三十一の掟 マリオンの夢の中

 二人を担いでヤドリギの魔女のもとにアーシャが到着したのは日が変わる前だった。あきちゃんの力で自分たちの体の防御も完ぺきにできたおかげで、いつもよりも飛行速度をかなりあげられた。


「おばば様」

「おお、お帰り。二人はこちらにお寄こし」


 魔女ミストは彼女の手から二人の体を浮き上がらせると、家の中へと運んでいく。入ってすぐの暖炉のある部屋は、二人を受け入れるためのベッドが運び込まれていた。

 二人を横たえ、毛布を掛けると魔女は弟子を振り返った。


「どんな塩梅だい?」

「そんなことよりおばば様、精神毒の解毒の方法を教えてください」


 マントも脱がずにアーシャが言うと、魔女は目を見開いた。


「マリオン殿下の部屋は覗けなかったんだ。何があったのかきちんと説明しておくれ」


 弟子の手を引き、暖炉の前に置かれたソファに腰を下ろさせると、魔女は指を鳴らした。奥からティーセットがお盆ごと浮遊してくる。


「お前の好きなシナモン入りミルクティだ。お飲み、体が温まる」

「ありがとう、ございます」


 手を延ばして震えていることに輝月開いて、アーシャは左の手で右手を押えた。


「二人を抱えてここまでまっすぐ飛んできたのだろう? とにかくそれを飲んで落ち着きな」


 弟子の方をやさしくたたくと魔女は二人の眠るベッドに歩み寄った。マリオンの額と胸に手を当て、呪文を唱えるのを見ながら、アーシャはこぼれないようにゆっくりカップに口をつけた。たっぷり入った砂糖の甘さが内側から自分のこわばりを解けさせていくようだ。

 カップが空になるころには手の震えも収まっていた。

 手首にまとわりついた赤い鎖……縮んでしまったメイザリー姉様をつなぐ糸を無意識に撫でながら、ようやくアーシャは唇を開いた。




「なるほど、麻痺と精神毒か。あやつもえげつないのう」


 眉根を寄せて魔女はマリオンを見下ろす。確かに精神毒は彼の精神にがっつり浸食していた。時折マリオンの顔が歪むのは、ひどい悪夢を見せられているせいなのだろう。


「麻痺はわたしでも解除できるけれど、精神毒はわたしでは……おばば様、解除の呪を教えてください。クロード様にも早く施術をしなければ」

「マリオンの方が先じゃな。この毒に一昼夜晒されておったのだろう? 身動きもできずずっと夢の中で苛まれれば、十三歳の幼子の精神では持つまいよ」


 その言葉にアーシャは唇を噛んだ。


「それに精神毒は魂に絡みつく。一つずつきちんと切り離さねば傷が残ってしまう。ただの一つでも変わらぬ心を持っておれば、完全に侵食されることはない。……クロードは大丈夫じゃろう。あやつは五年以上も彼女を思い続けておるからのう」


 ふぉっふぉと笑い、魔女は弟子の手にしわだらけの手を乗せた。


「落ち着いたら着替えておいで。……夢渡りをする。お前にはこの婆の体を見魔もあっておらねばならんでの」

「夢渡り……わかりました。支度をしてきます」


 アーシャが奥へ引っ込むと、魔女はマリオンの上にかがみこんだ。三つのリップ痕で吸い取られ地区体力と魔力を確認してため息を吐く。


「本当にぎりぎりまで吸い上げておるのう」


 このまま放置すれば回復しない体力と魔力を完全に吸い上げられてしまう。城では魔力の注入を定期的に行っていたらしい。さすがに飛行中に同時にあきちゃんの魔力を流すこてゃできなかったのだろう。あきちゃんから伸びる赤い鎖は、アーシャが戻ってくるとくっきりと浮かび上がった。


「手をお出し」


 素直に差し出された手に魔法陣を描くと、魔女はマリオンの額に押し当てた。そのとたん、アーシャの中からマリオンへ力が流れ込んでいくのを感じとる。


「これでよかろう。この子の力をお前を通じてマリオンに流すようにした。ことが終わるまで、このままマリオンを守れ」

「おばば様! 話が違いますっ! それではクロード様を見捨てることになります! 解いて! 行かせてください!」


 アーシャが真っ青になって懇願するも魔女は首を縦には降らなかった。


「この子はどうする。お前とこの赤い鎖によって魔力を共有しておるのだろう? 離れればどうなるか分かったものではない。それに、マリオンに残る三つのリップ痕を消すには、この子の力が必要なのだろう?」

「それは……そうですけど、でもっ」

「お前が守るべきはこの子とマリオンじゃ。クロードのことは心配せずともよい。……準備はよいか?」

「……はい」


 悔しそうに答えるアーシャを尻目に、魔女はマリオンの額と心臓の上に手を置いた。


「では、わしの体を預けるぞ」


 いうなり、魔女の体はベッドに寄りかかるように倒れ込んだ。


 ◇◇◇◇


 幼子の夢の中は歪んでいた。

 空があるはずの場所には木の根のように黒い亀裂が走っている。そのうちの二本、太い幹が地面まで伸びて食い込んでいるのが見える。

 そこは王城の入口だった。後ろ手に縛られて追い立てられていく金髪の男。マリオンが泣き叫びながら追いすがろうとした瞬間、その髪の色が一瞬のうちに真っ黒に染まる。


「クロードっ、なんでっ」


 振り向かない黒髪の男はそのまま王城を出ていく。頽れたマリオンに容赦のない叱責の声が飛ぶ。内容からするに親や兄弟、教育係たちらしい。

 悔しそうに唇を噛み、拳を握り締めて落涙する少年の姿がゆらりと消えたかと思うと、再び同じシーンが繰り返される。

 これが精神毒が見せる、彼にとっての最悪の悪夢なのだろうとまじゃおは気が付いた。

 クロードが罪を犯して追放され、五年。十三年しか生きていない彼にとってそれは、いまだに最もつらい別れの記憶なのだろうと。


「そんなにあいつに執着しているようには見えなかったけどねえ」


 手を振り払って空に走る細い根を一本ずつ断ち切り、魔女はうずくまるマリオンを見下ろした。


「お前さん、なんだってそんなに自信がないんだい」

「だって……僕は姉様に次いで強い力を持っているはずなのに、ちゃんと使いこなせない。クロードが出ていったのは、僕に愛想を尽かしたからなんだって聞いたんだ。クロードは姉様の教育係もしてたし、姉様に比べたら僕は全然……だから」


 ぼろぼろと泣き崩れる少年に、魔女はため息をついた。


「クロードが出ていったのはお前さんには何にも関係がないね。あれはただの、恋に狂った男だよ」

「こい……?」


 魔女は首をかしげて見上げてくる少年に頷いて見せる。


「ああ。子供のお前さんにはまだ縁のない話だがね。あの男はね、お前の姉に懸想したんだ。手に入らないならいっそ、と彼女を攫ったのさ。だから務めを首になった。それだけのことだよ」

「姉様に? ……じゃあ、クロードは姉様と結婚するの? クロードが兄様になるの?」


 目を見開いて少年はそう言うと、破顔した。そして立ち上がると魔女に抱き着いた。


「ありがとう、おばあちゃん。クロードが兄様になるんならいいや」


 ふわっと笑う少年の笑顔と共に、空に走っていた太い幹が一本、消失する。それを見て魔女は少年の頭を撫でた。


「そうか。……お前さん、クロードが大好きだったんじゃのう」

「うん、みんな僕は姉様に何かあった時の代わりとしか見なかった。でも、クロードは僕自身を見てくれたんだ。だから、僕がもっと強くなって力を使いこなせるようになったら、クロードは帰ってくるって思って……」

「なるほどの。それがお前さんを縛っていたのか」

「縛る?」

「そうじゃ。……お前さん、魔女にケンカを売ったじゃろう?」


 途端に少年は目を伏せ、うつむいた。


「それは、内外的に魔女を倒せる自分の力を誇示することで、クロードを呼び戻そうとした結果、じゃな?」

「それは……」


 違う、とうつむいたまま少年は小さな声でつぶやいた。


「違う? ではなんじゃ?」

「……言われたんだ。姉様なら、お前の年には魔女退治で十分な働きをしていたぞって」


 魔女は眉根を寄せた。

 ミストルティの再来と言われたメイザリー姫は、幼いころからその力をいかんなく発揮していた。五年前の時点で、国内の魔女騒動では率先して動いていたことは事実である。

 だが、それがどうしたというのだ。


「誰に」


 母様、とやはり小さな声で少年は堪える。その答えに魔女は呻いた。

 何より子を思い、守るべき母親が、子を追い詰めてしまった結果なのか。だが、この国の王も王妃も、そういうことを言うようには思えぬほど温和で優しい。


「王妃が言っていた、と誰かに言われたのだな?」


 再び少年は頷いた。


「よく聞きな、坊や。それは確かに事実じゃ。メイザリー姫は幼いころから頭角を現し、姫にも関わらずに前線で戦うことを余儀なくされた。王も王妃もそんな姫を窘めた。一国の姫が最前線で敵と一戦交えるなど、危険輝周りないと。……わかるか?」


 少年は首を横に振る。


「つまり、じゃ。王も王妃も、年端もゆかぬ坊やにメイザリー姫と同じように最前線で戦って来いとは決して言わぬ、ということじゃよ。お前さんが女だろうが男だろうがそれは変わらん。誰から聞いたか知らんが、王妃を良く知らぬ者の戯言よ」

「でも、僕が手柄を上げれば母様は喜んでくれた!」

「それは人前でのことであろう? 他の者がいる中で手柄を立てた息子を叱責するなどできるはずがない。ことがすべて終わったら、王妃に聞いてみるがよい。王族だろうが平民だろうが、母親は子供の心配をするものじゃ」

「……はい」


 二つ目の幹が消えていく。他に残る根がないかを確認して、魔女は頷いた。


「今のお前さんの状況は分かっておらぬであろうな。……目が覚めればここで話したことは忘れてしまうじゃろう。じゃが、忘れてはならんぞ。お前さんは誰かのスペアなどではない。お前さんはお前さんじゃ。それから、人づてに聞いた話は安易に信用するでない。クロードの話も王妃の話も、人づてに聞いた話ばかりであろう? だからそんなでたらめに惑わされるのじゃ。本人に確認すれば本当のことは知れたろうに。……お前さんは曲がりなりにも王族じゃ。ゆえにお前さんの言動は他の者よりも重く受け取られる。人の言葉を常に疑えとは言わんが、人の言葉の裏を考え、迂闊に踊らされんように、慎重に行動せよ。よいな」


 マリオンは頷き、顔を上げた。


「おばあさん、名前を聞いていい?」

「おばあさんと言わねば教えてやらんでもない」


 魔女の言葉にマリオンは唇を尖らせて少し考えた後、口を開いた。


「じゃあ、魔女のお姉さん」


 その言葉に魔女はマリオンの頭に手をやり、柔らかい髪の毛を手で梳いた。


「よかろう。我が名はヤドリギの魔女ミスト。お前の慕うクロードの師匠じゃよ」

「ヤドリギの魔女ミスト……うん、覚えたん。ねえ、魔女のお姉さん」

「なんじゃ」

「ミストルティってヤドリギのことでしょう?」

「……ほう、よく知っておるな」


 魔女は目を細め、口角を上げる。少年は魔女の答えに破顔した。


「前にクロードから教えてもらった」

「そうか。……わしはもう行く。お前さんも眠れ。……心配せずともよい。お前もクロードも、守ってやろう」

「うん。ありがとう。……ミスト、ごめんなさい」


 その謝罪はどれに向けたものか。光に溶ける少年の笑みに、魔女は久しぶりに心から微笑を浮かべた。

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