二十一の掟 愚痴は酒を飲んでから
クロードは居住まいを正すとソファに腰を下ろした。髭はピンと張り、耳もきれいに立ち上がっている。
「マリオン王子の状況はすこぶる悪い。額に三つの魔女のくちづけを受けて魔力と生命力をぎりぎりまで吸い取られた状態だ、その上、唇に新しいくちづけの痕が見つかった。この四つ目のリップ痕から、魔女の持つ濃密な魔力が流し込まれている。魔女の狂宴まで力を注がれたら、お師匠様のおっしゃる通り、肉を持つ魔女の父、闇の王がマリオン王子の肉体に復活することになる」
肉を持つ闇の王。それがどれほどの脅威になるだろう。
キャリーはごくりとつばを飲み込んだ。
「で、聞きたいことは」
「……お師匠様に聞きたいのは三つです。四つのリップ痕が誰のものなのか、除去する方法はあるのか、魔女の力の流入を防ぐ方法はあるのか。……俺の知識では、くちづけを贈った魔女を倒す方法しかない。お師匠様なら何か知っておられるのではないですか」
クロードの言葉を魔女は目をつむったまま聞いていた。しばらくそのまま黙り込んだ魔女は、ゆっくり目を開くと言葉を紡いだ。
「魔女のくちづけは魔女の呪いじゃ。呪いを逸らすには相手を弑するか、それ以上の力で跳ね返す以外、ないの」
「やはり……」
魔女ミストの言葉に、クロードはうなだれる。
「魔女の狂宴で召喚を邪魔するのは最後の手段じゃのう。これは狂宴に参加するすべての魔女を敵に回すことになるからの」
「そんなこと、できるんですか?」
「まあ、無理じゃの」
驚いて声を上げたキャリーに、魔女ミストはほっほと笑った。
「クロード坊や、わしは今回も動かんぞ」
「ええ、わかっています。ですが、四名の魔女については調べていただけませんか」
「教えられん。魔女仲間を売るのは信義に悖る」
しかし弟子の懇願にも魔女は首を横に振る。クロードは目を閉じるとそっとため息をついた。キャリーも落胆を隠せず、唇を噛む。
「久しぶりに愛弟子が女連れで顔を出したんじゃ。たまには愚痴を聞いていけ」
「あら、珍しい。じゃあ秘蔵のお酒でも出ししましょうか。何か作りますね」
うふふと笑ってさっさと扉の奥に消えてしまったアーシャを見送って、クロードは魔女を睨みつけた。
「お師匠様、彼女に変な子後を教えていないでしょうね」
「何が変なものか。あの子ももう十七。成人の儀も済ませたし、酒もたしなむ程度につきあってもらっとるだけじゃ。それにあの子の作るつまみは美味いぞ」
「……いずれ彼女には城に戻っていただくつもりなんですから」
「それは彼女が決めることじゃ。それに、戻ったところで政略結婚の駒にされるだけじゃろうて。塔に閉じ込められるだけの生活はあの子には似合わん。このまま行方不明でよかろう」
「それじゃ困るんです」
深々とため息を吐くと、魔女がにやりと笑った。
「困るのはお前だけじゃろうて。元の姿に戻るために彼女を連れ戻すのかえ?」
クロードは膝に置いた手を握り締める。
あきちゃん――アッシュネイト姫と間違えられた彼女を釣れた状態でも、結局クロードは捕縛された。すでに一度捕縛され、罰を受けているのにもかかわらず。
成長した本物のアッシュネイト姫を連れて戻ったところで、罰が撤回されることはないのではないだろうか。
メイザリー姫が本当の意味合いで戻らない限り、クロードの枷は解けないのだろう。
「……その話はあとにしましょう。今語ることではありません」
クロードはそれだけ言うと、ソファに体を預けて目を閉じた。
アーシャの持ってきた秘蔵の酒とは果実酒だった。山で摂れる果物だけで作ったそれは、縮んでしまったキャリーでもおいしく飲めた。彼女の作るつまみはどれも美味しくて、あっという間に皿が空っぽになる。
「さて、腹もいっぱいになってきたし、酔いも回ってきた。そろそろ愚痴に付き合うてもらうかの」
「じゃあ酔い覚ましに野菜スープを持ってきますね」
これまたてきぱきと奥から鍋を持ってくる。こうなることも予定通りなのかもしれない。アーシャはカップにスープを注ぎ分けるとそれぞれの前に置いた。
「なんじゃ、これからがいいところなのに」
「おばば様はお酒を飲んでていいですよ。お二人は酔うどころじゃないでしょう?」
そう言うとアーシャは元の席に腰を下ろした。
しばらく魔女ミストはぶつぶつ言っていたが、結局カップに手を延ばした。
「魔女とひとまとめに言うがの、決して一枚岩ではない。派閥というものがある。たいていが力強き魔女に阿り、おこぼれを狙う者たちが集うものでの。もちろん参加せぬ者も多い。わしもその一人じゃ」
「でも、魔女としてはトップクラスなんですよ、お師匠様って」
「そうなんですか?」
「ああ。魔女ミストと言えばかつては十柱にも数えられていたからのう」
「十柱?」
「昔は強い魔女をそう呼んでいたらしい」
聞きなれない言葉にキャリーがおうむ返しにすると、クロードが答えた。しかし、魔女は首を振る。
「ごたいそうな肩書なんざ邪魔にしかならんよ。むしろ面倒ごとが増えるだけじゃ」
「そうですね。今でもおばば様を自陣営に引き込もうと各派閥の方々が押しかけてきて大変だもの。入口のトラップはしょっちゅう壊されるし」
「ふん、派閥争いに引っ張り出されるなんざ冗談ではないわ。……まったくもう」
「そういうものなんですのね……」
「ええ、派閥同士は仲が悪いんです」
「魔女の狂宴でも別々に闇の王の召喚をやっておったしの。じゃが、今回は違う。共同で召喚すると言い出した。そこに贄が銀の血の王子とくれば、間違いはなかろう?」
「……なるほど。で、今回共同でやろうとしている派閥の中心は誰なんです」
「メイア、ローサ、マリューの三人じゃの。どうせあの王子の宣言を聞いて、報復しに行ったところで鉢合わせたんじゃろ」
クロードは記憶をたどる。フィリップからあらかじめ聞いていた名前のうち二つが一致していた。
「じゃあ、四つ目のリップ痕も、三人のうちのどれかですか?」
「だとええがの。……もう少し古い者が絡んでおるようじゃ。先の三人は生まれてまだ百年ほどしか経っておらんひよっこじゃでの」
「百年で、ひよっこ……」
キャリーの言葉に魔女はふぉっふぉと笑う。
「魔女はの、自然が生かす限り生きる」
「自然が生かす限り……」
それは、どれほどの時の長さなのか、キャリーには想像もつかない。自分が生きてきた二十年足らずなど、あっという間の出来事に違いない。
百年でひよっこならば目の前の魔女ミストは一体何年生きているのだろう。
「魔女は子を成さない代わりに長命だとも聞きました」
「それは正しくないがの。……ともかく、魔力の主はわしと同じくらい古い。同期の者はさほど残っておらんというにのう……」
「それは、どうしてですか?」
キャリーの言葉に、クロードが口をはさんだ。
「五百年前の大々的な魔女討伐のせいです。あの時は魔女というだけですべて討伐対象だったから。……市井に降りていた善良なる魔女も容赦なく狩られた。――今回のマリオン王子の宣言は、だから魔女の怒りを買ったんだ」
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