三十の掟 精神毒は危険です!

「では、少し離れていてくださいね」


 アーシャの指示で二人がベッドサイドから離れると、彼女はポケットから本を取り出した。クロッシュフォードの魔法定理の本と気が付いて、キャリーの視線は本に釘付けになる。

 呪文の詠唱が始まった。

 高く低く、長く歌うような旋律で、アーシャの指先から紡がれる光があきちゃんを中心として球形の魔法陣を展開していく。

 キャリーはその光景に目を見張った。あきちゃんの体をびっしりと赤い文字が覆っていく。それに伴って、その手首から術者であるアーシャへと赤い糸のように文字列が連なって伸びていく。

 球形の魔法陣を構成していた文字がすべてあきちゃんの体に吸い込まれていくと、アーシャは得衣装を終わらせて大きな息をついた。


「無事、彼女の魔力を引き出せたようだね。さすがはヤドリギの魔女の弟子」

「ええ、さすがはクロードの編んだ定理ね。それにしても……すごい魔力量ね、本当に」


 横になったまますべてを見ていたクロードの言葉にアーシャは微笑を浮かべた。それから、あきちゃんの体を抱き上げてもう一つのベッドに移動させる。


「時間はあまりない。マリオン殿下からリップ痕を移してくれ」

「ええ。……目を閉じていてもらえます?」

「ああ」


 アーシャはマリオンの唇に人差し指を走らせた。深い紫のリップ痕から濃密な魔力が漏れ出るのを感じて、顔を寄せる。

 それから、ふと顔を上げてフィリップ質の方を向いた。


「あの……フィリップ様とキャリー様も、後ろを向いていてもらえます? 少し恥ずかしくて」

「え、あ、はい」


 恥ずかしそうに頬を赤らめるアーシャに戸惑いながらもキャリーは背を向けた。

 アーシャは息のかかる距離まで唇を寄せると、おばば様から伝えられた呪文を唱えた。それは先ほどの魔法定理とは逆にとても短い言葉だった。

 そのまま、アーシャはマリオンの向こうに横たわるクロードの顔にも同じように唇を寄せ、息のかかる距離で同じ呪文を唱えた。

 マリオンの唇からリップ痕が消える。


「写し終わりました。……目を開けてもいいわ」


 キャリーとフィリップが目を開けると、クロードは目を閉じたまま、苦痛に顔をゆがませていた。


「クロード様!」

「クロード!」


 フィリップたちが駆け寄ろうとするのをアーシャはジェスチャーで止め、ベッドサイドに歩み寄る。


「大丈夫ですか?」

「ああ。……なんとかな。それより、濃い魔力の上に、何か、紛れ込んでる」


 流れ込む魔力のせいか、クロードは荒い息の下でそう告げた。


「外に漏れている魔力の質は変わらないけど……王族以外の器には毒になるものが混じっているのかも」


 アーシャは再びマリオンの横に回ると、額と胸に手を当てて呪文を唱えた。


「……マリオンの体にも残っているわね。麻痺毒……しかも精神に影響を及ぼす毒のようね」

「麻痺毒……解除、できるか?」

「こればかりはおばば様の協力を仰いだ方がいいわね。……マリオンの解毒ができたら戻ってきます」


 アーシャがそう告げると、クロードは息を吐いて目を閉じた。


「わかった。早めに、頼む。……麻痺はともかく、精神毒は、キツイ」

「わかりました。……フィリップ様、もう一度城に入る許可をいただけます?」

「ええ、もちろん」

「ありがとうございます。戻ってくるときはクロードもいないからフィリップ様に一芝居打ってもらうことになりますけど、かまいません?」


 フィリップは目を丸くしたが、その意味を理解したのだろう、表情を引き締めて頷いた。


「承知しました。戻る前にキャリー経由で合流ポイントを知らせてください。お迎えに上がります」

「お願いします。クロード、頑張ってね。なるべく早く戻るから」


 クロードがうなずくのを確認して、アーシャはベッドからあきちゃんを抱き上げた。左肩に乗せるように抱き替えると、マリオンの体を右手で小脇に抱える。

 それから、歌うように詠唱を始めると、足元に白い魔法陣が浮かび上がった。クロードが使っていた飛翔魔法と同じものだ。


「窓は開けられないから、地価の抜け穴から行くわね。フィリップ様、わたしが部屋を出たらクロードの言う通りに結界を張り直してくださいね」

「ああ、承知した」


 キャリーはカーペットをめくりながら、もしかして、と口を開いた。


「塔からいなくなったあきちゃんを探すために地下道に捜索隊が出ている可能性があります。屋根裏の抜け穴の方が安全かもしれません」

「でも、屋根裏からだと魔女たちに見られる可能性があるわ。そっちの方が危険よ。地下道への抜け道は一応王族以外は知らないことだから、宮廷魔術師でも簡単には入れないわ。もし地下道になにかあるとすれば罠を仕掛けるくらいでしょう。それに、地下道の結界をマリオンに任せていたように、他の兄たちはそれほど魔力は強くないし、わたしはあきちゃんの魔力を使える状態の魔女だもの、負けるわけないわ」


 にっこり微笑むアーシャの言葉に、フィリップが目を見開いた。


「わかりました。でも十分お気を付けください」

「ええ、一刻も早く戻ってこられるようにするわ」


 それだけ告げてアーシャが穴に消えると、フィリップは穴をじっと見つめながら口を開いた。


「キャリー、あの方は……」

「フィリップ。あれは、俺の妹弟子、ヤドリギの魔女、ミストの弟子、アーシャだ」


 言葉を遮るようにクロードが荒い息の下で告げると、フィリップは振り向いて睨みつけた。が、やがて肩を落としてため息を吐くと目を伏せた。


「わかった。……では、結界を張る」


 再び目を開き、そう口にしたフィリップの表情は、いつものように毅然としていた。


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