三十七の掟 始まりの鐘の音
魔女ミストが戻って来てからすぐ、マリオンの三つのリップ痕は無事解除されあt。他の魔女たちの痕跡もなく、魔力と生命力を蓄え始めたマリオンはバラ色の頬で眠りについている。
体も、おそらくはあの三人の呪いだったのだろう、徐々に元のサイズに戻り始めているように見える。
迎えに来てもらう時には元のサイズの服が必要になるだろう。
「おばば様」
時計はすでに今日の終わりまであとわずかであることを告げている。アーシャは時計を見あげ、師匠である魔女ミストを振り返った。
「小屋全体とこの部屋の内側を二重結界で固めたんだろう? お前が気を失っても大丈夫なように、魔石を媒介にして彼女の力も流せるようにした。よほどの予定外な子後が怒らない限り、二人は大丈夫さ」
「……はい」
「いいね、誰が来ようと決して扉を開けるんじゃないよ。クロードやあたしの声でも、日が変わるまでは決して」
「はい、おばば様」
「鏡はまだつながっているね。つながらなくなっても焦らないこと。それから、自分を信用するでないよ。……日が変わったと思い込まされることがあるからねえ。二人に異変が起こったように思いこまされることだってある。いいね、自分も他人も信じるな。二人と、自分を守ることだけ考えな」
「はい」
アーシャは頷きながら言われたことを反芻していた。自分も含めてすでに魔女の罠にかかっている可能性だってある。魔女の狂宴が始まれば、何が起こるか分からない。
何一つ信じない。この部屋を死守することだけを考える。扉を空けてはいけない。
「では、行ってくる」
師匠を見送ったあと、アーシャは心を決めた。
扉を窓を開けてはいけないのなら、なくしてしまえばいい。
あきちゃんの力を借り、全ての出入り口という出入り口をふさぐ。暖炉の火を消し、煙突の穴さえも塞いだ。
空中にいくつも浮かせた灯りの揺らめきに影が伸びるのを厭い、無数の明かりをつける。
時計がかちりと針を勧め、柱時計が時を知らせた途端、地響きと魔女たちの喜びの歌が聞えた。
――魔女の狂宴の始まり。
魔女の弟子、と名乗ってはいるものの、アーシャは魔女ではない。二人の眠るベッドに乗り上げると、二人の手を握らせた。そして開いている反対の手を握り、目を閉じる。
マリオンは吸い上げられた生命力が戻れば目を覚ます。メイザリー姉様も、クロード様が戻れば目覚める。目覚めてしまえば三人とも別々の道が待っている。
こうやって三人で同じベッドにいるなんて、本当に何年ぶりだろう。
「メイザリー姉様……マリオン」
縮んでしまった二人は記憶のままの幼い姿で、なつかしさがこみ上げてくる。自分一人、五年分の時が進んだ。
「わたしが守ります」
そっと二人の額にキスを落とすと、二人の手を握ったまま深い瞑想に入った。
フィリップはその瞬間を塔ではなく国王一家の傍で迎えた。宮廷内に残っているものはすべて、この大広間に集められている。
地響きと共に魔女の笑い声が響き渡る。女たちは怯えた声を漏らし、子供は悲鳴を押し殺して目と耳を閉じている。
護衛の者たちも、恐怖で心を塗りつぶされそうになりながら立ち尽くしている。
この場所を守っている者にはいくつもの加護をかけ、護符を見に就けさせている。だが精神面を支えるものはない。あるのは、幾重にもかけられた結界のみだ。
魔女が放った火球で破壊音が聞こえる。ガラスが割れる音に悲鳴が上がる。静まれと声をかけたところで押えきれるものではない。
ちらりと後ろを見れば、王と王妃は身じろぎもせずに蒼い顔のまま座っている。王子・王女たちもわきまえたもので、表情は硬いが怯えを見せないようにしているのだ。
帰り損ねた官吏が時折声を上げる。
「魔女の狂宴は日が変わるまで続きます。起きて待っていてもかまいませんが、眠れるようでしたらお休みください。横になる場所は確保してあります」
振り向いてそう奏上すれば、王は頷いた。
「余と息子たちで寝ずの番をする。妃と姫たちは先に休め。侍女と侍従も休ませよ。明朝の世話を頼まねばならん」
「心得ました」
王の言葉に、フィリップは広間を横切りながら王の命令を伝えていく。王都王子が起きているのなら眠らないと抵抗する者たちにも王命であると言い含め、仮眠室へと引っ込ませる。
王女たちが全員部屋へと下がると、残るは王と王子、警備にあたる兵士と宮廷付き魔術師たち、そしてあちこちからかき集められた魔術師たちだけとなった。
フィリップは他の魔術師たちと協力して結界をさらに強化しながらも、外で怒っていることに神経を集中させる。
外に配置してあった『目』はほとんど魔女に壊されてしまった。一つだけ残っている目には、マリオン殿下の塔を中心に球形に展開された闇の魔法陣と、その周辺を飛び回る無数の魔女の姿が移る。
まるで嵐の時の垂れこめた暗雲のようだ。
その中心に、クロードと妹がいる。
無事でいてくれ、と祈る以外、今の自分には何もできない。
自分に課せられたのは、城の人々を守ること、最悪の事態になった場合、全員を無事に逃がすこと。
万が一のための魔法陣は、すでに布陣済みだ。
始まってまだ半刻も立っていない。遠すぎる夜明けを呪いながら、このまま何事もなく終わってくれ、とひたすらに祈った。
地響きと魔女たちの笑い声に、キャリーはクロードを振り返った。
紫のリップ痕から流れ出す魔力は途切れており、さらりと光を失ってリップ痕が消える。
「クロード様!」
両手両足をベッドの足に縛り付けられたクロードは、目を血走らせながらもがいている。
念のため、と縛ったのが本当に役に立つなんて思わなかった。キャリーはその場に立ち尽くした。
クロードの鋭くとがった爪は、自分の胸を向いている。自分の心臓を抉り出そうとしているのだと気が付いて、キャリーは右手に飛びついた。
「だめです! クロード様、目を覚ましてください!」
口から泡を吹くクロードの意識はすでにない。食事が喉を通るようになったおかげで体力は温存できているが、その分キャリーをはねのけようとするクロードの力は強い。気を抜けば部屋の反対側まで弾き飛ばされそうな勢いだ。
「闇の王に闇の心臓をささげよ」
クロードの口から女の声が漏れる。魔女の誰かの声なのだろうか。
「だめです、クロード様は生贄ではありません!」
こんな子tなら麻痺毒の解除をしない方がよかったかもしれない、とまで思う。
「それにクロード様の心臓は闇に染まっていません」
振り回すクロードの爪が頬をかすめた。ちりっと痛みが走り、血の匂いが部屋に充満した途端。
『贄は捧げられた!』
クロードの口から宣言と甲高い笑い声が響いた。
「クロード様!」
必死で押えていた右手はすでに力を失い、伸びていた爪も元通りだ。見開かれていた目も、今は閉じている。
「クロード様!」
強めに揺さぶってみたが、反応はない。その背後に、部屋に淀んでいた黒い魔力が凝り固まり、空間から染み出るように闇が出現していることに、キャリーは気が付いていなかった。
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