二十の掟 魔女は弟子を取りません
だから、彼女には記憶がない。彼女の姿は十三歳のまま、成長することはない。……十三歳というには幼すぎて、十歳ほどに見えてしまうのだけれど。
そう言って、クロードは目を伏せた。
「では、あきちゃんは、やはり行方不明になったアッシュネイト姫……」
「違う」
キャリーが恐る恐る姫の名を口にすると、即座にクロードは首を振った。
「……おそらく、一部の者以外は知らないのだろうな。あの時行方不明になったのは、一人じゃない」
「……え」
クロードの言葉に目を丸くする。
キャリーが知っているのは、五年前に姫が行方不明になったことだけだ。もしかして、侍女が姫についていったのだろうか。
さらに訪ねようと口を開いた時、ノックの音が聞こえた。
「開いてるよ。お入り」
魔女が振り向きもせずにそう言うと、入口の扉が元気よく開いた。
「こんにちは、遅くなっちゃってごめんなさい。おばば様」
「いつも言っておるだろう、扉は静かに開けんか。雪が落ちる」
声から若い女性だとわかる。
しかめっ面をして魔女がつぶやくと、雪を払った来訪者は黒い頭巾を脱ぐと客がいることに気づいてにっこりと笑った。
「いらっしゃいませ、伯爵。それからフィッシャーズのお嬢様」
「え……」
思わず声が出た。名乗りもしないのにどうして自分を知っているのだろう。しかも、この姿だというのに。
じっと女性を見つめるが、会った記憶はない。
クロードはさして驚きもせず、立ち上がると歩み寄った。
「お久しぶりです、アーシャ」
彼女の手を掬い取り、唇を寄せる様子はまるで貴婦人への挨拶だ。
魔女、ではないのだろうか。もしそうならきちんと挨拶をしなくては。
「これ、そんなところで睦みあっておらんできちんと挨拶をせんか」
しかめっ面の魔女が言うと、アーシャと呼ばれた女性は魔女の横にやってきてキャリーの方を向いた。その頬の赤さは外の寒さのせいだろうか。それとも、クロードのせいなのか。
キャリーが立ち上がると、アーシャはスカートの裾をちょいとつまんで腰を折った。
「ごめんなさい。おばば様に呼ばれていたのにすっかり遅くなっちゃって、慌ててて。……初めまして、フィッシャーズのお嬢様。ヤドリギの魔女ミストの弟子、アーシャと申します」
きちんと宮廷風の礼儀に則って、アーシャは優雅な仕草で礼をする。キャリアーも同じように返礼し、「キャロライン・フィッシャーズです」と名乗った。
「フィッシャーズ家の跡取り娘さんがいらっしゃるって聞いて楽しみにしていたの。とても優秀なんですって?」
アーシャはそう言いながら魔女の横に腰を下ろす。そのしぐさや立ち振る舞いは、一応貴族の令嬢であるキャリーよりもよほど優雅で、育ちの良いお嬢さんなのは間違いないだろう。
しかし、それよりも気になることがあった。
「あの、その、跡取り娘というのは……」
最初にこの言葉を口にしたのは老婆だった。あの時はクロードにさえぎられて聞けなかったのだ。
「あら、ごめんなさい。ご本人がご存じないのにわたしの口から言うのはだめだったわね?」
アーシャはちらりと横に立つクロードを見る。キャリーもつられてクロードを見たが、困ったように耳を垂れていた。
「当家には優秀な兄がいます。わたくしなどが跡取りなんて、ありえません。今回だって……」
エプロンドレスの裾を握り締める。自分の無知のせいでどれだけ迷惑をかけたことだろう。王立魔法学院を首席で出たのは自力だけれど、王宮付きの魔術師になれたのは、フィッシャーズの家名と、兄の存在があるからなのだ。
「とりあえずその話は置いておきな。時間がないんだろう?」
「あ、はい」
魔女の横やりに、キャリーははっとして居住まいを正した。そうだった、今聞くべきことはそれではない。
「あの、アーシャさんは魔女なんですか?」
「いいえ?」
勢い込んで前のめりに聞くと、アーシャは笑い、クロードを見あげた。クロードは頭をかくと、キャリーに申し訳なさそうな視線を向けた。
「キャリー嬢。彼女こそがアッシュネイト姫なんだ」
「これ、説明を省略するんじゃないよ。お嬢ちゃんが困っとるじゃろうが」
目を見開いたまま固まったキャリーは、魔女ミストの声で我に返った。
頭巾を外したアーシャは、よく見れば赤みがかった金髪を首のあたりでばっさり切り落として内巻きにしている。その微笑にどこか見覚えがあった。
「失踪したのは一人じゃないと言っただろう? いなくなった姫は、本当は二人いたんだ。表向き、俺が懲罰を受けたのは、アッシュネイト姫――つまりアーシャを攫ったから、ということになっている。理由は……俺の横恋慕だ」
「ええ……そう、聞いています」
「表向きは、ね」
王宮魔術師の間でまことしやかにささやかれている噂だ。キャリーも知っている。
戸惑うキャリーに、アーシャはくすくす笑いながら口を開いた。
「わたしが十二歳の時、嫁ぎ先が決まったと聞いて横恋慕したクロッシュフォード伯爵が、わたしを王宮から誘拐した。わたしは監禁されていた伯爵の居城から逃げ、北の森で行方不明になった。……そう聞いているでしょう?」
「はい……」
「実は、ここでお師匠様に匿ってもらっているんだ。魔法の修業をしながらね」
「当時のクロードは単なる教育係で、伯爵でもなかったし城も持ってなかったのにね」
「そう、でしたの」
驚きから立ち直りきれていないキャリーはなんとかそれだけ絞り出した。
クロードは確か三十近いはずだ。五年前と言えば二十代前半。その男が十二歳の幼女を嫉妬からかどわかしたことになる。
「あの、クロード様。……そういうご趣味だということは内密にしておきますわね」
これがキャリーの返せる精一杯の言葉だったが、クロードはため息を吐くと頭を振った。
「キャリー嬢、あのね……」
「ああ、キャリーさん。違うわよ? クロードはわたしに興味なんて一切持っていませんから。姉にぞっこんなの」
クロードの言葉をぶった切ったアーシャのセリフに、キャリーは目を見開いた。
「え……? アッシュネイト様のお姉さま? ……一番目のマリアンヌ様は既婚ですし、二番目のエリーゼさまは婚約者の隣国の王子様が成人するのを待ってご成婚の予定。三番目のハリエット様ももうじき婚儀ですし……」
指折りながら思い出せるだけの王女の名を口にすると、アーシャは手を振って笑った。
「違うわ。わたしのすぐ上のメイザリーお姉様よ。クロードからもうお話はお聞きでしょう? 始祖ミストルティの再来だと言われた、魔女に呪われた王女のことは」
「アーシャ!」
「ええ……?」
悲鳴のようにクロードの声が飛ぶ。
さっきからクロードが『彼女』としか呼ばないその……王女は。
「あの……クロード様、本当に、彼女、ですの……?」
キャリーがクロードを見あげると、彼は顔を手で隠してそっぽを向いた。
「ああ。……あきちゃんが、メイザリー姫だ」
「で、でも、メイザリー姫はお城にいらっしゃいますよね? わたくしが学院を首席で卒業した年の式典で、お声もかけていただいたんです。間違いありません」
しかし、クロードは首を振った。耳は少し垂れ気味だが、ヒゲはぴんと起き上がっている。
「それは影武者だろう。……おそらくどこかから魔力量のにた娘を連れてきて、目くらましをかけているに違いない。――キャリー嬢。城の者たちはね、『メイザリー姫は魔女の呪いも跳ね返して、現在も元気で城にて公務をこなしている』と印象付けたいんだよ。だから、彼女は『いなくなっていない』んだ」
「そんな……」
式典の時の姫を思い出す。
その場にいた誰よりも魔力量の高い姫の力を、卒業生たちは全員脅威と尊敬の目で見守っていた。
あれが、全て偽物だと?
「だから、あきちゃんは城に戻さない。彼女にかかっている魔女の呪いを、正しく解除しない限りは……戻せない」
「そう。そのためにわたしはヤドリギの魔女に弟子入りしたのよ。クロードは図書館から動けないし」
「動けないわけじゃない。情報は集めている」
「ええ、知っているわ。古い書物や魔術書、魔女にまつわる本を探しているのよね」
「そのための黒猫図書館じゃからのう」
「父上も協力してくださっていますし」
「……あの法律のせいで余計な仕事が増えたけどな」
目の前の三人の会話に、キャリーは目を丸くしたまま言葉を失った。
本はすべて王国のものとするあの法が、あきちゃんの……メイザリー姫のために発布された者だったとは。あの図書館も、彼女のためのものだったなんて。
知らないことがどんどん積み上げられていく。
きっと兄上も知っているに違いない。だというのに何も知らせてくれなかったのが悔しくてならなかった。
「さて、キャリー嬢が納得したところで話を元に戻そうかい」
沈み込みそうになるキャリーの思考を魔女の声が破る。顔を上げれば、冷ややかな魔女の視線がクロードに向けられていた。
「クロード坊や、愚かなマリオン坊やのために、わしに何が聞きたいんじゃ?」
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