十三の掟 附則一の一
「何故、帰ってきたのですか」
縄を打たれた黒い直立猫は、魔法省の大臣執務室にいた。
目の前には黒ローブの男が立っている。すらりとした長身に銀髪を長く垂らし、整った白いかんばせは静かな怒りに満ちている。
青い目を向けられたクロードは、目を閉じてため息をついた。
「キャリー嬢に聞けばいい」
「妹は王宮付き魔術師でありながら無断で出奔した罰で屋敷に謹慎させています」
「そうか。――では、お前に聞く。フィリップ、マリオン王子をなぜ守れなかった」
クロードは目を開き、フィリップと呼んだ目の前の男を睨みつけた。
「それをあなたが言いますか。五年も放置しておいて」
フィリップもまた、クロードを睨み返した。――かつての同僚を。
「マリオン王子があのまま素直に成長なされていれば、俺が帰ってくる必要もなかった。それに――俺はここを追われたんだ。戻れるはずもないだろう」
「そうですね。……その姿も、あなたなら簡単に解除できるでしょうに」
「それはできない。――まだ」
「まだ、ですか」
フィリップは眉根をよせ、口をゆがめた。
「彼女は――まだ目覚めないのですか」
「目覚めさせるつもりはない。今の人格がようやくなじんだところなんだ。昔の辛い記憶など、思い出す必要はない」
「だから――あなたは馬鹿だというのです。挙句の果てに、魔力の源として連れ戻るだなんて――」
「仕方がない。……マリオン王子を助けるには、今の俺の魔力量では太刀打ちできん」
クロードの言葉に、フィリップは目を眇めて友を――友の魔力の流れを見る。
「図書館の掟か。それとも、あの時のペナルティか?」
「後者だ。……今の状態が最大値なんだ」
「……以前の十分の一もないじゃないか」
愕然とするかつての同僚に、クロードは頷いた。
「ああ。――だから、あの魔法定理を組み上げた。いずれ彼女を元に戻す際には必要になるからな。だが、今はマリオン王子のことだ。王子を救うには、呪いをかけた魔女を超える魔力量が必要なんだ」
フィリップはため息をつくと指を鳴らした。クロードを縛っていた縄がほどけて消える。
「座ってくれ。――長い話になる」
そう言ったフィリップの顔は、魔法相の顔ではなかった。
◇◇◇
「ああ、アッシュネイト姫、ようお戻りくだされた」
白髪交じりのおじいさんが膝をついてワタシの両手を握り締めています。黒い上着にパリッとした白いシャツ。偉い人なんでしょうか。
「あの、ワタシはあきちゃんです。アッシュネイトという名前ではありません」
「いいえ、見間違えようがございません。爺は小さいころからの姫をようく存じ上げております。お小さい姿になってしまわれていますが、それこそ姫の幼いころのお姿そのままで明日。間違えようがありません」
「ワタシは知りません」
少し高い椅子に座らされたので、足が床につきません。ぶらぶらさせながら、目の前のおじいさんを見つめます。
もし、ワタシのなくなった記憶の中にいる人だとしても、知らない人は知らない人です。
「きっとあの者の魔術に違いありません。姫を害するなど、万死に値します。――さあ、姫。おいでくだされ。姫の部屋は昔の儘に維持してございます。きっと部屋に戻れば何か思いだされることでしょう」
「嫌です。クロさんに会わせてください」
「我儘をお言いなさるな。――姫を」
おじいさんが後ろに立っていた女性兵士に言うと、あっという間に抱き上げられてしまいました。じたばたもがいても全然話してくれません。
これが大人と子供の力の差でしょうか。悔しいです。
「じっとなさってください、姫。危のうございます」
「降ろしてください。ワタシは姫でも何でもありませんってば」
「姫はまだ混乱しておられるのだ。耳を貸すな。――さあ、こちらへ」
混乱なんかしてませんって何回言っても聞いてくれなくて。
担ぎ上げられたままずんずんお城の中を進んでいきます。周りの人たちはお城で働いてる人たちなんでしょう。おじいさんを見るとささっと道を開けて壁際で頭を下げました。
角を曲がたたり階段を上ったりして、ずいぶん長く連れまわされて、最後の階段を上った田尾頃に茶色の扉がありました。
おじいさんがポケットから取り出した鍵で扉を開けると、ふわっと風が通りました。なんだか、黄緑色の匂いがします。
「姫を奥へ。そなたたちは窓を開けて風を通しなさい」
後ろについてきていた女の人たちがささっと部屋に入っていきます。ワタシを抱えた女性兵士は、最後に足を踏み入れて、さらに奥の扉を開けました。
そこは、緑で統一された寝室でした。ベッドカバーも絨毯も深い緑色、壁紙とカーテンは薄い黄緑色です。
ワタシをベッドに降ろして女性兵士が出ていくと、入れ替わりにおじいさんがやってきました。
「姫のお部屋です。お懐かしいでしょう? ああ、それから王宮付き魔術師に姫の呪いを解いてもらいますので、夕刻までに湯あみをなさっておいでください。何かあれば彼女をお呼びください」
そう言って招き寄せた女性は、紺色のベルベッド時のワンピースの上に白いエプロンをつけています。
「ジェニーといって姫の侍女です。先ほど姫を運んだ兵士はジーン。この塔の警備を任せています。移動の際は必ずジーンをお連れください」
それだけ言うと、おじいさんは出ていきました。ジェニー以外の女の人たちもいなくなって、ワタシはジェニーさんという女の人と二人きりにされてしまいました。
「えっと……あの、ワタシはここで何をすればいいんでしょう」
ジェニーさんに聞くと、彼女は優しい笑顔を返してくれました。
「時々記憶を取り戻す治療が行われますが、それ以外は何でも好きなことをなさって構わないと聞いております」
「じゃあ、クロさんに会わせてください。ワタシはキャリーさんのお願いで、王子様を治すためにクロさんと一緒に来たんです」
すると、ジェニーさんはぱっと明るい表情になりました。
「まあ、マリオン様のことは覚えていらっしゃるのですか?」
「いいえ、キャリーさんから聞いたことしか知りません。クロさんしか治せない、クロさんのお手伝いにワタシが必要だと聞いてここに来たんです。クロさんに会わせてください」
「それは……無理です」
「どうして?」
「クロード様は――アッシュネイト様を誘拐し、あまつさえこのような呪いをかけた張本人なのですよ? どうして会わせられましょうか」
「知りません。それに、ワタシはアッシュネイトという名前ではないし、姫でもありません。あきちゃんです」
ジェニーさんは悲し気に首を振ると、それ以上何も言わずに部屋を出ていってしまいました。
クロさんのお役に立つためにここに来たのに、クロさんと引き離されて、なんだかよくわからない話に巻き込まれて。
何のためにここにいるんでしょう、ワタシ。
悲しくなってきます。
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