第六幕 封印

 紅倉が大丈夫でしょうと言うのでお祓いのやり直しはいったんなしにして、舞台で劇の稽古が再開された。

 舞台では家に集まってきた五人の男女がそれぞれに相手の腹を探り合い、『後藤』について情報を出し合う。『後藤』について述べられる情報は確かに同一人物らしいと思える部分もあれば、まったく別人に思える事柄もあって、五人はストレスを募らせていき、そもそもこの五人もどういう事情でここへ来たのか、今ひとつはっきりしたことが明かされない。なんだかよく分からないが、全員が怪しい。そこへ今回のお芝居の座長であるところの刑事役の劇団主宰の男優が登場し、後藤が世紀の詐欺師であるとその詐欺師ぶりを披露する。

 芙蓉は、どれだけつまらないお芝居だろうと思っていたが、見ていると案外面白そうで、生で見る役者たちの熱のこもったお芝居は迫力があって、思わず引き込まれた。もっとも芙蓉の見ているのは九十パーセント村上幹恵だ。ああやっぱりかわいいなあ……と。幹恵は集まった二人の女のうち若い一人を演じている。

 芙蓉と紅倉は客席のちょうど中央で見ている。

 さてさんざん名前の出てくる『後藤』だが、本人はなかなか出てこない。当然演じる渡井も舞台に登場しないのだが……

 芙蓉は渡井が舞台左袖の黒いカーテンの隙間からじいっと俳優たちの演技を見守っているのを見つけた。

 幹恵ちゃんをじいっと熱く見つめる芙蓉は、どうも邪魔な視線を感じて苛々した。芙蓉が睨むと、舞台袖の渡井はじいっと、若い女の子のお尻ばかり凝視していた。遠くからでそれだけ目線が正確に分かるかと言うと、同種の目で女の子を見ている芙蓉にははっきり分かるのである。

 つんつんと紅倉は芙蓉の肩をつつき、一カ所を指さした。

 幽霊を見たという千草が家で五人を迎えるメイドを演じているが、その千草が、演技とは違う、何か怯えたような様子で舞台下を気にしている。

「ちょっと止め! こらっ、メイド! 何してる? 集中しろ!」

 客席前方で見ている演出家が千草を叱った。

「すみません!」

 と頭を下げる千草は泣きそうになりながら真っ青になっている。

 芙蓉は千草が気にして、必死に見ないようにしている右手の舞台下を見た。

「ああ……、いましたね」

 芙蓉にも白い着物姿の女性が立っている後ろ姿が見える。芙蓉にもかなりはっきり見えるからかなり強く自己主張しているが、日本の幽霊のお約束でしっかり脚が透けている。

 舞台では稽古が進行しているが、どうもみんな舞台下を気にしてすっかり集中力を失っている。

 パンッ、パンッ、と演出家が手を打った。

「どうしたみんな! 全然気もそぞろじゃないか!? こんな気の抜けた稽古で初日は迎えられんぞ!」

 パチパチッと照明が瞬き、立ち上がった演出家が上を見ると、パッと消えて真っ暗になった。

 ひゅうううううーー……

 と風の音が舞台上を舞い、人魂が二つ、三つ、舞い上がって、ひいと息を飲む俳優たちの視線を右舞台下の、青白く光る着物姿の女へ導いていく。

「うわっ」

「きゃあっ」

 と俳優たちが悲鳴を上げると、瞬きながら照明がつき、舞台が明るくなると女も人魂も姿を消していた。

 見た?見たよな?と舞台上は騒然としている。演出家も中腰でじいっと女が立っていた場所を凝視していた。

 騒然たる舞台上へ、

 ベテラン渡井は歩みだし、

「どうしたのみんな? 古い劇場だからねえ、配線がいかれちまってるんだなあ」

 とやたら張りのあるバリトンを響かせて、

「はい、リラックスリラックス。集中集中ね」

 と俳優たちの肩を揉んでいき、肩を揉むついでに、さらりと、幹恵のうなじを撫でていった。

 芙蓉は、

 許すまじセクハラ親父!

 と目を三角にした。


 紅倉は、

 顎に指を当て、首を傾げ、

「う~~~~~~ん……」

 と眉を寄せていた。

「これだけやっても駄目か……。

 手強いわねえー…」

 と、はあーー…、とため息をついた。


 端に離れて見ていた三津木と佐々井がやってきた。

「先生、どうなってるんです? 大丈夫じゃなかったんですか?」

 と、三津木は実に嬉しそうで、笑いがこみ上げて堪らない。心配する佐々井はジロリと睨んだ。

 紅倉は、

「すみません。でももう大丈夫です」

 と言い、立ち上がると舞台に向かって、

「みなさーん。もう大丈夫です。相手の正体ははっきりしましたから、もう何も起きません。どうぞ安心して稽古を続けてくださーい」

 と請け負った。

 渡井も、

「ほおーら、紅倉ちゃんもああ言ってるから、もう大丈夫だよ。ねえ? 幽霊の、正体見たり、焦げネズミ、ってね。ワハハハハハハ」

 と大笑いし、紅倉も、

「おほほほほほほほ〜」

 と、ヒステリックな高笑いを返した。


 舞台で稽古が再開されると、

「半紙、筆ペン」

 と紅倉は要求し、佐々井が事務所に上がって用意してくると、紅倉は舞台を見ながらさらさらさらと何か描いた。横から覗いた芙蓉は、

「まあお上手」

 と、恐ろしげなオバケの絵を誉めた。紅倉はむっつり、

「美人の女幽霊」

 と言った。

 芙蓉は紅倉に命じられて半紙を折り紙して人型を作り、紅倉はそれを舞台にかざすと、

「封印」

 と、人型の顔にペケを書いた。



 くか〜〜、と紅倉が居眠りしている間に通し稽古が終わった。芙蓉に肩を揺すられて「んがっ」と目を覚ました紅倉は、解散してぞろぞろ散っていく俳優たちを見て、ちょっとちょっと、と座長の男優を手招いた。


 紅倉の指示で再び俳優スタッフたちが舞台に呼び戻された。

 一人渡井を除いて。

 舞台上に皆を前に女シャーロック・ホームズよろしく立った紅倉は「えっへん」と偉そうな咳払いをして人型を掲げた。

「皆さんに大迷惑を掛けていた女幽霊はここに封じ込めました」

 俳優スタッフたちはどよめいて気味悪そうに不吉な人型を見た。

「燃やして成仏させちゃってもいいんですけれどおー……、皆さん、腹が立ちません?」

 そうは言われても幽霊に腹を立てたりなんかして祟り直されてはたまらない。

「いえ、そうじゃなくって、騒ぎの元凶にです。この人もねー、かわいそうなんですよ?」

 と、慰めるように人型の頭を撫で、

 悪戯っぽく、

「みんなで仕返ししてやりません?」

 と皆を見渡して笑った。

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