三十九の掟 闇の王は贄を欲する
「さて、じゃあ話を始めようかね」
ヤドリギの魔女の小屋に全員が集まり、暖炉の傍に各々腰を落ち着けたところで魔女ミストが口を開いた。
窓や入り口はアーシャによって塗りこめられていたが、魔女ミストは外側に結界を張ったあと、『屋根を持ち上げ』て全員を小屋の中に降ろした。
クロードとキャリーは眠っていたので気が付かなかったが、唯一起きていたフィリップは思わず「でたらめすぎる……」とつぶやいてしまい、魔女ミストに睨まれる一幕があった。
その後、入口も窓も元のように戻し、今に至る。
ベッドにはまだ眠り続けるあきちゃんとマリオン。クロードは目を覚ましてはいたが、まだダメージから回復はしていないようで長椅子に体を預けている。魔女の横にはアーシャが、その向かいにフィリップと目を覚ましたキャリーが座る。
フィリップがひとまずお礼をと口を開きかけた途端、ミストは手を振った。
「そーいうのは時間の無駄だからおよし。皆がそれぞれの持ち場を守っただけさね」
「……わかりました。では、俺から。王族の方々や王城に残っていたものを全員、マリオン殿下の塔から一番遠い広間に集め、守りに徹しておりました。魔女たちの攻撃で王城に多少の被害は出ましたが、王宮付き魔術師たちで修復を行っています」
フィリップが極めて事務的に報告すると、アーシャが次はわたし、と手を上げた。
「わたしはマリオン殿下のリップ痕を消した後、この小屋の守りを固めていました。何人か魔女が来ていたようですけど、帰っていただきました。マリオンは少しずつ元の姿に戻りつつあります。しばらくはあきちゃんの魔力が必要ですが、もう心配はありません」
彼女も事務的に報告を終える。キャリーは二人に視線を向けたのち、魔女を見た。
「あの、何がどうなったのでしょう」
「あんたの覚えてるところまでを話してくれりゃいい」
「はい。……あの日、日が変わってすぐクロード様が暴れ出して……両手足をベッドに縛り付けるように言われていて、それを外そうと暴れていました。爪を伸ばして自分を傷つけようとしたので、暴れるクロード様を押さえつけてる時に頬に痛みが走って……そうしたら『贄は捧げられた』と声が聞えて……」
その時のことを思い出すとまだ震えが走る。キャリーが俯くと、クロードが口を開いた。
「俺は眠ったままだったのか、そのあたりの記憶はない。気がついた時にはお師匠様がいた」
うつぶせに寝ころんだまま、クロードは申し訳なさそうに言う。
「声が聞えた後、黒い霧に襲われて……寒くて眠ってしまったんだと思います。そのあと、気が付いたらミスト様がいらっしゃってて……次に目を覚ましたら、日が変わっていました」
「俺は外の様子を『目』で見ていた。お前たち二人がいたマリオン殿下の塔を中心に魔法陣が描かれ、無数の魔女たちが飛んでいた。それがいきなり魔法陣がはじけて消え、魔女たちもろとも吹き飛んだように見えた。衝撃波がすごくて塔が爆発したかとも思ったぐらいだ。……広間に避難していた者たちは城が崩れると思ったようだ」
「ああ。あれは本当に見物だったのう。おそらく闇の王は、召喚間際まで来ておった。クロードの心臓が捧げられて折ったら、本来の力のなん十分の一かの闇の王は顕現したかもしれんの。じゃが、贄がキャリー嬢の血になったことで、全てが霧散した」
魔女ミストは深くかぶったフードの奥でくっくと笑った。
「わたくしの血……?」
「そう。闇の王の召喚に女の血が混じっちゃダメなのさ。人間は女から生まれる。だが魔女は木の股から生まれる。闇の王もな。女から闇の王が生まれてはいけないという不文律があるんじゃよ。だから贄としてささげられたキャリー嬢の血が、全てを崩壊させたんじゃ」
「そんなこと……」
「お師匠様、それをなんで先に教えてくれなかったんですか……」
がっくりと長椅子に倒れ伏すクロードに、ミストは肩をすくめた。
「じゃがな、銀の血だけは例外なんじゃよ。銀の血の器は、性別を問わず闇の王の器になりうる。あの場にいたのがあきちゃんで、流れた血が彼女のものだったら、本当に闇の王が顕現しておったろうな。それにの、クロード」
魔女はじっと弟子を睨みつける。
「お前に先にこの話をしたら、キャリー嬢を囮に使おうとしたんじゃないかね?」
「そんなことは」
「そもそもあたしゃ手伝わんと言ったよ。あたしも魔女のはしくれだ。あんたたちに手を貸したことでまた肩身が狭くなる」
「それは……」
クロードは言葉を濁らせる。
「精神毒さえなきゃ、あたしが出ていく必要もなかったんだけどねえ。……あんたの食らった精神毒は、ずいぶん根深かったからさすがのあたしでもてこずったし」
「……すみません」
すっかりしょげて言葉を失ったクロードを気にしつつも、キャリーは口をはさんだ。
「あの、それで、わたくしにまとわりついていた闇の蛇は……」
「あれが召喚された闇の王の核、何だろうねえ。お前さんの体に入ろうとしてたんだよ。体の中に何かが入った感覚はなかったかい?」
「ありました……」
あれがそうだったのか、とあの時の感覚を思い出して両手で体をかき抱いた。
「闇の王としては顕現出来なくなったから、原因となった血の持ち主に復讐しようとしたんだろうさ。普通なら、あんな濃い力の塊、取り込んで変容しない者はない。だが、お前さんはすでに今の姿になっている。おかげであれは何もできず、わしにあっさり封印されたってわけじゃ」
そういえば、そんなことを言っていたような気もする。そう言えば、ミストは頷いた。
「ああ、そんなことを言っていたね。お前さんがあそこにいてくれたおかげで、全てこともなく終われたんだ。一番の功労者だよ。ありがとうよ、小さな魔術師殿」
「え、あ、あの」
急にそんなことを言われて、キャリーは粟を食った。
「キャリー殿、守ってくれてありがとう」
クロードの言葉にも真っ赤になりながら首を振る。
「そうだな、キャリーが今の姿でなければ、もっと大ごとになっていただろう。大変だったな」
普段めったに褒めない兄の素直な褒め言葉はとてもうれしかった。
「あ、でもクロード様の口から出た声も、気絶する前に聞いた声も女の人の声でした。闇の王は女なのですか?」
「さて、どうだかね。もはや伝説レベルだからねえ。もしかしたら魔女の誰かの悪戯だったのかもしれん。……話はこれでおしまいじゃ。まだ聞きたいなら、クロードの精神毒を取り除くのにもぐった時の話でもするかの?」
「お、お師匠様、それだけは勘弁してください!」
飛び起きたクロードがミストに詰め寄る。それほど知られたくない内容だったのだろうか、と逆に興味を掻き立てられてしまうのは、仕方がないことだろう。
「あら、わたしも聞きたいわ。お茶淹れましょうか」
ころころ笑いながら、アーシャが立ち上がる。が、ミストが珍しく制した。
「いや、わしが淹れて来よう。お前はその鎖をそろそろ解いておやり」
そういえば、とアーシャの手首から伸びる赤い鎖に皆の視線が集中する。赤い鎖はいまだに二人の体にまとわりついていた。
「そういえばそうだな。もう解除してしまってもいいだろう」
「そうね。……あの、マリオンにもう少し力を与えてもいい?」
マリオン殿下は塔で見た時よりもずいぶん大きくなって見えた。が、元の姿に戻るまではもう少しかかるのだろう。
「そうだな。あとは自然に目覚めるだろう」
クロードの言葉にアーシャは微笑んでマリオンの頬に手を当てた。
「マリオン殿下の看病は王宮付き魔術師たちで請け負う。キャリー、お前も手伝ってくれるな?」
フィリップの言葉にうなずきかけて、キャリーは自分の姿のことを思い出した。
「いけません、兄様。わたくしは黒猫図書館での行動の償いが残っています。マリオン殿下のお傍についていることはできません」
「ああ……そうだったな。わかった。では、その償いが終わったら知らせてくれ。迎えに行く。黒猫図書館の面々にも迷惑をかけたのだろうし、詫びもせねばな。クロード、かまわないだろうか」
「別にかまわない。まあ、図書館の再開のめどが立てば、だがな」
クロードはソファに腰を下ろすと、足を組んだ。
「あきちゃんの魔力はマリオン殿下に流していたから流れていないし、俺の魔力と一緒に魔女の力も流れたから、図書館はてんやわんやだと言っていた。再開するまでにキャリー嬢のペナルティも終わりそうな気がする。まあ、どちらにせよ一度図書館に戻らないとな」
「ええ、わかっています」
「それから、アーシャ……アッシュネイト姫」
フィリップはアーシャの傍に膝をつくと頭を下げた。
「おい、フィリップ……」
「王宮付き魔術師として、お伺いいたします。……お戻りになる気は、ございませんか」
「やめろ、フィリップ」
クロードはフィリップの肩に手をかけた。が、アーシャはそれを首を振って往なすと、立ち上がった。
「……フィリップ様。わたしにはやらなければならないことがあります。それをやり遂げるまで、戻ることはできません。アッシュネイトは五年前、北の森で死んだのです。わたしはただのアーシャ、ヤドリギの魔女の弟子、ですわ」
フィリップを見る瞳には怯えや恐れはなく、強い意志を湛えた光が浮かんでいる。
フィリップは顔を上げ、じっと目を合わせていたが、視線を外すと深い息を吐いた。
「わかりました。……アーシャ殿、今回の一件、ご協力ありがとうございました。マリオン殿下を無事保護できたことに感謝いたします。問題がなければマリオン殿下を城にお連れしたいのですが、かまいませんか?」
「ええ、もう大丈夫です。お連れください」
アーシャが場所を空けると、フィリップはマリオンを毛布で包んだ。それから、ポケットから魔石の塊を取り出すとアーシャに差し出した。
「これがクロードに送り込まれていた魔法を封印した魔石です。魔女ミストにお渡しください」
「お預かりします」
アーシャが受け取るのを確認してから、フィリップはもう一つの魔石を取り出した。
マリオンを毛布ごと抱き上げ、短く何かを詠唱すると、足元に紋様が広がり、光を放った時には二人とも姿を消していた。
「おや、もう帰っちまったのかい。せっかちだねえ」
奥からお盆を手に戻ってきたミストは、結界を内側からあっさり破られたことに眉を寄せる。それを、アーシャは笑いながら結界を張り直していく。
「すみません、お師匠様。……俺もう、限界」
それだけ言うと、クロードは長椅子にぱたりと倒れ込んだ。キャリーが慌てて駆けよれば、すでに寝息を立てている。
「まともに寝てない上に魔力も体力も食い荒らされたんだ。当たり前だろうよ。そのまま寝かせておやり」
黒い毛並みに覆われたクロードの顔色をうかがうことはできないが、耳は完全に倒れてしまっている。相当なダメージを食らったのだろう。
「お前さんもいろいろあって辛かろう。あきちゃんの隣で寝ていきな」
ミストの言葉にキャリーは素直にうなずいた。怒涛のような日々は終わったのだ。
アーシャが持ってきてくれた毛布はよい匂いがした、と思った後は記憶がない。
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