三十三の掟 変容
目を覚ますと、クロードはまだ眠ったままだった。
カーテンの隙間から漏れる日差しから、フィリップが食事を持ってくる頃だろう。
キャリーはクロードを揺り起こす。身じろぎもせず静かに眠るクロードが、マリオン殿下のように眠ったまま目を開けないのではないかという不安がよぎったからだ。
「クロード様、起きてくださいませ」
揺すりながら何度か声をかけたところでようやくクロードの耳がピクリと動いた。
「キャリー嬢……?」
「よかった。……動けますか? 動けないようでしたらたらいとタオルをお持ちします」
「ああ……いや、シャワーを浴びる」
のろのろと起き上がったクロードは、重たそうに頭を振る。体力と魔力は奪われていないのだろうが、やはり魔女の魔力の影響は受けているのだろう。
クロードが浴室に消えると、キャリーはバスタオルを準備した。普段直立猫の姿のクロードには着替えは不要だ。
クロードが出てくる前にフィリップが上がってくる気配に気が付いた。
扉の方からおいしそうなにおいが漂ってくる。
「おはよう、キャリー。クロードは?」
ちらりと空のベッドに視線をやりながら、兄はキャリーに食事の載った盆を押し付けた。
「シャワーを浴びていらっしゃるわ。あら、お茶はあたたかいままなのね。お兄様の分もお淹れしますわ」
「ああ、頼む。……アーシャ殿からの連絡は」
「まだありません。あちらまで半日はかかりましたから、夜通し飛んだとしても今頃到着した頃でしょう。……二人も抱えてですから、もっと遅いかもしれません」
「そうか」
フィリップは苛々を隠せないようで、部屋の中を歩き回っている。
「他には」
「……夜半に魔女が来ました」
サイドテーブルに食事のセッティングをしながら答えたキャリーに、フィリップは歩み寄った。顔を上げれば眉を寄せてこちらを睨んでいる。
「詳しく話せ」
キャリーは頷いて、見聞きしたことすべてをできる限り正確に伝えた。
「カッコウの魔女、と言ったのか」
「ええ。そう言った名の魔女をご存じありませんか、お兄様」
「リストにはなかったな。……ヤドリギの魔女は、四つ目のリップ痕は古い魔女のものだと言っていたのだな?」
「ええ。魔女討伐の時期に大半は亡くなったそうで、残っているのは数えるばかりだとおっしゃっておられました」
「その魔女たちのリスト、手に入らないだろうか」
「無理だろうな」
割り込んだ声に顔を上げれば、バスタオルをかぶったクロードが立っていた。
「フィリップ、朝から悪いな」
「それはいい。それより、なぜ無理だと?」
「お師匠様は仲間を売りたくないと言っていた。……おそらく、誰の魔力か把握済みなんだろうと思う。それでも教えてくれなかったってことは、親しい関係の相手だってことじゃないかと俺は思う。たぶん、自分で何とかしようと思ってる」
クロードの言葉に、フィリップは顔をしかめた。が、それ以上そのことには触れなかった。
「……ともあれ、三人の魔女はおかげで個人が特定できた。魔女の狂宴までには捕縛できるだろう」
「ああ、そっちは頼む。キャリー嬢、アーシャに連絡を。昨夜のうちに通信用の鏡を設置しておくべきだった。すまない」
「いいえ、わたくしも失念しておりました。すぐつなげますわ」
キャリーはクロードの枕元に通信用の鏡を開き、寝た状態のクロードからも見えるように配置した。
『遅かったのう、待ちくたびれたわい』
「申し訳ありません、お師匠様。昨夜はばたばたしておりまして」
『まあ良い。こっちもマリオン殿下の精神毒の解毒で手一杯じゃったからの』
「ということは、もうアーシャはそちらに?」
『日が変わるころに到着したぞ』
鏡から聞こえてくる会話にキャリーは目を丸くした。
「すごいわね……」
『ああ、あの子の力を借りておったようじゃからの。これくらいは軽いモンじゃろう。して、昨夜はどうであった』
クロードは先ほどキャリーと話した内容をそのまま伝えた。カッコウの魔女、と名前が出た途端、魔女ミストが視線を逸らしたのにキャリーは気が付いた。
『そうか。……やはりあやつがのう』
「お師匠様、お尋ねしたいことがあります」
『居場所を教えろと言われても知らんぞ。あれ以来交流はない』
「いいえ、精神毒の方です。マリオン殿下はもう?」
『ああ、解毒は終わった。もう大丈夫じゃ。魔力と生命力についても、アーシャ経由であの子の力を借りておる』
「そうですか。……時にお師匠様、黒猫図書館の方は何も問題ありませんか?」
『あ』
魔女はしばらく視線を外した後、顔を上げた。
『お前に流し込まれた魔力のうち、上限を超えた分はすべて黒猫図書館に流れておるな……お前にリップ痕を移したのは、これを見越してのことか?』
魔女が眼光鋭く弟子を睨む。クロードは頷いた。
「ええ。……ただ、精神毒も一緒に流れ込んだのではないかと思って」
『馬鹿者めが。そのつもりならなぜわしに先に知らせん。おかげで機能障害が出ておるわ』
キャリーは図書館に残ったメンバーの顔を思い起こした。クロードと同じく直立猫の館長代理、司書のドワーフと美女。彼らは困っていないだろうか。
「すみません、他人から流し込まれた魔力も同じように処理されるのかはわからなかったので」
「そうか、それで今日はこの部屋の黒い魔力が薄らいでいるのか」
フィリップが納得したようにつぶやいた。鏡の向こうから深いため息が聞こえてきた。魔女が頭を押さえてうめいている。
『仕方あるまい。今日は雨を降らすとしよう……休館の間に何とかしておくわい。まったく……今後お前経由で流れ込む黒い魔力は、図書館に流れないように別に保管しておくことにするわい。いずれ無害化して使うにしても、直接流し続けておったら同じことが起こるでの。……こんなことはこれっきりじゃぞ、クロード。今回の件、わしは手伝わぬと言ったんじゃぞ?』
師匠の非難を込めた言葉にクロードは居住まいを正して頭を下げた。
「すみません、約束を違える結果となってしまいました。ですが、マリオン殿下を救うには、夢渡りしか思いつかなくて……マリオン殿下はいかがでしたか?」
すると魔女はふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
『まあ、見どころはありそうじゃな。とはいえ、お前に執着するなどまだまだ子供じゃがの。事が済んで目を覚ましたら、ちゃんと謝りに行けよ』
「はい、心得ております」
『では、わしは図書館に向かう。何かあれば知らせよ。こっちはアーシャに任せる』
「心得ました」
魔女の顔が鏡の前から消えると、マリオン殿下とあきちゃんが横になっているベッドと、黒いローブに身を包んだアーシャが見えた。
『おはようございます。そちらは無事ですか?』
「ああ、聞こえていただろう?」
『ええ。こちらも順調です。マリオンの麻痺毒も解除済みです。……クロード、ごめんなさい』
アーシャは鏡の向こうで悲し気に眉を寄せた。
『わたし、そちらに戻れなくなったの。……おばば様が姉様の魔力をわたしを通じてマリオンに流すようにしてしまったの』
そう言って見せたアーシャの手に絡みつく赤い鎖は、今や二本に増えている。
「そうか。わかった。寝ている間はさほど苦しくないし、できるだけ眠るようにしておこう。アーシャは気にするな。俺は大丈夫だから。最後まで踏ん張れるさ」
そう言ってクロードが微笑むと、アーシャは口を覆って首を振った。
『最後なんて言わないで。……お願い、もしあなたに何かあったら姉様はどうするの』
「……ああ、そうだな。撤回する。俺は負けない。二人を頼む、アーシャ」
『ええ、わかっているわ』
アーシャはそう言うと鏡の前から姿を消し、鏡の中には眠る二人の姉弟だけになった。
「じゃあ、食事にしようか」
クロードの言葉にうなずき、キャリーもサイドテーブルをはさんでベッドに座った。
フィリップが持ってきたのはサンドイッチだった。ハムサンドを取り上げてほおばったとたん、クロードは口に入れたものを吐きだした。
「クロード様?!」
「クロード! まさか、毒が?!」
二人は慌てて駆け寄る。がクロードは苦しそうな顔をしながらも手を上げて二人を制した。
「どうしたんだ。本当に毒じゃないのか?」
「……フィリップ、これを食べてみてくれ」
「毒見ならさせたぞ?」
しかしクロードは首を横に振った。フィリップが恐る恐るクロードの皿からサンドイッチを取り上げて口にする、が別に何ということもない。普通に美味い。
その様子を見ていたクロードは、ため息を吐くとうなだれた。
「クロード、隠すな」
フィリップの言葉にクロードは首を横に振る。が、フィリップは引き下がらない。
「俺まで締め出すな。……何が起こっているんだ、ちゃんと話せ」
「え……」
「……予想しておくべきだったんだ。俺の体に直接魔女の魔力を流しているんだからな。見込みが甘かったよ。……こうなると、キャリー嬢もお前もこの部屋にはいない方がいい」
「何を言っている」
いきり立つ元同僚に、クロードは首を振り、縋るように見上げた。
「頼む。キャリー嬢をここから遠ざけてくれ。変容が始まる前に」
「変容だと……? お前、まさか味覚が……」
がっくりと首を垂れて、クロードは頷いた。
「血の味がしたんだ。……ペナルティを食らい、図書館の掟でこの姿を固定されているのに。キャリー嬢にかかっている図書館のペナルティもどこまで防げるか分からない。そうでなくともこの部屋自体に魔力があふれているんだ。影響を受けないはずがない。二人ともここを出るんだ」
「いいえ!」
続けようとしたクロードの言葉を遮ったのはキャリーだった。
「でも、誰かが付いていなければならないのでしょう? わたくしの方が兄様より変容しにくいから、わたくしはここにいるのです。兄様も何か仰ってくださいませ! わたくしはこの部屋できちんと役目を全うします。わたくしにしかできないことでしょう? いいえ、たとえクロード様が兄様がダメと言っても、わたくしはここにいます。マリオン殿下を守るために、わたくしができる唯一のことなんです! だからっ」
言葉が詰まって、キャリーは流れてきた涙を拭う。しばらくの沈黙を破ったのは、兄だった。
「……クロード、予定通りキャリーはここに置く。それに今さらどうやって連れ出せというんだ。キャリーをアッシュネイト姫誘拐犯として突き出せとでも?」
兄の思いがけない言葉にキャリーは顔を上げた。あまり感情を表に出さない兄が、苦々しい顔をしている。
「フィリップ」
「俺もキャリーもやるべきことをやるだけだ。異論は受け付けないぞ」
「……わかった、済まない」
クロードはうつむいたままうなずいた。
「ただ、できるだけ俺から距離を取るようにしてくれ。フィリップ、彼女のベッドを離してくれないか」
「わかった。……昼はもう少しいろいろ持ってくる。食べられるものがあるかもしれないからな」
そう言うと、フィリップはベッドを魔術で移動させたのち、盆を取り上げた。キャリーも食欲が失せてしまって、目の前のお皿を兄に押しやった。
「クロード様、味覚のこと、ミスト様に連絡してよろしいですね?」
「ああ。そうだな……頼む」
そう言うとクロードはベッドに沈み込んだ。
クロードの枕元から鏡を手元に移動させ、自分のベッドに腰を下ろす。
変容。
どう変わるのか、何が変わるのか。どうやったら治るのか。自分は何も知らないことを再認識させられる。
昏くなりがちな気分を振り払い、彼女は鏡の向こうのアーシャを呼び出して言伝を頼むと、ベッドに体を横たえた。
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