三十八の掟 企ての終焉
「クロード様!」
何度呼んだか知れない。揺さぶっても全く目覚めないのは、やはり体を乗っ取られていた影響なのだろうか。
キャリーは不安を押し殺しながら、何度も声をかける。
目の前のクロードに集中していたせいで、背後のことなど全く気を回していなかった。
何かが体に入ってきた、と気が付いた時には遅かった。視界が暗くなってようやく、自分に何かが起こっていると知った。
「な……」
手を見れば、指先まで黒い霧状のものが蛇のように巻き付いている。全身を闇が覆いつつあった。
姿見があれば、エプロンドレスを纏ったキャリーの全身に蛇が巻き付いているのが見えただろう。そして、背中は、闇が蝙蝠の羽のように広がっていることも。
霧が触れているところからどんどん熱が奪われていく。寒さで震えが止まらなくて、自分の身をかき抱く。
寒くて立っていられなくなって、絨毯の上にぺったりと座り込んだ。かろうじて手の届いたベッドからはみ出す毛布を震える手で引っ張り、身にまとう。それでも内側からどんどん冷えていくような感覚は泊まらない。寒いのに額には汗が浮かんでしずくが転がり落ちていく。
闇を散らす魔法を思い出したけれど、震える唇ではまともに言葉を紡ぐこともできない。
いつだったか、寒さで意識が飛ぶのだと聞いたことがあったが、こんなところで体験することになるなんて。
クロード様、と発した声は音にならず、キャリーは意識を手放した。落ちていく意識の中で、誰かが『どうして変容しない!』と叫んでいるのだけが聞えた。
「ほれ、起きな」
その声でキャリーは目を開けた。どうやら眠っていたらしい。
どれぐらい眠っていたのだろうと顔を上げると、床に座り込んだまま、毛布にくるまっている。
目の前にはフードを深くかぶったすらりと背の高い魔女の姿があった。
「ミスト様……?」
そう声をかけつつも、これほど背が高かっただろうかと疑問を抱く。
「ああ。あんたのおかげで最悪のシナリオは避けられたよ。……立てるかえ?」
魔女の差し伸べた手につかまって立ち上がる。老女とは思えない力強さに驚きながらも礼を述べた。
「クロード様は」
「ああ、さすがに精神毒で参ってたようだねえ。乗っ取られかけてたようだけど、よく抑えてくれたもんだ。間に合わなきゃ今頃自分の手で心臓を抉り出して死んでただろうよ」
やっぱり、とキャリーは身震いをしつつベッドの上のクロードに目をやる。
あの行動は勘違いなんかじゃなかった。意識を失い、操られたクロードの手を押えたのは間違いではなかった。
魔女の手がすっと頬に伸びて、びくっと体をこわばらせる。が、魔女の手は優しく頬を撫でていく。
「まったく、女の子が頬に瑕なんかつけたままにするんじゃないよ」
傷薬をつけてくれたのだろう、ぴりりとわずかに痛んだ場所がほわりと暖かくなった。
「でもまあ、これのおかげで闇の王の召喚は失敗したわけだし、あんたのお手柄と言えるかねえ」
「え?」
そういえば、と気を失う直前のことを思い出した。黒くまとわりついていたあれは、どうなったのだろう。あれからどれぐらい時間が経ったのかわからない。
「あの、今は何時ですか?」
「まだ夜中の二時だよ。魔女の狂宴は続いてるが、闇の王の召喚の儀は終わったよ」
「終わった……? え、どういうことですか?」
魔女ミストの言葉に混乱してくる。儀式は翌日まで続くのだとてっきり思っていた。それに、クロードから噴き出した闇は、自分にまとわりついた黒い蛇はどこへ行ったのだろう。
クロードはと見れば、苦しんでいる様子はなく静かに眠っている。
「そうだねえ……面倒だから、全員そろってから話すよ。あんたももうお休み。あたしがついてるし、大丈夫だから」
追い立てるようにベッドに横になり、毛布を掛けられる。
あれだけ恐怖をあおっていた地鳴りも魔女たちの笑い声は聞こえない。闇の気配も、何一つ残っていない。
「でも、クロード様は」
「心配ない。精神毒の解除はしておいた。まあ、意識を失ってなければ体を操られることはなかったんじゃがな。軟弱者めが」
クロードが軟弱者とは思えなかった。どれだけ苦痛にさいなまれていても、キャリーを気遣ってくれた。並大抵な精神力ではなせなかったに違いない。
「お前さんが気にするこたぁない。さ、お休み。クロードは明日まで目を覚まさん」
魔女ミストの口調が優しいものに変わる。キャリーは頷き、目を閉じた。
次に目が覚めたのは翌日の朝。魔女の狂宴がすっかり終わった翌日だった。
目を覚ました時には枕元にフィリップがいた。魔女ミストもそのままこちらにいてくれたようで、フィリップの後ろから手を振ってくれた。
クロードはキャリーより後に目を覚ました。精神毒の影響と、七日もベッドにいたせいで、やつれて見えた。
「ともかく一度うちに戻ろうかの。フィリップ殿、そなたも一緒にの」
「はい。こちらもお話ししなければならないことが山積みですので、音も致します」
「兄様、わたくしが表に出ても大丈夫なの?」
こそっと耳打ちすると、フィリップは微笑を浮かべてキャリーの頭に手を置いた。
「大丈夫だ。あきちゃんとお前が行方不明になったのもすべて魔女のせいになっているから」
「えっ」
「ともかく、出かけるとしよう。同じ話を何度もするのは嫌いでの」
魔女ミストの言葉に従って、クロードたちはマリオン殿下の塔を降りた。
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