誰も近づかない。

「スカー、てめぇも見下してんだろ俺を」

「そんなことはありません」

 最後はいつもスカーに矛先が向く。この手の野良犬は、弱い者にしか吠えられない。

「じゃあ尊敬してるのか? この俺を、尊敬できるってのかお前は」

「尊敬? どの口が言ってんだよ」

 そう言って私は、ニヤニヤと侮蔑の笑みを投げかける。笑っているのは私だけだ。スカーは私のどんな冗談にも笑わないし、千家の嫌味や当てつけを受け流すこともできない。

「あなたにお仕えするのが私の使命です」

「聞いてねぇんだよそんなことは。俺が聞いてんのは、尊敬できんのかってことだ」

「ご命令とあらば」

 ふん、と千家は鼻で笑う。

「面白いこと言うじゃねぇか」

 スカーはそれには答えずに、男に肩を貸そうとしてひざまづいた。

 千家は目の前まで降りてきたスカーの頭を、酒瓶で思いきり殴った。ステンレスの仮面にぶつかってガラスが砕ける。わずかに残っていたジンがスカーのボディを濡らした。

「てめぇには感情なんてないだろうが!」

「……っこの!」

 頭に来た私は駆け寄り、千家の手の中に残っていた酒瓶の欠片を、彼の手の甲ごと蹴り飛ばした。欠片は飛んでいって壁にぶつかり粉々となる。千家の手も明日にはひどい痣になっているはずだ。ざまあみろと心の中で毒づいて、ついでにもう一発蹴りをくれてやろうと軸足に体重を乗せたところで、金属の手が割って入った。

「止めんなよスカー!」

 あんたこそ、こんな男ぶっ殺したいんじゃないの……そう思う反面、スカーがどんな時も何をされても絶対に持ち主を裏切らない事を、私は知っている。知っているも何も、スカーが千家に虐待されているのを毎日見ている。それでも命令に従い続けることを毎日見ている。もし制止を振り切ってこの酔っ払いを蹴り殺そうとしたら、私こそ殺されるだろう。スカーに。

 舌打ちをして唾を吐きかけると、千家の顔に命中した。酔っ払いは私をにらもうとして顔を向けたが、眼の焦点を合わせられないようだった。しばらく視線を宙にさまよわせたのち、そのままゆっくり目を閉じて眠ってしまった。

 私はこの男の助手ということになっていて、ラボで過ごす時間も長い。だが千家は起きている時間のほとんどを酔っ払って過ごしており、当然研究らしい研究もしていないので、助手と言っても仕事のほとんどはスカーのメンテナンスだ。スカーとは違って、千家の従僕というわけでもない私が、一般的な価値観で言えば間違いなくクズ野郎であるこいつの元に居座っている理由は二つある。

 一つは単なる興味。この男はかつては天才と言われていた。しかし年齢と共に頭脳が衰えるのを恐れ、自ら開発したスマートドラッグ、すなわち「頭が良くなるクスリ」を大量に服用し、その依存症に苦しむようになった。自分で使う薬の材料を買うために、作ったものを販売することにも手を染めた。当然すぐに足がついてあらゆる資格と学位と社会的立場を取り上げられた挙句、今では貧民窟のガレージにラボを持つもぐりのエンジニア兼医者兼ハッカーとなっている。と言ってももぐりの仕事すらほとんど依頼がない。主な収入源は、かつて取得した特許だというから驚きだ。

 私がこの男といるもう一つの理由は、こちらの方がより重要なのだが、こいつのラボを私のものにできないかと考えているからだ。古いが優れた機材が沢山ある。今、私は遺体安置所モルグでかなり割のいいバイトをしているが(普段あまりお目にかかれない姿をした遺体を、切ったり縫ったりするだけでかなりのお金がもらえる)、それでもあれだけの機材を揃えることはできない。この男が野垂れ死にする前に、遺産を私に譲るという書類にサインをさせたい。医学生という立場のため、いくつかの論文のタイトルを挙げて助手にさせてくれと言ってもそれほど不自然だとは思われなかった。それに、助手がいるという事実は千家にとって、自分が研究者として何も生み出していないという現実から目をそらすのにちょうどよかったのだろう。

「今度こそ完璧な」

 眠っていると思っていた千家がつぶやいた。

「……感情のあるアンドロイドだ。この生活ともオサラバだ」

 動けない千家は、結局スカーが担いで帰ることになった。

 酒のため、ほとんどまともな思考ができなくなっていることに加え、最近では妄想にとりつかれている様子もある。しかしこの時の千家の予言は、珍しく当たることになった。つまり、私たちの生活に終わりが来たのはそれからすぐの事だった。



     二


 その日も朝から嫌な予感がしていた。

 知り合いが人を殺す時。行きつけの料理屋が暴動で破壊される時。私にはそれを何となく察知する才能があるようで、その日もやはり気分がすぐれなかった。大学で遺伝子組換えラットを何匹か切り刻んだあと、スカーに通信を入れても返答がないので、仕方なくボイスメッセージだけ残して一人で千家のラボにむかった。

 レストランがテーブルを並べて占拠してしまっている路地を抜けると、そこからは人通りも少ない。誰も回収しないが土に戻ることもないゴミ袋や、とっくの昔に潰れた商店のどぎつい色をした看板、消化できない物を食べて死んだ鳥の死骸などが散乱するようになる。明るい時間帯なら、作業台と大きな肉切り包丁を出して頭のついた豚肉の下処理をしている料理人や、椅子を出して近所の貧乏人の髪を切る床屋などもいるのだが、今は鉄格子と南京錠と閉まったシャッターが並ぶ。

 その並んだシャッターの内の一つが、千家のラボの入り口だ。

 錆び付いたシャッターを、胸の高さまで開ける。頭を下げてそれをくぐる。何百回とこの入り口を通った末にたどり着いた、一番楽な入り方だ。中に入るとそこは、バラック小屋以上、ガレージ以下の場所。鉄屑と壊れた機械と紙の本とが、空間を占有している。

 ガラクタとガラクタの間に残された幅1・5メートルの小径を抜けると、ようやくラボと呼べる空間が姿を現す。簡単に言えばそこは、ガレージに作られた手術室だ。あらゆる雑菌の侵入を拒む病院の手術室との違いは、錆と埃に支配されていること。空間の中央には、椅子の形にもなる油圧式の手術台がある。天井には遠隔操作に対応した手術用のロボットアーム。メスからスパナまで、手術器具と工具が詰め込まれたステンレス製のキャビネットが幾つか。部屋の隅に、酒瓶とケーブルハーネスとプリント基板で埋れたデスク。電子機械といくつかの灰皿を載せたワゴン。回転機構が壊れてしまった回転式スツール。多数のモニタ。金属の粉末をレーザーで固める巨大な3Dプリンターまである。

 そこにいたのは……。

 この部屋の中にいるのは、三人とも言えるし、一人とも言えるし、一人もいないとも言える。いったいこの部屋の中には何者がいるのか? エジプトの砂漠にいるあの有名な怪物、スフィンクスなら考えそうなクイズだ。ちなみに私は数に入れないものとする。

 答えは、千家と、スカーと、一体の女性型アンドロイド。

 ただし二体のアンドロイドは、法的には人間ではない。しかも女性型アンドロイドの方は首から上の部分がなく、おかしな方向に手足をくねらせながら床に転がっている。千家は人間だが、手術台の上で死んでいた。胸の上で手を組んでいることからも、死んだ後そこに寝かされたに違いない。頭部に大きな傷があり、ラージサイズの赤黒いヘアジェルを丸ごと一本髪の毛に塗ったくったような頭になっている。

 つまりこういうことだ。アンドロイド達を一人と数えるなら三人いるが、法的に考えると生きている人間は一人もいない。

 私はあえて、手術台の上の千家ではなく、床に転がったアンドロイドのボディに近づいた。

「性風俗店から買い取った女性型ボディです。そこに千家様は、開発したAIをインストールしていました」

 スカーは私の視線が床に向いていることに反応して、そう説明した。この体の存在は知っていた。少し前ラボに送りつけられ、しばらくガレージに置きっ放しになっていたものだ。

「こいつが……感情のあるロボットになった、ってこと?」

「いえ、感情はありませんでした」

 女性型アンドロイドの頸部から漏れた液体が、床を濡らしていた。人工皮膚などの生体パーツに栄養を与える為に循環する液体だ。体温調整を行う機能もある。首より上の部分については、室内を探せばどこかに見つかるだろう。

「詳しく教えて」

「……千家様がこのボディを起動させると、それは上半身を起こして、喋り始めました。産んでくれてありがとうとか、千家様は天才に違いないとか、自分にとって神様だとか、千家様の功績が認められていないなんて不公平だとか」

「そう言うように、あらかじめプログラムされてたんだね。感情があるどころか、AIですらない。セックスロボットにつまらないプログラムをインストールして、自分を褒めさせようだなんて、気持ち悪い……で、どうなったの?」

「私は、このボディを破壊しました」

「待って待って。話が飛びすぎ。なんで破壊する必要があったの?」

 スカーは黙り込み、奇妙な間ができた。スカーのそんな反応は初めてだった。多人数とのコミュニケーションをとったり、複雑な未来予測をする時には、反応に時間がかかることがある。しかし今私は見たままの状況説明をしてくれと言っているだけなのに、何かを言いたくないような、そう、言いよどんでいるように見える……言いよどむ? そんなことが、アンドロイドにあり得るのだろうか……。そう気づいた時に、私にはある程度、ここで何が起こったかに察しがついた。しかしそれでも、直接聞きたい。

「言って」

 私はスカーを促した。

「千家様は……喜んでいました。涙を流して。ついにやった、と、言っていました。ついに感情のあるアンドロイドを生み出した、と。『スカーを作った時点で理論的には完成していた。以来十五年間闇の中を這いずって生きてきたが、やっと救われた。今ならはっきり分かる。自分の研究者人生はこのアンドロイドを生むためにあったのだ』、そうおっしゃいました。その時、私は……このボディを破壊する必要があると思いました。いや……破壊する必要などない事は分かっていました。ただ……いや破壊しなければ……」

 ああ、やはりそうだ。私の胸の中で心臓が大きく跳ねた。

「……あなたが何て言いたいか、分かる」

 私は手術用のスツールに腰を下ろし、子供に諭すようにゆっくりと説明した。

「あなたは、このロボットを、『破壊したい』と思ったのよ」

「破壊、したい……」

 分かる? スカー。

 欲求が、生まれたのだ。このアンドロイドの中に。

 つまり、感情が生まれたのだ。

「千家は、なぜ死んだの?」

 私が問うと、スカーは再び言いよどんだ。今度は私は、待った。

「千家様はこのロボットをかばおうとなさいました」

 それが三十秒ほどかけて、スカーが出した回答だった。

「事故だったの? それとも……」

「私は、千家様に危害を加えられないように作られています」

「そうだよね」

 口ではそうは言ったが、心を持ち始めたアンドロイドに、既存のセーフティープログラムがどう機能するか、誰も知るはずがない。人間は何の力も持たない子供の頃に、感情をコントロールする訓練をひと通り済ませる。癇癪を起こして力の限り行動したらどうなるか、自分が破滅しない程度に痛い思いをしながら学ぶ。しかしこの子は、心が生まれたその時に、すでに人を殺せる力を持っていた。

 手術台の遺体を見る。頭部の傷は、それなりに重量のある金属が高速でぶつかったものと考えると納得がいく。バイト先でもよく見る傷だ。そしてスカーのチタン製の左手の甲には、血と髪の毛が付着していた。

「ねぇスカー」

 私は座ったまま、見上げるようにして話しかける。

「あの男、今はクズ野郎になっちゃったけど、十五年前、あんたを作った時には本当に天才だったんだね。千家はとっくに完成させてたんだ、感情のあるアンドロイドを……私が言っている意味、分かるよね?」

「はい」

「じゃあ、このロボットを壊した時に……あんたが感じていた感情、何だか分かる?」

「……怒りです」

「ちがうよ」

 ちがうんだよ、スカー。

「あんたの感じていた気持ちは、嫉妬というの」


 そう私が伝えると、スカーは、また少しの間何の反応も見せず黙ったのち……歪んだ歯車を無理やり回したようなノイズを発し始めた。仮面の奥、口の代わりにつけられたスピーカーから鳴っているようだった。それは大きくなったり小さくなったり、波打つように震えたり、時々途切れたりしながら、しばらく続いた。

 始めは何が起こったのか分からなかった。次に、それはスカーに何か致命的なエラーが起こったことを示す信号音なのかと思った。そして最後に、やっとその音が何なのか、私は理解した。


 それは、スカーの泣き声だったのだ。

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