第22話 甘い匂い
「そ、その、そういうのはまだ早いっていうか。もう少し仲良くなってからなんじゃないかなーって……」
「私も異性相手にするのは初めてだけど、四の五の言っていられる状況にないもの。諦めなさい。それともなに? 私じゃ不満なのかしら?」
「いえ! 決してそんなことはありません! むしろ光栄っす」
てかサラッと言ったけど同性相手には経験あるのか。意外すぎる。いや、貴族の嗜みだったりするんだろうか。知らんけど。
「いい返事ね。それじゃ必要な物を買って帰るわよ」
「うっす!」
すまん、フレッド。すまん。なんか知らんがすまん。俺はお前の一歩先を行く。許せ。
そうして学生街に行き店で買い物をする俺達。意気揚々と浮足立つ俺とは対象に、クロエ先輩はどこまでも平常だった。いつも通りのすまし顔で手にしたカゴに次々と精のつく食べ物を放り投げていく。いっそ不気味ですらある。
「ずいぶん落ち着いてますね」
「そうかしら? 貴方もどっしりと構えなさい。今から浮足立っていたら、体力がいくらあっても足りないわよ」
「そういうものなんですね」
「そういうものよ」
それきり会話が途切れてしまった。内心もう心臓バクバクでこの後の展開に頭がいっぱいで、会話に集中できないのだ。
「……貴方、そんなに無口だったかしら?」
「緊張しちゃって……」
「なにか緊張するようなことがあるの? 今の内に話してちょうだい。貴方には戦いに集中してもらわないと困るもの」
いや絶賛その集中を乱してるのはあなたですよ。言われるまで俺の灰色の脳細胞は戦いのことをすっかりと忘れていた。完全にピンク色になっている。
「いや、初めてがクロエ先輩みたいな美人だと思うと緊張しちゃって」
「あら、そうなの。貴方の周りには可愛い子がたくさんいるから、てっきり経験済みかと思ったわ。皆アピールが下手なのね」
「やっぱり、貴族だとこういうのって普通なんですか?」
「いいえ。むしろ貴族的には奨励されていないわ。こういうことは下々の者がやることだという考えが蔓延しているから。でも、私の考えは違うの。今の時代誰が成り上がるかわからないもの。できることはなんでもできた方がいいわ」
「そういうものなんですね」
なんか微妙に返答が的の中心からズレているような気がしないでもないけど、この際どうでもいい。
「そういうものよ」
再び会話が途切れた。その間にはも先輩はカゴにうなぎやにんにく、牡蠣、肉類、スパイスなどをポイポイ入れていく。
「こんなところかしら。歯ブラシ……は予備があるから大丈夫か。キツイとは思うけど、貴方には頑張ってもらわないと困るから。全部食べてもらうわよ」
「任せてください!」
「いい返事ね。それじゃあ、帰りましょうか」
クロエ先輩先導のもと、俺はついに女子寮の敷地とそれ以外を隔てる門の前に立っていた。
3メートルはある完璧な魔法コーティングが施された塀に囲まれた女子寮の中は、謎のベールに包まれている。万が一にでもプレートによる認証をパスしないで侵入しようものなら、すぐに警備魔法が発動して、自治会や生徒会が飛んでくるらしい。
そんな中、俺は正々堂々と禁断の花園へと足を踏み入れることができる。ここは、男達の夢と希望が詰まった領域だ。なんとしても記憶を残し、それを後世に伝えなければいけない。
「わかっていると思うけど、一人で来ちゃだめよ? 怖い人に捕まってしまうから」
門の側に設置された機械にプレートを通した先輩が言った。
「自治会とかですよね」
「いいえ。彼らに捕まればまだラッキー。下手に粘ると寮内の武闘派達がこぞって出張るから。そうなれば、少し痛い目を見るかもね。さあ、ここから私達は恋人同士よ」
「へ?」
「用もないのに男子が女子寮に入ってきたら皆不審な目で見るわ。腕を組んで」
先輩がしなだれかかるように俺の腕に絡みついてきた。
「しゃんとなさい。堂々としていれば、案外バレないわ」
門をくぐると、そこは花園であった。周囲どこを見渡しても女子しかない。門一つくぐるだけでなぜか付近に漂うフローラルな香り。これはもう桃源郷といっても差し支えない。
「場違い感やばいですね」
一歩歩く度に周囲の視線が突き刺さる気がしてしょうがない。それもそのはず見える範囲にいる男は俺一人だからだ。
「気のせいよ。貴方は私の恋人。そうでしょう?」
「そうでしたね」
言葉に出して役になりきると、周りをしっかりと見渡す余裕が出てきた。
構造自体は男子寮とはあまり変わらないらしく、敷地の中にランクに応じた住居が建っている。そんな中先輩に割り当てられた寮はといえば、
「……こんなとこ住んでるんですか?」
4階建ての豪邸だった。今俺とフレッドが住んでいる寮が横幅だけでも2つは収まりそうなほど大きい。小綺麗で、嫌味がない程度に装飾が施されている。俺達の寮とは大違いだ。
「これ全部が私の家ではないわよ? この中の一部屋が私の部屋」
「全部で何人くらい住んでるんですか? 200人くらい?」
「今は40人だったかしら。あまり交流がないから正確な数はわからないわ」
「……先輩ってやっぱすごい人だったんですね」
「それなりの成績は収めているもの。貴方もこれくらいのことで驚かないの。ロードオブカナンで優勝するんでしょう?」
「もちろん」
「だったら、こんなもの超えていかないと。上には上がいるのよ。中にはこれくらいの建物を一人で使っている人もいるわ」
言葉も出なかった。噂には聞いていたが、まさか本当だったとは。寮のランクは敷地の奥に行くほど高くなっていて、手前は最低ランク、最奥は最高ランクとなっているらしい。最奥の寮は特別警備体制が敷かれていて、滅多なことでは近づけないらしい。ここまで差がはっきりしていると、いっそ清々しい気持ちすら抱く。
「さ、ぐずぐずしていないで、入るわよ」
豪邸の扉を開けると、中はそれ相応の輝きがあった。共用部分にはソファがいくつもあって、ソファに囲まれたテーブルの上にはフルーツがバスケットに入って置かれていた。それを照らすのは豪華さの体現とも言えるシャンデリアだ。ガラスの中でゆらゆらと炎が揺れているのが見えた。
ここに住んでいる人達はきっとあのソファに座って、おほほとか言いながら上品に会話するんだろう。薄れていた気になっていた場違い感がふつふつと湧き上がってきた。
「何をぼうっとしてるの? こっちよ」
先輩に手を引かれて中央のレッドカーペットが敷かれた階段を登る。先輩の部屋は二階らしく一段上がると右のフロアへと先導した。そして、そこからも長かった。
先程の共用部分にも驚いたが、ルーム間のその広さにも驚いた。一つ一つの扉の感覚が俺達の寮だったら3部屋は入るレベルで空いている。
階段を登ってすぐの共用部分には無人の売店もあった。俺達の寮にも似たようなのはあるが、あそこで売っているのは得体の知れない怪しいものばかりだから、比べるのが失礼だ。
「ここよ」
先輩は006と書かれたルームの前で立ち止まった。ここもやはり俺達の寮とは違い、しっかりとした鍵がついているらしい。先輩がドアノブ部分にプレートをかざすと、ピッ、という音が鳴って錠の落ちる音がした。
「お、お邪魔します」
「どうぞ」
室内に入ってまず感じたのは柑橘系の匂いだった。爽やかな香りに、緊張が解けていくのがわかった。失礼とは思いつつも、部屋の中をチラチラと見てしまった。予想に反して先輩の部屋は貴族してますという感じではなく、等身大の女の子をイメージさせる部屋だった。
本棚に置かれてた難しそうな本は貴族らしいけど、それ以外はフローリングにひかれたラグなんかも緑色だったりするし、ソファに置かれたクッションも可愛らしい柄だった。
「意外だった?」
アロマオイルに火をつけながら先輩はそう言った。
「意外っちゃ意外ですね。もっとこう、貴族貴族してる感じかと思いました」
「なにそれ。私、あまり貴族って好きじゃないのよね。ノブレス・オブリージュって知ってる?」
「なんとなーくは知ってます。それが?」
「簡単に言うと貴族の義務ね。私はアイフィール家の次期当主よ。だから、年寄り達がうるさいのよ。でも、私自身は兄が当主になるものだとばかり思っていた。周囲ももちろんそれを期待していたわ。だから、あの日まで私は比較的自由に過ごさせてもらっていたの」
「あの日っていうのは、その、お兄さんの……」
「そう。兄が亡くなった日よ。その日から私は唐突に貴族とはこうでなきゃいけないを押し付けられるようになった。まあ、言ってしまえばそれまでの私は普通の女の子だったのよ。お金持ちの家に生まれたね。だから、あまり華美な装飾は好きではないの。がっかりした?」
「いえ、むしろ親近感が湧いたっていうか……なんか嬉しいです」
「そう、それはよかったわ。これから料理を作るけど、食べられないものとかある?」
「先輩が作ってくれるものならなんでも食います!」
「あまり期待されても困るけど。頑張ってみるわ。着替えてくるから待ってて」
3つある部屋の内一つに先輩が入っていった。黙って待っていると、黒のキャミソールにパーカーを羽織った先輩が出てきた。下はスウェット地のハーフパンツを履いていて、先輩の綺麗な足が眩しかった。
それだけでもなかなかクるものがあるというのに、先輩は髪を後ろでくくってエプロンをつけた。もう、いろいろとパーフェクトだった。
トントンジュージューと小気味よく料理をする先輩の後ろ姿を見ていると、将来結婚する日がきたらこれが日常になるのかな、なんて思った。料理の完成が待ち遠しかったけど、先輩が一生懸命やっている姿を見ていると、不思議と退屈することはなかった。
「おまたせ。たくさん作ったからいっぱい食べてちょうだい」
ずらりと食卓テーブルに並べられた料理は、どれも食欲をそそる見た目をしていた。
「いただきます!」
「召し上がれ」
まずはこのにんにくの芽の炒めものから。にんにく特有の香りに特製のタレが肉に絡まって絶妙なバランスで舌の上を踊った。
「うまい!」
「そう、お口にあったようでなによりだわ」
「いや、マジで美味いです! 先輩こんな料理得意だったんですね!」
牡蠣のアヒージョも美味いし、うなぎ料理も絶品だ。サラダまで美味い。下手をすると俺が人生で食べてきたものの中で一番美味しいかもしれない。正直量が量だったから食べ切れるか不安だったけど、これなら余裕でいける。
「趣味なのよ、料理。本当は貴族がやることじゃないんだけどね」
「ほうはんれすか?」
「口に物を入れて喋らないの。貴族にとって、料理とは下々の者がすることなの。だから、当主が料理なんてしてたらその家は料理人を雇うお金もないのか、って思われるのよ」
「なんか面倒なんですね」
「そう。貴族とは面倒なものよ。だから、今の生活が楽でしょうがないわ」
そうは言うものの、やはり育ちの良さというのは食事中に現れるもので、先輩は決してがっつくことなく上品に食べている。
そうして、時折会話を挟みつつ食べていると、あっという間にテーブルから料理が消えてしまった。
「ごちそうさまでした! 美味しかったです!」
「おそまつさまでした。全部食べてくれて嬉しいわ」
「いや、こんな美味いもの残したら罰が当たりますって」
「お世辞が上手ね。洗い物してるから、落ち着いたらお風呂に入って」
「今すぐ入ります」
そうだった。俺はご飯食べるためだけに来たんではなかった。
「少し長湯してくれた方が都合がいいんだけれど、長湯は苦手?」
「いえ大丈夫です」
女性にはいろいろと準備することがあるもんな。時間をつくらなければ。居ても立っても居られなくなった俺は、速攻で服を脱ぎ散らかして風呂場に入った。
ゴシゴシと頭と身体を洗い、泡を流して浴槽に浸かる。男子寮は共用風呂だから、こうした個人用のお風呂に入ると家を思い出す。よく家族で入る順番で喧嘩したなあ。
特訓の疲れがお湯に溶けていくようだった。そうしてリラックスムードになると、人間余計なことを考えるようになるもので……。
「この風呂、普段先輩が入ってるんだよな……」
そう考えると今浸かっているお湯にもすごい価値があるような気がしてきた。
「お湯加減は大丈夫?」
「は、はい! 大丈夫です」
焦った。よくないことを考えていたから扉の向こうに先輩がいることに全然気づかなかった。
「着替え、置いておくから。ごゆっくり」
悶々とした思いを抱きながら言われた通り長湯をした。脱衣所に行くと、先程脱ぎ散らかしてしまった服はどこかに消えていて、代わりに先輩が用意してくれたTシャツとスウェットが置いてあった。どこで買ってきたのか袋に入ったパンツまで用意されていた。
着替えてリビングに戻ると、先輩が風呂上がりのドリンクを作ってくれていた。
「おかえりなさい。これ、飲んでおいてね。私も入ってくるから、待ってて」
様々な野菜とフルーツから作られたらしいドリンクは程よく冷えていて火照った身体に染み渡った。
本棚に置かれたよくわからない本を読んで時間を潰していると、先輩がリビングに入ってきた。水で艶が増した髪をタオルで挟んで水分を取っている。その姿がなぜだかとてもエロかった。というかもはやなんでもエロく感じる。脳が完全にその方向に向かっているせいだ。
「おまたせ。さ、早速始めるわよ」
いよいよこの時がきた。
「ベッドがいいかしら? マットもあるけれど」
究極の2択だ。だが、初めての俺としてはやはりベッドをチョイスする。その旨を先輩に伝えると、先程先輩が着替えに入った部屋とは別の部屋に案内された。
「じゃあ、上を脱いでベッドにうつ伏せになって」
言われるがままに掛け布団のないベッドにうつ伏せになった。すると、先輩が俺の腰の辺りに座った。
「あら? 貴方、この傷どうしたの?」
たぶんあの傷のことを言っているんだろう。俺の背中には昔アイリを助けた時に負った大きな傷跡がある。
「昔の傷です。気にしないでください」
「そう。じゃ、始めるわよ」
え、こんな姿勢で? なんていう俺の疑問は先輩の次の行動で解決した。先輩は、温めたオイルを塗った手で俺の背中をマッサージし始めた。
「……こういうオチかよ……」
「何の話?」
「いや、こっちの話っす」
「なんだかわからないけど、異性相手にするのは初めてだから力加減がわからないの。痛かったら言ってちょうだい」
「わかりました」
残念なことこの上ないけど、これはこれで気持ちいいからヨシとするか。
「肩甲骨の辺りからやっていくわよ」
身を乗り出してやるものだから、俺の顔のすぐ横に先輩の髪が垂れている。またあの柑橘系の匂いがするのかな、なんて思っていると、今まで先輩からはしたことのない甘ったるい匂いがした。
「甘い匂いのするオイルでも使ってるんですか?」
「いいえ? 匂いのないオイルよ。もしかすると、私の匂いかもしれないわね」
「先輩の匂い?」
「ええ。私、どうも甘い匂いがするらしいのよね。だから、普段は柑橘系の香水をつけて誤魔化しているんだけど、流石に部屋の中ではつけていなかったから。ごめんなさい、嫌だった?」
「いえ、なんかむしろすごい安心する匂いっていうか。寝ちゃいそうです……」
「寝ていいのよ。疲れを残さないためにやっているんだから」
「すいません……も……限界……」
安心からか、ここまでの疲れがドッと出てきた。あまりの気持ちよさにまぶたが落ちていくのを抑えられなかった。
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