三十四の掟 浸食
キャリーからの通信でクロードの変容を聞いたヤドリギの魔女は顔をしかめた。
「そうかい。あれだけの縛りをかけられていてもまだ変容する余地があったとはね。仕方ないねえ」
それきり魔女は口を閉ざして引っ込むのを、暖炉の傍で兄弟二人を見守るアーシャは黙って見送った。
濃い魔力が人や動物に変化を与えるのは知っていた。この森の傍でも、魔女の力にあてられて『変容』した兎や鳥はよく見かける。
過去見たことのある変容した動物や植物は、多くが攻撃性を強めていた。
では、人の場合はどうなのだろう。それに、精神毒の問題もある。
変容を取り除くには、体内に蓄積された魔力を放出すればいい。森の兎たちも、ある程度弱らせて捕獲した後、おばば様が魔力を吸い上げて解放している。
クロードの場合も同じ要領で解放できるのだろうか。おばば様にさほど慌てた様子がないところから、深刻な問題ではないのかもしれない、とアーシャは自分を納得させる。
そういえば、マリオンもあの濃い力に一昼夜晒されていたのだ。もしかしたら変容が怒っているのかもしれない。
そうでなくとも今のマリオンは自己魔力がゼロなのだ。
「ちょいと出かけてくるよ。何かあったら知らせておくれ」
奥から出てきたおばば様は、アーシャの顔を見ずに出ようとする。アーシャは戸口まで見送りに出ながら声をかけた。
「おばば様、マリオンのことですが、クロードと同じように変容が始まっているのではないですか?」
「マリオンがかい?」
魔女の怪訝そうな声にアーシャは言葉を継いだ。
「クロードにリップ痕を移すまでの一昼夜、あの魔力に晒されていたのだもの。あり得るでしょう?」
すると魔女は眉根を寄せ、眠るマリオンに歩み寄った。額と心臓に手を当てると、眉根を寄せる。
「変容しておるの。じゃがこれは……普通の変容ではないの。闇の器とするべく……闇の王となるべく肉体改造の魔法が流しこまれておる」
「えっ……」
驚く弟子に、魔女は頷いた。
「間違いなかろう。クロードの味覚が変わったのはこれのせいじゃ。……アーシャ、魔石を持ってきておくれ。魔法が定着する前に手を打たねばならん」
「はいっ!」
アーシャが慌てて奥へと引っ込むのを横目で見ながら、魔女ミストは深々とため息をついた。
「結局わしが出るしかないんじゃのう……」
ぽつりと零された言葉は、弟子の耳には届かなかった。
◇◇◇
『……というわけじゃ。すまんがそちらで施術を頼めるかの』
鏡を通じて告げられた内容に、キャリーは言葉を失った。
あの後、昼に持ち込まれた様々な食材も、口に入れればすべてが血の味に変わることが分かって、八方ふさがりだった。
クロードがまともに口に入れられるのは水だけ。砂糖水やレモン水もその味のままで飲めることは分かったのは行幸だった。
「兄様」
後ろを振り返れば、後ろで話を聞いていた兄が小さく頷いた。
「わかりました。魔石の準備はこちらで行います。クロードに欠片得ているペナルティの魔術に頼りすぎました。せめて防御の魔術をかけておくべきでした」
『確かにの。……わしもあやつの魔力を侮りすぎておったわい』
「では、魔石を準備したらご連絡します。今からクロードの体に魔法を受け流す施術をしたいのですが」
鏡の向こうで魔女は目をつむると首を振った。
『やめておいた方がよかろうの。それよりはかけられた魔法を魔石に封じる方が怪しまれずに済む。……そなたがかけるのかの?』
「はい、そのつもりです」
『では、封じ終わった魔石はすべて封印してまとめておいてくれ』
「承知しました」
『魔石の準備を急げよ』
その言葉にフィリップは頭を下げ、部屋を出ていく。キャリーはベッドの上のクロードに視線を向けた。
砂糖水だけの昼食を摂ったのち、クロードは体力温存のために大人しく眠りについている。
魔女ミストの説明では、流し込まれている魔力に、精神毒と肉体改造の魔法が乗せられている。どちらの魔法もクロードの『肉体』のみに影響を与えているのだと魔女ミストは言っていた。
あふれた魔力を浴びて変容することはあり得るが、クロードが受けている肉体改造の魔法とは違う。
クロードが変容したのがあふれた魔力によるものでないと知って、キャリーはクロードの枕元に椅子と鏡を移動させた。
浴びるように魔力を長い間受け続けない限り、人間は変容しない。そう魔女ミストは言い切ってくれたことも、キャリーを恐怖から解放してくれた一因だ。
額の濡れタオルを取り換える。クロードのひげと鼻がぴくぴく動いている様子から、夢を見ているのだろう。
眠っている間は精神毒の影響が薄れると言っていた。いっそのこと眠りの魔法で寝てもらうとか睡眠薬で強制的に眠るというのはどうだろう。つらい記憶を繰り返し見るよりは、そっちの方がいいに違いない。
キャリーはたらいの水を変えに立ちながら、何もできない自分への苛立ちを隠せなかった。
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