第四幕 白い女

 都内某高級住宅街にある紅倉の屋敷を番組ディレクターの三津木が一人のお客を伴って訪れた。

 お芝居の舞台のプロデューサーで、佐々井という男性だった。

 三津木が言う。

「先生、お芝居なんかご覧になりますか?」

「ご覧になると思います?」

「思いません」

 会話がお終いになってしまいそうだがそんなことでめげるかわいげのある男ではない。

「どうせ人のいるところには行きたくないんでしょう?」

「見えない物を見てもしょうがないでしょう?」

「いやあ、遠くの席でも生の舞台は面白いですよ?」

「へー、三津木さん、お芝居なんか見る高尚な趣味がおありだったんですか?」

「いえ。人から聞いたところ、そうらしいです」

 同席の芙蓉はこのふざけた会話にむっとするが、狐の紅倉も狸に負けじと平気な顔ですましている。

「で? わたしに何を視てもらいたいんですか?」

「実はこちらの佐々井さんがプロデュースなさっている舞台の稽古で、いろいろとおかしなことが起きているそうでしてね」

 三津木は実に嬉しそうに言う。

「相談を受けて我々としちゃあさっそく取材したいところなんですが、演出家が許可してくれませんでね。俳優スタッフの安全のためということでなんとか監視カメラだけ設置させてもらったんですが、これに頻繁にオーブが映っていましてね」

 ネズミ男みたいにいやらしい笑いを浮かべている。オーブというのは白い光の玉で、魂だと言われている。

「その舞台というのは……これはじゃあ佐々井さんから」

「はい」

 と話を引き取った佐々井氏は、四十代の、職業当てクイズをやったら「プロ野球の監督」と答えられそうな何か常に腹にストレスを抱えていそうな感じの人物だ。

「わたしはプロモーション会社の人間で、今回のお芝居『後藤を待ち伏せて』は劇団ピリカラ座を母体にメインに有名俳優を客演に迎えてキャスティングしております。演出は劇団の古谷寿太郎です」

 紅倉が眠そうに目蓋を重くしているので佐々井は話を急いだ。

「お芝居の内容はフランスの不条理劇『ゴドーを待ちながら』に引っかけたもので、ある家に『後藤』という人物に用のある人間たちが集まって来るんですが、誰一人本人に会ったことはなく、話をすり合わせてもどうもその人物像が一致しない。いったい何者だろう?と怪しんでいるところに刑事を名乗る男が現れて後藤というのは世紀の詐欺師でその仲間がここにいるという情報があったと言うんですね。そこでみんながそれぞれに相手を怪しんで……、やがて殺人事件が起きる、という、まあ、コメディーサスペンスでして」

「それは楽しそうなお話ですね」

 と紅倉は上っ面のお愛想を言った。三津木が口を挟む。

「じゃあ舞台の稽古を見に行きましょうよ?」

「ええ〜〜〜」

 と、紅倉はあからさまに嫌な顔をした。

「やです。めんどくさい」

「そんな、いけませんよ、先生。若い女性が家に引きこもってばかりいちゃあ」

「ええ。早くお婆ちゃんになってのんびりお茶を飲みながら過ごしたいです」

「またまたそんな。巣鴨に行ってごらんなさいな、元気なお年寄りがうようよいますぜ? 先生もちったあ見習ってください」

「どうせわたしは元気なお婆ちゃん以下ですう〜」

 まったく紅倉の出不精も困ったものだ。

「皆さん困ってらっしゃるんですよ? 助けてあげてくださいよ?」

「劇場にお化けは付き物でしょ? 人が死ぬわけでなし」

「いえ」

 と佐々井。

「稽古中、村上幹恵が奈落に落ちかけまして、あわや大けがをするところでした」

「誰?」

「最近テレビのドラマに出始めた若い女優です。主要人物のオーディションを受けに来まして、話題性もあるし、キャスティングしたんです」

「先生。行きましょう」

 と言ったのは芙蓉。

「どうせお芝居の本番なんて見に行くことはないでしょう? せっかくですもの、どんなものなのか練習だけでも見学してみましょうよ?」

「めんどくさ〜い」

「佐々井さん」

 芙蓉はキッと鋭い視線を向けて訊いた。

「他にも、命に関わるような、危険な事故があったりしたんでしょうねえ?」

「え? ええ、命に関わるってほどでも……」

「…………………」

「ああ、はい。まだ落ちたことはないですが照明がよく揺れます」

「危険ですね」

「電気が不安定で、よく照明が切れかかります」

「危険ですね」

「俳優がよく位置を見間違って舞台から落ちそうになります」

「危険ですね」

「ええと、セリフをよくとちります」

「……………」

「いやあの、背後にじいっと気味悪い気配がして、ゾッとして思わず震え上がってしまうんだそうで」

「危険ですね」

「え? ええと……、そうかな?」

「他には?」

「気配どころか、実際気味悪い手に首筋を触られたこともあるそうです」

「まさか幹恵ちゃんでは?」

「ああ、村上幹恵も被害に遭ったそうです」

「許せませんね。決まりです」

 芙蓉はキッとした目を紅倉に向けた。

「行きますよ先生。大惨事が起こってしまってからではいけません。劇団の皆さんを救ってあげましょう!」

「ふうーーん、美貴ちゃん、村上幹恵のファンなんだあー」

 赤面する芙蓉に三津木が援護射撃?した。

「村上幹恵にじっくり個室でお話を聞いた方がよさそうですねえ。取材できたら番組にも来てほしいなあー」

「先生ッ」

 迫る芙蓉に紅倉はものすごく迷惑そうにした。

 佐々井も真面目にお願いした。

「いや、本当に怖がっている子も多いんです。何か白い物を見たとか、暗い客席に白い着物を着た女の人が座っているのを見たとか、ノイローゼになりかけている子もいる。公演初日まであと二週間、先生、原因をきちんと調べていただけませんか?」

「原因ってねー」

 紅倉は陰気な目でじろっと三津木を睨んだ。三津木は素知らぬふりで視線を逸らした。

「原因なら、分かっているようなものですけどねー?」

「先生! 行きますよね!?」

「分かった。分かりました。行きます。行きゃあいいんでしょうー?」

「はい!」

「村上幹恵ちゃんと握手しにー」

「………………」

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