十五の掟 黒猫図書館の館長は黒猫です
「マリオン殿下の事情は聞いているな?」
紅茶を淹れながらフィリップが聞いてくる。
「ああ、妹君から伺った。十二歳の誕生日の祝いの席で魔女に対する暴言を吐いたと」
「そうだ。翌日、彼は起きてこなかった。王子の部屋には強固な結界が張られているのは知っているよな?」
「五年前と変わらないのであれば」
クロードは堪えて渡されたカップに口をつける。
「ああ、そのあたりは昔のままだ。部屋の中にも姿を隠して護衛役が常に在室しているし、扉の前にも護衛はいた。が、全員、魔女のくちづけを受けて絶命していた」
「魔女のくちづけか……」
体の一部に魔女の魔力のこもったキスをされると、そこから生気を吸い取られる。根こそぎ奪われれば絶命する。一般に出回っている護符程度では防げない、強力な術だ。
「それから、残っていた痕跡から少なくとも三人の魔女がそこにいたことは分かっている」
「彼の言葉に逆上した、にしては少ないな」
「ああ、俺はむしろ、遊びに来ただけじゃないかと思っている。――クロード、お前だから教えるんだ。他言無用で頼む」
「わかっている。で?」
クロードが促すと、フィリップはさっと室内に視線を投げたのち、小声で告げた。
「マリオン殿下の額には、魔女のくちづけの痕が三つ残っていた。
「まさか」
驚きを隠さず視線を送れば、フィリップは重々しくうなずく。
「そのまさかだ。それでも、マリオン殿下は生きている」
「ありえない。……一人の魔女のくちづけでさえ、普通の人間はあっという間に死に至るのに。三人分だと?」
「ああ、だから生かされている、というのが正しい。いくら魔力を補充しようとも、あっという間に吸い取られてしまう。が、生存ぎりぎりの量は常に残されて、死なないように調整されているんだ。……何かを企んでいるとしか思えない」
「――マリオン殿下の様子を見せてもらえないか」
「もちろんだ」
「それと、その三人の魔女が誰なのかは判明しているのか?」
「一応な。……痕跡から三人は特定できた。ただ、おそらくもう一人、その場にいたと思われる」
「その場に?」
「……直接見てもらった方が早いだろう。俺たちが見落としていることもあるかもしれないからな」
フィリップはそう言うとカップを置き、立ち上がった。
「ただ……悪いが姿を変えてくれないかその姿だと目立ちすぎる」
その言葉にクロードは自分の手を見つめた。
あの時以来――いや、黒猫図書館の館長になった時、この姿に変化してから自分で姿を変えたことはない。魔力がなかったから当然だし、必要がなかったから。
今は一時的に任を離れているだけで、ことが終われば元に戻らねばならない。
それに五年前、ここを離れるときに受けたペナルティも重ね掛けされている。今の自分にはどうすることもできない。それらを打ち破るだけの魔力もない上に、今は浪費できる余力もない。
「……何かかぶるものを貸してくれ。その上から目くらましの術をかける」
そう告げるとフィリップはフード付きのローブをクローゼットから引っ張り出して寄越した。
「わかった。……今の姿をマリオン殿下が見たら悲しむだろうな」
クロードはそれに答えず、フードで頭をすっぽり隠すと魔術師に見えるように簡単な目くらましをかけた。力のある者が見れば目くらましと気が付くだろうが、クロードと分からない程度には魔力紋も偽装しておく。
「マリオン殿下は今もあの塔に?」
「ああ、そうだ」
フィリップの後をついてクロードは部屋を出た。戸口に衛兵が立っていたが、フィリップに付き従う自分が先ほど連行された者であると気が付いた様子はない。
いくつもある塔の一つにたどり着くと、入り口は厳重に封印されていた。フィリップは封印を解除してクロードを先に入らせると、自分も滑り込んで内側から封印をかける。
「ずいぶん厳重だな」
「ああ、妹が何度も突破を試みてくれてな、現状維持のために毎回封印しなおすようにした。妹も力だけは強いから、力技で突破しようとしてな……破られるたびに引っ張り出されるんだよ、まったく……。まさか、お前の書いた魔法定理を探しに出奔したとは思わなかったけどな」
ランプを手に階段を上がる。塔の明り取りの窓はすべて塞がれて、光は全く入らない。幾重にもかけられた封印を解いてはかけ直して最上階へたどり着くと、入口の茶色い扉はもっと厳重な封印が施されていた。
「今は私の魔力紋にしか反応しないようにしてある」
最後の封印が解かれて扉を開くと、ぴりっとひげがたわんだ。思ったより濃い魔力が部屋に満ちている。
「どうかしたか?」
足を踏み入れるのを躊躇していると、フィリップが後ろから声をかけてきた。
「ここに立ち入ることができるのはどれだけいる?」
「今は俺だけだ。窓もすべて封じたから、外から出入りすることもできない」
「ならばなぜ、これほどの魔力がここに溜まっている」
体をずらしてフィリップに部屋の中を見えるようにすると、途端にフィリップは口を覆った。
「なんだ……これは」
クロードは己の周りに結界を張り巡らせる。
友の説明によれば、マリオン殿下の魔力も生気もギリギリまで吸い取られているという話だ。実際にクロードの知るマリオン殿下の魔力紋とも違うこれは、彼のものではない。――禍々しく、負の感情に満ちた黒い魔力。
「フィリップ、最後にこの部屋に入ったのは?」
「俺だ。昨夜結界と封印のチェックに入ったが、その時はこんな状態ではなかった」
足を踏み入れた部屋は応接セットと本棚、執務用の机が見える。机にはほこりが積もっており、事件以来使われても掃除されてもいないことが見て取れる。
「危険だからメイドなども立ち入らせていない」
ほこりに花を引くつかせるクロードに気が付いたのか、フィリップが説明する。
「それが正解だ」
本棚の間にある扉は開け放たれている。ひげのちりちりを我慢してクロードはそちらに足を向けた。フィリップが通ったと思われるほこりのない道が絨毯の上に出来上がっていて、それをたどる。
奥の部屋は寝室だった。キングサイズの天蓋付きベッドの真ん中に、小さな少年の体は横たえられていた。間違いなく、彼から魔力が漏れ出ている。
そっと近づけば、マリオン殿下は顔色をなくしたまま、ピクリとも動かずに眠っていた。胸の上下がなければ死んでいると思ってもおかしくない。その額には三つのリップ痕が。
「フィリップ、彼の体を見てもいいか?」
「もちろん」
そっと上掛けをめくり、足元まで下げる。マリオンの来ているパジャマの前ボタンを外し、そっとマリオンの体を持ち上げると袖を抜き、ズボンを脱がす。
子供の体になったマリオンはすっかり軽い体になってしまっていた。
パンツだけの姿になったマリオンを元のように横たえる間も、濃密な魔力の放出は続いている。弱い魔力しか持たないものなら、とうに昏倒しているところだ。
正直に言えば今のクロードにもかなりきついものがあった。もとからの器が大きいおかげで何とかなっているとしか思えない。
マリオンの体を検分するが、外見上おかしなところは見当たらない。そっと手をかざしてみると、濃い魔力で内側から跳ね返された。
額以外のリップ痕が残っているのではないか――そう思っていたのだが、当てが外れたな、とマリオンの顔に目をやった時、クロードは目を見開いた。
「クロード?」
「……唇にリップ痕がある」
四つ目のリップ痕――マリオン殿下の唇が紫色に見えていたのは、血色が悪いせいではなく、四人目の魔女のそれだったのだ。
その言葉にはっとしてフィリップは手を延ばしたが、強い魔力でで跳ね返される。
「……間違いないな」
手持ちの紙をマリオン殿下の唇に押し当てれば、今度は反発鳴くリップ痕を写し取れた。
「お前が見落とすとは」
「いや……これは最近のものだ。額のリップ痕よりかなり新しい。魔力の残滓もまだ濃い」
それを聞いてクロードは眉間を押える。
濃い魔力に新しいリップ痕。これだけ頑丈に封印されている部屋に入れるのは魔女ぐらいなものだ。痕跡が残っていれば入るのもたやすい。
「フィリップ。彼の誕生日まであと何日だ?」
「あと八日だ」
「……新月か」
はっと気が付いてフィリップが顔を上げると、クロードは頷いた。
「魔女の狂宴の日だ。間違いない。……一刻の猶予もない。お前は急ぎ四人目を特定してくれ。それから、俺とキャリー嬢を解放してくれ。急いでいかねばならないところがある」
「どこへ」
「ここでは言えない。……が、彼女に会う以外、方法がないい。このままではマリオンは魔女の器として目覚めてしまう」
その言葉の意味を悟り、フィリップは唇を噛んだ。
魔力も生気も空っぽなマリオンの中に注がれ続ける魔女の濃い魔力。そして魔女の狂宴。――何が起こってもおかしくない。
「わかった。必ずマリオン殿下を助けてくれ。……頼む」
「ああ。……それからもう一つ」
扉の方へ行きかけたクロードは足を止め、振り向いた。
「わかっていると思うが……あきちゃんには何もするな。彼女の魔法を解こうとか、記憶を戻そうとか、一切するな。させるな。……今のままのあきちゃんでなければ、マリオンは救えない。下手をすれば彼女自身の命が危ない」
「わかっている。……必ず守る」
「頼む」
それだけ言い置いて、クロードは部屋を出た。
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