短編

アイリの過去


 これはある日の一幕。俺達の部屋に集まって飲んだり食べたり喋ったりを全員でやっていたところに、不意にフレッドが言った疑問から始まった。


「そういえばよー、いつもエル妹のために頑張るって言ってるけど、詳しいこと聞いたことなかったよな。その辺どうなのよ?」

「私も気になるわね。貴方の妹さんがどういう人なのか」

「あたしもー!」

「私も気になります。エルさんいつも俺の妹は可愛いって言ってますもんねえ」

「別に面白い話じゃないぞ? なあアイシャ」

「んー、まあちょっと重い話ではあるよね」

「いーじゃねえかよ。皆気になってんだし」

「しょうがないな。つまんなくても文句言うなよ? 俺には――」


 俺には目に入れても痛くないほど可愛いアイリという妹がいる。

アイリは天才だった。俺には到底できないことをアイリはなんでも簡単にこなした。

 俺なんかと違って魔法の才能もすごかったし、子供ながらに農場の無駄を父さんに指摘して改善したりなんかもしていた。


 この子は神童だ。そんなことを周りが言って、両親もそれを真に受けて可愛がるものだから当然俺は嫉妬した。

 妹という存在を疎ましく感じていた俺はアイリに冷たくあたっていた時期があった。だけど、アイリはそれがどうしてかわからず、単純に俺がアイリのことを嫌いなのだと解釈しているようだった。

 それでも、お兄ちゃんお兄ちゃんと俺の後をついてまわるアイリに、いつしか俺の心もほだされて、両親なんか目じゃないくらい可愛がるようになっていた。


 グリント家は安泰だった。このまま順当にアイリが成長すれば、アルドヴィクトワール学園に入学して、アイリはいいところに就職するだろう。家は俺が継げばいい。

そう、思っていた。

 だけど、運命というのは残酷だった。アイリが8歳の時それは発覚した。


「ねえ、おにいちゃん」

「ん? どうしたのアイリ」

「山のほうにね、池を見つけたんだけど、すごいんだよ。いちめんハスの花がさいてたの!」

「へーこの辺でハスがあるなんて珍しいね」

「だけどね、がけの下にあるんだ。だからとれないの。なんとかしてとれないかなあ」

「がけの下にあるんでしょ? おりられないの?」

「私じゃむりだよ」

「まあ見るだけ見に行ってみよっか? ぼくも見てみたいし」


 俺はこの時の選択を今でも悔やんでいる。崖なんて危ないところに子供二人で行くべきじゃなかったんだ。

 だけど、バカだった俺達は両親に黙ってハスが見える崖へと向かった。向かってしまったんだ。

 たしかに、崖から見えるハスの花はとても綺麗だった。崖の高さも、大人からしてみれば降りれないことはない程度の高さだった。だけど、当時の俺達にとってその高さは危険極まりないものだった。


「これはむりだよ。見るだけにしよう」

「えー!」

 アイリは不満そうだったけど、どうやったってこれは無理だ。諦めて崖の縁から見るに留めるよう言ったら、賢いアイリは「はーい」と言っておとなしく観察を始めた。


 花なんてものにたいした興味のなかった俺はその辺に面白い虫がいないかの観察を初めてしまった。それが致命的な過ちだった。

 ちょっと目を離した隙に、崖側からアイリの悲鳴が聞こえた。まさか、と思った。

 慌てて崖下を覗くと、アイリが溺れているのが見えた。

 俺はもう何も考えずに崖から飛び降りた。飛び込みのフォームなんて知らないから、足先から池に降りたら、ちょうど崖から伸びていた木の枝が俺の背中に引っかかった。


 幸い、池はそれなりに深くて底に打ち付けられるようなことはなかった。俺は必死にアイリの元まで泳いで手を掴むと、一生懸命池の縁まで引っ張った。

 息も絶え絶えの状態ながら、俺は見様見真似でアイリに人工呼吸を施した。すると、水を吐き出したアイリが意識を取り戻してくれた。これで終わっていたら、子供の頃のちょっと大きな失敗で済んでいた。だけど、神様は残酷だった。


「おにいちゃん、アイリの足ちゃんとついてる?」


 アイリは右足の感覚がなくなっていた。


 それからどうやって家まで帰ったのかは覚えていない。ただ、家に戻ってきた時の両親の驚いた顔だけは覚えている。

 俺が飛び込んだ際に負った傷は存外深いものだったらしく、背負ったアイリの身体が俺の血で真っ赤になっていたらしい。


 次に俺が目を覚ました時には、上半身包帯でぐるぐる巻きになっていた。傷口からばい菌が入ったらしく、3日間高熱を出して寝込んでいたらしい。

 起き上がって、両親の顔を見に行こうとしたら、リビングから珍しく父さんと母さんが言い争う声が聞こえた。


「ウチにはそんな大金を用意することはできない」

「だからって! アイリは見殺しにするつもりなの?」

 こっそり聞き耳をたてるだけのつもりだったけど、聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「かあさん、アイリがどうしたの?」

 子供心にあの時アイリが言ったことの危うさを感じていた俺は、何かアイリがよくない病気に罹ってしまったのではと思った。


「ああ、エル! よかった目が覚めたのね!」

「うん。それよりアイリはだいじょうぶなの?」

 俺の言葉に父さんも母さんもとても悲しそうな顔をするだけで何も言ってくれなかった。それが怖くて俺は泣いてしまった。

 ひとしきり泣いて落ち着いた俺は、再び父さんと母さんに聞いた。「アイリはだいじょうぶなの?」と。

 父さんと母さんはどうするか迷った様子だったが、やがて意を決した父さんが口を開いた。


「アイリはな、セラフィムって病気らしいんだ」

「せらふぃむ?」

「だんだんと身体の自由がきかなくなって最後には死んでしまう病気だ」

「なおせないの?」

「治すにはとてつもないお金がかかるんだ。ウチじゃてもじゃないが支払えない」

「じゃあどうするの?」


 残酷な質問だった。その時の両親の顔を俺は生涯忘れることはないだろう。

 答えたくない質問の代わりに、俺の頭を撫でながら父さんは笑顔でこう言った。


「お前がアルドヴィクトワール学園に入って、ロードオブカナンで優勝できたらいいな」

「そうすればアイリしなない?」

「そうだな。優勝できたらな」


 両親はきっと無理だとわかっていたはずだ。俺にも一応魔力の素養はあったが、アイリとは比べるまでもなく低いものだった。だから、もし入学できたとしても優勝なんて絶対無理だと。


「どうすればゆーしょーできるの?」

「いっぱい勉強して誰にも負けないくらい強くなれば優勝できるかもな」

「ぼくいっぱいべんきょうするよ!」

「そっか。頑張れ、エルならできる」


 子供だった俺でも、このまま何もしなければアイリが死んでしまうということは漠然と理解できた。だから、

 この日から「ぼく」は「俺」になった。

 言葉使いも男らしく強気なものに変えた。そうすることで、自分は強いんだと思い込ませる必要があった。


 才能がないのは努力でカバーする必要があった。勉強なんてまったくできなかったけど一生懸命頑張った。最低限の学力を身につけた後は、アイシャの家にあった魔法について書かれた本を読み漁った。そこでも挫折はあった。

 貴族でもない限り、入学前に直接魔法を練習するなんてことはできないと知った。せいぜいできるとしたら体内の魔力を意識して制御できるよう練習することくらいだった。


 俺が頑張れば頑張るほど周りの友達は離れていった。学校が終わって、友達に遊びに誘われても、俺は勉強をする必要があると全部断ったからだ。

 そんな日々を何年か過ごしていたある日、不意にアイリはこんなことを言った。


「お兄ちゃん、わたしのためにがんばらなくてもいいんだよ?」

「頑張ってなんかいない。お兄ちゃんは兄として当たり前のことをしてるだけだよ」

「でもお兄ちゃん、最近誰とも遊んでないでしょ?」

「遊んでるぞ。この間だって学校の奴と一緒に鬼ごっこして――」

「嘘。アイシャさんが言ってたよ? お兄ちゃんずっと勉強ばかりしてて学校で浮いてるって」

 アイシャの奴、余計なことを。


「俺のことはいいんだよ。それよりアイリは大丈夫なのか?」

「私は進行が遅い方みたいだから。お兄ちゃんは私のことよりも、お兄ちゃんが楽しむことを考えて? 私は治らないものだって、諦めてるから」

 アイリは自身が置かれた状況を静かに理解し、納得した上でそう言ったのだ。俺はあの日から泣くまい泣くまいと心に決めていたが、こんなところで泣いてしまった。

「諦める必要なんてない! お兄ちゃんは絶対ロードオブカナンで優勝するから!」

「無理だよ。平民出身で優勝した人なんて聞いたことないもの。私はお兄ちゃんが幸せならそれでいいから」

「そんなこと、言うなよ……生きることを諦めるなよ」

 アイリは泣き続ける俺の頭をよしよしして慰めた。それがまた、無力な俺をより一層際立たせて、情けなくて涙が出た。


「だから、ね? 私のことは気にしないで、いっぱい遊んで?」


 そんなアイリの思いとは裏腹に、俺の決意は日を追うごとに固いものへとなっていった。

 アイリの笑顔を守るために、俺は友達とも遊ぶことにした。昼間は友人達と過ごし、夜は勉強をする。

 最初は睡眠時間が減ったことで日中眠たくてしょうがなかったが、それでもアイリのためを思えば眠る気にはならなかった。

 そうして努力に努力を重ねて――。


「今があるわけだ」

 語り終えた俺を待っていたのはとてつもない静寂だった。唯一フレッドだけはプルプルと震えていた。

「な? 別に面白い話じゃなかったろ?」

「うおおおおおおおおお! 俺は感動した!」

「うお、うるさ!」

 フレッドが立ち上がり大げさに感動をアピールしていた。


「なんていい兄貴なんだ!」

「別に、兄として当然だよ」

「いい話ですねえ。感動しちゃいました」

「貴方にそんな過去があったなんて知らなかったわ。背中の傷はその時のだったのね」

「いやはや、あたしも柄にもなく聞き入っちゃったよー。こりゃエルくんのお嫁さんになる人は大変だ」

「そうなんですよねー。エルはアイリちゃん第一主義だから……」

「意外なところに最大のライバルがいたものね」


「ははは……そうなんですよねー。アイリちゃんを超えなきゃいけないわけですから」

「超える必要なんてないわよ。アイリさんと仲良くなれば問題はないもの」

「そのアイリちゃんが問題なんですよねー……エルに負けず劣らずのブラコンだから……」

「ちょっとやそっとの女じゃシャットアウトされちゃうわけだ。その点アイシャちゃんは有利なんじゃない? 幼馴染なわけだし」

「甘いですね、イオナ先輩。私なんてアイリちゃんに言わせれば泥棒猫扱いですよ……」

「泥棒猫? アイシャさんなにか盗んだんですかー?」

「いやそういうことじゃないから、サーシャちゃん。あれ? でもそういうことなのかな?」


「いずれにせよ、アイリさんといかに義妹として仲良くなれるかが焦点ね」

「おーい肝心の兄である俺の存在を忘れてないかー」

 会話に水を差すようだが、アイリ云々以前に俺の気持ちがないがしろにされている。


「だってエルくんはっきりしないんだもーん。こういうのは本人のいないところで話す方が盛り上がるってもんさ」

「いや、俺ここにいるんだけど……」

「いーからエルはフレッド君と仲良くやってなさい」

 グイグイと押しのけられ、結局室内に男グループと女グループが出来上がってしまった。


「どうしてこうなるんだ……」

「だから何度も言ってるだろ? お前がはっきりしないからだっつの」

「そうは言ってもなあ……やっぱりアイリの病気がよくなるまではそんな気にならんよ」

「前までなら何を言ってんだ、というところだがお前の決意はよく伝わった! だから俺からはなんも言わん。お前はもうお前の道をいけ。俺は応援する!」

「言われんでもそうするっつの」

 こうして、わちゃわちゃとしつつ夜は更けていった。

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