三十六の掟 ヤドリギの魔女とカッコウの魔女

「何をしに来たのか聞いてもいいかしら」


 背中を覆うほどのつややかな黒髪を流し、胸の大きく開いた真っ赤なドレスを着崩して、長椅子にだらしなく体を預ける魔女は、目の前に立つ薄ぼけた姿の老婆に煙管を突きつける。

 それに答えず、老婆は部屋の中をぐるりと見回した。

 広いダンスホールに緋色のじゅうたん。設えられた質の良いソファに見目好い青年。


「あんたは相変わらずだねえ、ゲール。派手だこと」

「その名で呼ばないでよ。あたしには似合わないわ。せめてナイチンゲールって呼んで」

「古なじみのよしみで呼んでるんだよ、ゲール。カッコウの魔女だなんて、誰かと思ったじゃないさ。素直にウグイスの魔女だと名乗ればよいものを」

「よしてよ、あんたと古なじみだとか、一発でばれちゃうじゃないの。若い魔女ってことで通してるんだから」


 すると老婆――魔女ミストはやれやれ、とフードをかぶった頭を振った。


「魔女討伐をようく知ってる時点で化けの皮なんざはがれてるよ。あたしがここに来たのはねえ、あんたがなんであれに力を貸したのか、聞くためさ」

「ああ、それ。……あたしは別に何だってよかったのよ。見目好い子を手元に置きたかっただけ」


 それを聞いた途端にミストの表情が曇った。


「あんた、誰に騙されたんだい? あんたが好きなのはそこにいる、知性も教養も兼ね備え、美しくたくましく、しかも優雅な青年。そうじゃなかったかねえ? なんであんな、幼い王子に力を流し込んだりしたんだい。誑かすにしたってあんたの好みに成長するまであと十年はかかるってのに」


 ゲールと呼ばれた魔女は笑い出した。


「はぁ? 何それ。幼い王子? そんなの興味ないわよ。今の王宮付き筆頭魔術師よ、あたしのターゲット。金髪の素敵な子と揃いで欲しかったのに、惜しいことをしたわ」


 ミストはやれやれ、と頭を抱える。

 まさか狙いはフィリップ・フィッシャーズだったとは。しかも、クロードがいた頃から目をつけていたとはね。それにしても、何でこんなことに力を貸しているのやら。


「そういえば、今回の件をたくらんだ三派閥のトップの子たち、捕まったんですって? ばっかねえ、迂闊にもほどがあるわ」


 けらけらとわらう古なじみに、ミストは首を振った。


「あの子たちは自業自得じゃろ。それにしても、本気で闇の王を顕現させようとか、若い子たちはとんでもないことを考えついたもんだねえ」

「そうみたいね。どうせうまくいかないでしょうけど、どうでもいいのよ、そんなこと。混乱に乗じて彼を迎えに行ければそれで」

「あの子は簡単には落ちないよ」

「最初はどうだっていいの、最後に心を勝ち取れればいいのよ」

「やれやれ、ゲール。あんたは相変わらず恋多き女のままだねえ。その情熱と思いの持続力だけは尊敬に値するよ」


 ミストの言葉にゲールは眉根を寄せた。


「よしてよ、あんたからそんな言葉なんて」

「婆には必要のないものだからね。そうそう、アンタの魔力に精神毒と肉体改造の魔法を乗せてるのは、あんたの意思かい?」

「なんですって? そんな姑息な技、使わないわよ。……どこかであたしの魔力に乗せてるんだ。なんて憎ったらしい……」


 いらいらと爪を噛み始めるゲールに、ミストは肩をすくめる。


「あんたのことだ、契約に則って必要な魔力はもうすべて渡してあるんだろう? 渡した魔力をどう使われようと、かまわないんじゃないのかい?」

「……そりゃ契約は契約だから、あたしができることは何一つないけど、そのことだけはあたしの意思じゃないって誓ってもいいわ。それにしてもあの子たち、何考えてたの? 闇の王の召喚レシピなんてそんなに変わらないでしょうに」

「そういや古い文献を解読中だとか言っていたね。そんなの、大昔に何度も試したってのに。おおよそどこかで掘り出した古書を見てやってみたくなったんだろうねえ。いつの時代も同じさ」

「ああ、やったわねえ、あたしたちも。……あの子たちには新しい遊びに見えたのね。もう何百年も前から繰り返されてるってのに。ま、それを知ってても魔女あたしたちも何も言わないしね」

「とりあえず、あんたが首謀者じゃなくてよかったよ、ナイチンゲール。数少なくなっちまった古なじみを、また一人失わなきゃならないのかと思ってたんだ」


 ミストは腰を上げた。


「そう。……悪いわね、なにも手伝えなくて」

「別にいいさ。……そうそう、あんたがマリオン殿下に施したリップ痕ね、クロードが今引き受けてるよ」


 途端にゲールはソファから飛び上がった。


「クロードって……なんで彼が王城にいるのよっ!」


 つかみかからんばかりに詰め寄った古なじみに、ミストはフードを少しずらして顔を見せた。


「クロードはマリオンの名付け親なんだよ。息子の危機に駆け付けたってところかね。まあ、あの子も今は昔の面影なんざひとっつも残ってやしないけど。……フィリップはクロードの親友だ。あんたの魔力がクロードとマリオンを傷つけたと知れば、どう思うかね」

「ミスト……そればらしたらひどいからね。もしばらしたら、あんたの正体もばらしてやる」


 ゲールの恨みがましい視線にミストはふんと鼻を鳴らした。


「じゃ、今回のたくらみは諦めるんだね」

「いやよ! それじゃ何のために力を渡したのか、わからないじゃないの!」


 なおも食い下がるゲールに、ミストは呆れ声をあげた。


「何言ってるんだい。契約上の対価はもうもらってるんだろ? それ以上は欲張りってもんじゃないかねえ」

「魔女として当然の権利じゃないの」

「権利なんかであるものかね。どうしてもフィリップが欲しけりゃ正面から当たんな」


 邪魔したね、とミストは古なじみに背を向ける。


「ねえ、ミスト。……あんたどうしてその姿なのさ。あたしたちは魔女、好きな姿になれるのよ?」

「……野暮なことを聞くでないよ。あたしゃ心も体もすっかり婆さんさ。かわいい弟子が二人もいる。それで十分だよ」


 振り返ったミストは、いつもになく優しい笑みを浮かべていた。


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