二十六の掟 抜け穴と結界と

 騒ぎはすぐにフィリップに伝わった。

 王城の入口に急いだフィリップは、槍を構える近衛兵たちに二重に囲まれたかつての同僚に気が付いた。急いで近寄ることはせず、一行をじっくり観察しながら近寄る。

 昨日見送った同僚は、毛艶もそのままで気力十分な顔をして立っている。傍らには分厚いコードを脱いで腕にかけたメイド姿の縮んだ妹が、おびえた様子で周りの兵を見ている。

 その後ろに――黒いローブを頭からすっぽりとかぶり、左手に銀の腕輪をつけられた女の姿を認めると、フィリップはまっすぐに彼らに向かって歩み寄った。

 近衛兵の報告を聞きながら友を見れば、活きた目でほんの少しだけ頷いたのが分かった。これが彼の言っていた助け手なのだ。


「戻ったか」


 フィリップが問いかけると、クロードは右手を左胸に当てて礼をした。


「マリオン殿下に呪いをかけている魔女の一人を捕らえました」

「魔女の力は封じてあるな?」

「ええ、魔女の枷にて」


 銀の腕輪を見て、フィリップは頷いた。


「では私の部屋へ連行しろ。他の者は持ち場に戻れ」


 五名の兵士が三人を取り囲んで歩き出す。フィリップはその後ろをついて歩きながら、魔女の背中をじっと睨みつけた。


 ◇◇◇


 兄の執務室に通されてようやく、キャリーは肩の力を抜いた。すでに周りを固めていた兵士たちはいない。

 フィリップは室内に遮断の結界を張ると、フードをかぶったままの魔女をじっと見た。


「フィリップ、彼女がヤドリギの魔女ミストの弟子、アーシャだ。今回の件で強力してもらえることになった」

「アーシャです。よろしくお願いします」


 アーシャはフードを深くかぶったまま頭を下げる。外見は本来の姿ではなく、青みがかった銀の髪と青い瞳に変えてあるし、顔の作りもアッシュネイト姫やメイザリー姫の面影のない別人の顔に作り上げた。それでも、用心に越したことはない、とできるだけ隠すことにしている。


「こちらこそ、協力感謝する。――それで、クロード。俺はどうすればいい?」

「すぐにでもマリオン殿下の治療に入りたい。すまないがあきちゃんをここに連れてもらえないか」


 フィリップは、クロードの答えに眉根を寄せた。


「あの爺が許すかどうか」

「ああ、あの爺か。マリオンのことは伏せておいても連れ出せないか?」

「元の姿に戻るまでは塔から出さないと踏ん張っているらしい。気分転換に中庭に連れ出そうとしたんだが、また攫われてはたまらない、だそうだ」

「なるほど。……なら、キャリーに訪ねてもらうか」

「わ、わたくし?」


 いきなり話を振られて、キャリーは目を見開いた。


「ああ、彼女に会いに行って欲しい。そして『クロードが呼んでる』と伝えてくれればいい」

「……それで何とかなりますの?」


 不安げに尋ねれば、黒い毛並みの直立猫は頷いた。


「ああ。フィリップもキャリー嬢についていくだろう?」

「そりゃあ、妹一人では通してもらえないだろうからな」

「じゃあ頼む。あきちゃんが塔を出られたらそのままマリオン殿下の塔に連れてきてほしい。俺とアーシャはマリオン殿下の塔に行く」

「あの塔の封印は俺にしか外せないぞ」


 フィリップの咎めるような口ぶりに、クロードは頭をかいた。


「そうだった。忘れていたよ。……無理やり開けるのは時間がかかりすぎるし」

「わ、わたくしならマリオン殿下の塔の封印を破れますわっ」


 キャリーが口を挟むと、フィリップはため息をついた。


「お前が毎回力づくで封印をぶち破るから、お前がいないあいだに一段ごとに封印するようにしたのだ。それに、お前はぶち破るのは得意だがかけ直すのは苦手だろう? その隙に魔女に入られるのだけは避けたい」


 兄の揶揄するような言葉に、キャリーは口をつぐんだ。一年の間に兄の封印がそこまで強力なものに変わっているとは思っていなかったのだ。


「じゃあ、最初の予定通りにしよう。フィリップは俺たちをマリオン殿下の部屋まで送ってくれ。そのあとキャリー嬢を連れてあきちゃんの部屋へ行って伝言を伝えて欲しい。こっちは準備をして待っている」

「わかった。ではキャリーはここで待て」

「はい、お兄様」


 不安を隠しきれない妹の頭に手を乗せると、フィリップはクロードたちを連れて出ていった。


 ◇◇◇


 マリオンの部屋の扉を開ければ、前にもまして濃厚な闇の力があふれ出る。アーシャは体の周りに結界を張ると、発生源へと足を向けた。


「マリオン。……わたしの記憶にある姿のままなのね」

「ああ、彼の体は八歳並みに縮んでいるらしい。急いでリップ痕を移さねばならないが、あきちゃんにも説明はしておいた方がいいだろうな」


 アーシャはフードを下ろすとうなずいた。


「でも、あのじいの手をすり抜けて出て来られるかしら……手ごわい相手よ?」

「ああ、知っている。彼女のことだ、何とかするだろう。――五年前は君が誘導してくれたんだろう?」


 すると、アーシャはくすりと笑った。


「ええ、そうね。あの頃は堅苦しい生活が嫌で、よく抜け穴から内緒で城下に遊びに行っていたのよね。メイザリー姉さまは塔の抜け穴があることは知っていたけど、どこにつながっているのかは知らないみたいだったから」

「彼女は塔を出ることを諦めていたからな。……あれから封鎖されていなければ、そのままのはずだが」


 クロードはマリオンの体をベッドの端に寄せ、自分がこの後横になるために真ん中にスペースを作る。


「ええ、封鎖はしていないはずよ。子供たちの住まう塔は万が一を考えていくつもの抜け穴があるの。それを封鎖してしまったら、本当に何か起こった時に逃げられなくなるから」

「……アーシャ、今、子供たちの住まう塔、と言ったな。この塔にも出入り口が?」

「ええ。……クロードならわかるでしょう?」


 ベッドから降りると、クロードは部屋の壁を見回した。上と下、どちらにも抜け穴があるのは知っているが、天井の方は蜘蛛の巣がかかっている。となれば、下の方だ。

 カーペットをめくり、床に敷き詰められた大理石のうち大きな一枚に手を当てる。少し揺すると隙間ができた。


「そうか。……フィリップの結界からも除外されているのか」

「ああなんてこと……フィリップ様は、ご存じなかったのですね。結界自体は地中深くまでは及んでいませんから。魔女はここから出入りしたんです」


 五年前、ここに結界を敷いたのはクロードだった。フィリップは、後釜としてその維持をしてきたにすぎない。塔全体ではなく部屋を四角く囲うようにするべきだった。が、そうしなかったからこそ、彼女たちは五年前、無事に逃げおおせたのだ。

 しかし、それが今は裏目に出た。


「俺の失態だな……」


 クロードはうなだれた。耳もしっぽも垂れ下がる。


「貴方のせいだけではないわ、クロード。城の抜け道は王族にしか知らされないものだから、クロードもフィリップ様も知らなくて当然だもの。だからこそメイザリー姉さまが担っていたの。クロードについてくと決めたから、姉様は結界を解いたのだと思うわ。だから、責任があるとすればこのことを知っていて放置した王族にある。姉様がいなくなってから、王族が担うべき結界師の任務を、誰も引き継げなかったんだもの。……ああでも、マリオンが引き継いでいたはずね。なら今回のことは自業自得だわね」


 弟でも容赦なく切り捨てるアーシャの言葉に、クロードは苦笑を漏らした。が、すぐに元のしょげた姿に戻る。


「マリオン殿下は結界師などでは満足できなかったのだろうな。ミストルティの再来と言われた自分は、もっと偉業を成し遂げられるはずだと。……魔女相手に派手なやり取りをしたがった結果がこうなのだから、やはり俺に責任があるよ。彼がまだ幼いころから魔女と王家の話や五百年前の魔女討伐の話をせがまれるままに何度も話したのは俺だ。……魔女は決して悪い存在ではないときちんと教えたはずだったのにな。俺がいなくなって、どうしてこんなに変わったのか……」


 うなだれるクロードの手をアーシャは拾い上げた。


「彼が目覚めればわかることよ。今は気力も体力も温存して。……これから七日の間に起こることは、わたしもおばば様にも正確には予測できていないの。だから、クロードには最善の状態でいてもらわないと。……ごめんなさい、本当に危険だって、わかってるのに」


 言葉が途切れる。クロードはアーシャの手に自分の手を乗せた。


「いいえ。……これもすべて五年前、俺自身が蒔いた種。俺一人の私情であなたの運命まで狂わせた」


 しかし、アーシャは悲痛な表情のクロードににっこりと微笑んで見せた。


「姉様についていくと決めたのはわたしよ。それまで勝手に背負わないでくれる?」


 クロードは彼女の手を救い上げると甲に唇をあてた。

 全てを知っている当事者でありながら、彼を許す唯一の存在。どれほどその言葉に救われたか知れない。


「さっさと全部終わらせて、おばば様のところでお茶会をしましょう。姉様も一緒に」

「ええ、そうですね」


 クロードはようやく口元をゆるめた。

 こんなところでへこんでいる暇はないのだ。

 背筋を伸ばし、口ひげと耳をピンと立て、尻尾をゆらりと揺らめかせる。その瞳にもう迷いはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る