四十の掟 そして日常。

 誰かが呼んでいます。この声はクロさんでしょうか。


「おはよう、眠り姫」


 目を開けると、黒い毛並みの顔が見えます。少しやつれてますね、クロさん。毛艶もなくてぼさぼさな感じです。お耳がペタッと倒れてるし、なんだか悲しそうです。


「クロさん?」

「ああ、起きたのかい」


 クロさんの後ろから、フードをかぶったおばあさんの顔が見えます。誰でしたっけ……クロさんのおばあさんとかでしょうか。


「あ、はい。おはようございます……」


 体を起こそうとしたらくらっとめまいがしました。再びベッドにぼすんと倒れ込んだら枕はとても柔らかくて、二度寝してしまいそう。


「大丈夫か?」

「あ、はい。あの、何がどうなってるんでしょう……?」


 クロさんがいるのに二度寝なんてもったいない! 慌てて目をこじ開けると、クロさんが毛布を掛け直してくれました。


「どこまで覚えてる?」

「えっと……クロさんに呼ばれて、お城の部屋まで行ったのは覚えてます。そのあと……目を開けたらクロさんがいました?」


 なんだか変な言い回しです。けど、そうしか言葉で表せられません。


「そうか。もう全部終わったよ。マリオン殿下も無事救い出せた。今頃は城で目覚めている頃だ。キャリー嬢も回復して、フィリップと一緒に家に戻った。まあ、図書館のペナルティがあるから、しばらくしたら顔を出すと思うけど」

「そうですか。よかったです。……それで、ここはどこですか?」

「ここはあたしの家だよ。ほれ、クロード。ちゃんと紹介しておくれよ」


 後ろからおばあさんがクロさんを突っついています。渋い顔でクロさんが場所を入れ替わると、おばあさんが枕元の椅子に腰かけました。


「彼女はヤドリギの魔女ミスト。俺のお師匠様だ」

「久しぶりだねえ、と言ってもお前さんは覚えてないだろうけど」

「えっと……え?」


 久しぶり、と言われてしまいました。となると以前会ったことがあるってことですよね? なのに初めましてって言うのは違う気がしてしまいます。


「ああ、そうそう。それからこっちが弟子のアーシャ」


 おばあさんの向こうから綺麗な女の人が顔を出しました。くりっとした瞳がとても印象的です。


「初めまして。アーシャと申します」


 とてもやさしそうに微笑む彼女がとっても眩しいです。ああ、ワタシもはやくこんなぼんきゅっぼんな女性になりたいです。自分の体を見下ろして、ちょっとおセンチな気分になりました。


「自己紹介はそこまで。あとはあきちゃんが起きられるようになってからです」


 じっとアーシャさんを見つめていたら、クロさんが割り込んできて二人を向こうに追いやってしまいました。えっと、この家の家主を追い払って、大丈夫なんでしょうか……。


「ごめんね、あきちゃん。長く眠らせてしまって」


 耳がへにょっと伏せられています。そんなに長く寝てたんでしょうか。ワタシとしては、目を閉じて、開けたらクロさんが目の前にってぐらいあっという間の気がします。うん、夢も見なかったみたいですし、寝た気がしません。

 そう思って首を横に振ると、クロさんは頭を撫でてくれました。


「クロさんこそ、毛並みもぼさぼさで元気がないですよ? ちゃんとご飯食べてますか?」

「そんなこと心配しなくていい。……いや、ごめん、心配させて。いろいろあったんだ。しばらくはここで休んで、元気になったら黒猫図書館に帰ろう」

「はい。皆さんどうしてるんでしょう、早く会いたいです」


 もうずいぶん長い間会ってないような気もしますし、別れたのがついこの間のような気もします。元気でしょうか、エディ―さん、タマさん、まりーさん。


「そうだね」


 クロさんはワタシの額にぽむっと肉球をくっつけてくれました。ひんやりして気持ちいいです。あれ、これ、何か覚えがある気がします。どこかでしてもらったんでしょうか。


「体に異常はない? 痛いとか熱いとかつらいとか」

「えっと、あの」


 ほっぺに当てられている肉球が気持ちいいです。でも、それよりなにより……。


「なに?」

「あの、お……おなかがすきました……」


 そう言った途端、盛大にお腹が鳴りました。こんなタイミングで鳴らなくていいのにぃっ!

 あまりに恥ずかしくて両手で顔を隠したら、クロさんは笑って額にキスをくれました。キス、というよりは鼻をちょんとあてた感じです。


「わかった、何か作ってもらおう」


 部屋を出ていくクロさんを見送って、ワタシは目を閉じました。

 なんだか長い夢を見ていたような気がします。


 ◇◇◇


「おはようございます!」


 新聞配達のバンさんが元気よく入ってきました。うわあ、この挨拶を聞くの、久しぶりです。


「おはようございます」


 ワタシが受け取りに出ると、バンさんが目を丸くしていました。


「あきちゃん! ひっさしぶりだねえ! 元気にしていたかい?」

「はいっ!」

「バンさん、お茶どうぞ~」


 喫茶室の方からまりーさんの声が飛んできました。今日は紅茶らしいです。いい匂いがしてきました。


「ありがとう、まりーさん。あきちゃん帰って来てよかったねえ。いつもまりーさん、寂しそうにしてたもんねえ」

「あらいやね、バンさんってばよく見てらっしゃるのねー」


 くすくすと笑いながらまりーさんはワタシの方を見てにこっとしてくれます。


「おはよ、まりーさん。コーヒーくれる?」


 大あくびをしながら階段を降りてきたのはタマさんです。だいぶやつれた感じですね。前はもう少しお腹周りがふっくらしてた気がするんですけど。ワタシとクロさんがいないあいだ、大変だったんでしょうか。


「はぁい、すぐ入れますねー」


 まりーさんはいそいそとカウンターの奥へ戻っていきます。タマさんはワタシの頭に手を乗せてポンポンと弾ませるとカウンターの方に歩いていきました。

 エディーさんが表から戻ってきました。

 戻ってからまだ重たいものを持たせてもらえないのです。なので、看板を引っ張り出したり表を掃いたりするのも全部エディーさん任せ何です。なんだか申し訳ないのですけど、クロさんがだめって言うんです。


「あれ、館長はまだ?」


 タマさんの声にまりーさんがくすくす笑っています。


「まだですねえ」

「まったく……俺はもっと早くに起きてたぞ。あきちゃん、悪いけど起こしてきてくれる?」


 タマさんの声にワタシははぁい! と返事をして階段を上がります。

 階段をえっちらおっちら登っている間に、キャリーさんの声が聞えてきました。応接室から出てきたみたいです。

 あの巨大な本を書き写す必要が泣くな立て、本自体は元の場所に戻されました。でも、あのペナルティが終わるまではキャリーさんは図書館から出られないのです。

 図書館にはお客さんが泊まれるような田尾頃はないので、結局あのまま応接室の椅子をベッドに作り替えて住んでもらっています。

 とはいえ、やることが結局なくなってしまったので、本人の希望で今は喫茶室のお手伝いと図書館業務のお手伝いをしてもらっています。本を元の場所に戻したり、取ってきたりぐらいのお手伝いしかできないんですけどね。


 三階の館長室を覗くと、奥のベッドにしっぽが揺らめいてるのが見えます。


「クロ館長、朝ですよう。タマさんが朝ごはん作ってくれますから、起きましょうよう」


 足元には本が山積みされていたりして、奥に入り込むのは相変わらずためらわれます。でも、起きてもらわなくちゃいけないのです。


「クロ館長、起きないと掟発動しますよう?」


 そう言うとしっぽがピンと伸びました。頭をかきながら、クロ館長が起きてきます。


「おはようございます、クロ館長」

「おはよう、あきちゃん」


 今日もピカピカの毛並みです。寝癖が付いてるのでそこだけ指摘すると、ささっと直して部屋から出てきました。

 あ、下からいい匂いがしてきます。朝ごはんはご飯とお味噌汁、それからだし巻き卵と焼き魚ですかね。タマさんのだし巻き卵は絶品なので楽しみです。よだれが出そうです。

 そんなことを考えていたら、横からにゅっとクロさんの黒い手が伸びてきて、あっという間に抱き上げられました。


「く、クロ館長、歩きますよ?」

「俺が抱えて降りた方が早い。……いやか?」


 そう言いながら、鼻をほっぺたにくっつけてきます。なんだか、戻って来てからこうやってくっついてることが増えた気がします。

 クロ館長の毛並みもお耳もおしっぽも大好きなので、嫌なはずがありません。首をぶんぶん振ると、クロ館長は機嫌よく階段を降り始めました。

 ああ、はやくクロ館長と同じサイズに成長したいです。いつまでもちっちゃいままなのは嫌なのです。

 下に降りるとバンさんが手を振ってくれました。

 クロ館長はエディさんの隣に腰を下ろしてからようやくワタシを下ろしてくれました。ああ、朝食が輝いて見えます。今日も美味しそうです。


「じゃ、食べようか」

「いただきまーす」


 手を合わせて、お箸を取り上げます。

 顔を上げて同じテーブルにつくみんなの顔を見回します。こうやって食卓を囲んでいると、ようやく戻ってきたなあ、って実感できるのです。

 クロ館長と視線が合いました。首をかしげるので、ワタシはにっこり笑います。


 さて、今日は一体どんな一日になるんでしょうかね?



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