十七の掟 北の森にはヤドリギの魔女が住んでいる

 クロードの魔法陣が地に降りたのは、北の果てにある森の一角だった。周りにそびえる巨木たちのおかげか積もっている雪はさほど多くないが、それでも足元から忍び寄る寒さにキャリーは身を震わせた。


「コートとマフラーをつけて。このあたりはかなり冷えるから」


 キャリーが荷物から手袋を取り出すのを見ながら、クロードは直立猫の姿のまま、首にマフラーを巻く。


「足元が滑りやすくなってるから気を付けて。それからこの森の中では一切力を使えない。使おうともしないようにね」

「は、はい」


 もし使おうとしたらどうなるのか。周りを見回せば、風もないのに巨木が威嚇するように梢を鳴らす。


「じゃあ、行こう。日が暮れる前には着きたいからね」


 クロードはそう言うと雪道を歩き始めた。


 ◇◇◇


 キャリーは何度もしりもちをつく羽目になった。ようやく歩き方になれた頃には日が陰って、もともと木々に覆われて日差しの少ない道が、さらにぐっと寒くなる。

 木々の梢のしなり方が少し変わってきたのに気が付いて顔を上げる。

 頭上から襲うようにうなりを上げていた木々は、そよ風にさやさやと葉を揺らすだけになっている。これは植生が変わったせいだろうか、とも思ったが、それだけではなさそうだ。


「もう少しだ、頑張れるか?」


 振り返ったクロードに、キャリーは上がる息を押えながらうなずいた。いつもより小さなこの体では、歩くのでも精一杯で、声を出す余裕はなかった。

 それからしばらく歩いたところでクロードが立ち止まった。

 何かを探すようなしぐさで積もった雪を払いのける。


「あった。……お師匠様、開けてください。ずっとご覧になっていたでしょう?」


 奥に呼びかけるクロードの声に答えるものはない。

 キャリーはクロードの背中から手元を覗き込んだ。そこには木製の看板が掛けられていて、表面には文字が刻まれている。古い神聖文字のようだ。


「……ヤドリギの魔女に御用の方はこちら……?」

「君、古代神聖文字が読めるのか?」


 クロードの驚いた声に顔を上げると、目を丸くしたクロードと目が合った。


「はい、フィッシャーズ家では最初に古代神聖文字を学ぶのです。もっとも古い魔法言語ですから」

『ほう、フィッシャーズ家の娘かえ?』


 不意に耳の中で声が聞えた。慌てて周りを見回しても人影はない。クロードを見あげれば、少しだけ口元をほころばせていた。


「あの、声が」

「うん、大丈夫。……お師匠様、道を開けてください。このままだと彼女が凍えてしまいます」

『しょうがないのぉ……』


 ぼこぼこと音がするのに従って、深く積もった雪の上に道ができていく。


『早う入れ。日が落ちたら猛獣どもが動き出すでの』


 それきり耳の中の声は消えた。


「さあ、急ごう」


 クロードに手を引かれて、キャリーは雪道を走り出した。


 見えてきたのは丸太で組んだ小さなログハウスだった。入口にはオレンジ色の明かりが揺れている。

 扉をノックすると、誰何もなく扉が外に開いた。部屋の中もオレンジ色の光で暖かく包まれている。が、扉を開いたと思われる小屋の主の姿はない。びっくりするキャリーを横目にクロードはさっさと小屋に入った。

 入っていいのだろうか、と戸惑いながらクロードを見ていたが、キャリーを気にする様子も住人らしき人影がないこともまるで気にしていない。

 それならば、入ってもよいだろうか、とキャリーは心を決めた。


「あの……お、お邪魔します」


 恐る恐る足を踏み入れれば、温かな空気に包まれた。コートを脱いで肩に積もった雪を振り払うと、小屋の扉を閉めた。

 小屋の中は外から見た通りの部屋の広さだった。暖炉があり、その前にはソファが置いてある。入って真正面の壁には扉がある。

 窓は正面以外の三面の壁に大きく面積を取っていたが、寒そうな風切り恩とは反対に、冷気は吹き込んでは来ない。

 クロードはと見れば、火に一番近い場所に腰を下ろしていた。


「クロード様、あの」

「暖炉の前までおいで」


 言われるまでに足を進めると、クロードはキャリーのコートを脱がせてソファの背に広げた。気が付いていなかったが、裾や肩などずいぶん濡れている。ついでにマフラーと手袋も吊り下げてもらった。


「手足は冷たくないか? 冷えているようならお湯を使わせてもらうと言い」

「いえ、大丈夫です」


 部屋の中はどこにいても暖かく、暖炉の傍は実に心地よい。ここが北の森だということを忘れるほどに。

 そのままクロードの横に腰を下ろそうとすると、声が飛んできた。


「フィッシャーズ家のお嬢さんをそんなところに座らせるわけにはいかないよ。ちゃんとソファにお座り」


 森の中で頭に会響いたあの声だった。振り向けば、フード付きのローブをかぶり、杖をついた老婆が立っていた。


「お師匠様」


 クロードはピンと背を伸ばすと正式な礼を取った。キャリーも慌ててそれに倣う。


「あー、そういうのはいいから、座んな。……あんたがフィッシャーズ家の跡取り娘だね?」

「え……?」


 キャリーは目を丸くして老婆を見つめたが、怪訝そうな顔に慌てて頭を下げる。


「は、初めまして。キャロライン=フィッシャーズと申します。あの……」

「……お師匠様、それは」


 キャリーの言葉を遮ってクロードが声をかける。びっくりして顔を上げれば、老婆は顔をしかめつつも「座んな」と二人に促した。


「そうか、そなたがのう」

「今はとある理由にてこの姿になっておられますが」

「知っておるよ」


 なおも続けようとしたクロードに、老婆は笑みを浮かべて口を開いた。


「この子がいろいろやらかした辺りは、この婆にも報告が入っとるでのう」


 くっくっと笑う老婆に、キャリーは顔を赤らめて縮こまるしかなかった。

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