第三幕 平気な男

「祟られたって平気で跳ね返すような人を連れてきますから」

 と、

 白羽の矢が立ったのが、

 番組にほとんど準レギュラーで出てるくせに、まったく信じないことで有名な、俳優、


 渡井 勝也(わたらい かつや)


 五十四歳である。

 あまり二枚目でもなくどちらかと言うと悪人顔だが、実はなかなかヨーロピアンなおしゃれさんで、癖の強い名バイプレーヤーとして確固たる人気を得ているおじさんだ。

 最初の訪問から数日後、渡井を連れてディレクター以下スタッフが再び安仁寺を訪れて、


 では番組本編をどうぞ。




 ここに一幅の掛け軸がある。

 描かれているのは女の幽霊であるはずだが、それを確認した者はほとんどいない。

 何故ならば、その絵は七十年に渡って封印を施され、その間一度も開かれたことはなく、なんびとも、その絵を見ていないからだ。

 わずかに、寺のある町の古老が、子どもの頃に見たおぼろげな記憶を持つだけである。


「ああ〜〜、お化けの絵? ああ〜、子どもの頃に、祭の夜、見たことがあったなあ。

 ああ〜、怖い絵だったよ。

 ああ~~~~~~~………

 怖い絵だったよ。

 うう~~~~~~~…………

 ……………………」


 どうやらあまりの恐怖に具体的な記憶を封印してしまったらしい。

 いったいどれほど恐ろしい絵なのか?

 我々スタッフの興味は募るばかりである。

 先日取材交渉に訪れた我々に、寺の若い住職、丘野平助氏は頑なに絵を見せることを拒んだ。

 せめて現物を外からでも見たいという我々の熱意に渋々応じてくれた住職の手で箱から巻いた掛け軸が取り出されたとき、恐るべき怪奇現象が、カメラの前で起こった。


「あっ」


 なんと、七十年に及ぶ封印が、封印の効力が切れてしまったというのだろうか、我々の目の前で封印が破れ、絵は、その禍々しき魔力を解き放つがごとく自ら姿を現そうとしたのだ!

 慌てて絵に覆い被さり、我々が見てしまうのを身を挺して阻止してくれた若き住職は、必死の形相で我々の身を案じ、問い詰めた。


「見た?」


 正直に言おう、ほんの一部ではあるが、我々は、呪われしその絵を見てしまった。

(転がり畳の上に広がる掛け軸にはモザイクが掛けられている)

 突如起こってしまったこの不幸な事故、いや、生け贄を求める女幽霊の恐るべき罠に陥った我々の身を思い、若き住職は心を痛め、善後策を懸命に案じた。

 我々は身から出た錆であり、自ら対抗策を探るべく絵の検証を若き住職に申し出た。

 特別に強い精神力を持つ者にその絵を見てもらい、ともかくも、その絵の全体像を伝えてもらうのだ。

 若き住職は女の幽霊の絵を見るのは巫女の力を持った若い女性がいいだろうとアドバイスしてくれたが、残念ながら我々に適任者は思い当たらず、我々はこの男に我々の運命を託すことにした。

 そう、いかなる霊的現象も科学的常識の下に一刀両断する不動の精神力を誇る、

 我らが渡井勝也である!

 我々は渡井に同行してもらい、再び、今や魔窟と化した安仁寺を訪れた。

 決戦場への坂道を緊張の面もちで登る渡井。道々木々の中からミインミインと異常とも思える蝉の鳴き声が降ってくる。まるで我々に行くなと警告しているようだ。さすがに不動明王のごときこの男も顔をしかめる。

「ちくしょう、ションベンひっかけやがった」

 …………。ベテラン俳優は我々の緊張をほぐそうと愉快なジョークで笑わせようとしてくれる。しかし我々にそれを楽しむ心の余裕はない。


 ついに我々は本堂で問題の絵と対面することになる。

 二度と間違いの無いよう新しい紐で縛り直された掛け軸を前に、渡井は住職に質問した。


「俺さあ、祟りとか呪いとか、まったく信じてないんだよね。祟りってさあ、何があったわけ?」


 ベテラン俳優の迫力ある睨みにも動じず、若き住職丘野平助氏は厳かな震えを帯びた声で言った。


「それ……、んっんん、そ…、それはですね、本当にあったんです。

 この絵は元々夏と秋の祭の時にここ本堂で公開されていたんです。

 ある夏祭りの夜に、村の若者二人がよそから遊びに来た女を巡って刃傷沙汰を起こしました。幸い大事には至りませんでしたが、その原因となった女は、二人以外誰も見ておらず、どこを捜してもまるでかき消えたように見つからなかったそうです」

「よそから遊びに来てたんなら、喧嘩騒ぎが嫌でさっさと帰っちまったんだろう?」

「……………。え、と……。そ、そればかりでなく、村の長老が飴を喉に詰まらせて突然死したそうです」

「だから?」

「……………。えーと……。別の夏祭りの時には、赤ん坊の夜泣きがひどく、外でおぶってあやしていた母親に見知らぬ若い女が近寄ってきて赤ん坊をあやそうとしましたが、赤ん坊はまるで火の付いたように大泣きし、女は『わたしが抱いてあげましょうか?』と不気味に笑って言ったが、母親は怖くて一目散に逃げたそうです。もしそのまま赤ん坊を預けていたらどうなっていたことやら……」

「せっかく親切にあやしてやろうとしたのにいきなり逃げられた若い女の方が気の毒だと思うがなあ?」

「不気味に笑ったんですよお?」

「いや、自分が泣かせてしまったと思ったから困って愛想笑いしたんだろう」

「………………」

 さすが不動の渡井、一刀両断がさえ渡る。

「じゃあこれならどうです?」

 若き住職も極め付きの恐怖譚で渡井の肝を冷やそうと頑張る。

「またある夏祭りの夜に若い恋人同士の男女が二人で暗い道をそぞろ歩いていたら、よその村のチンピラどもに出会って絡まれたんです。ところが近くの柳の木の下に白い襦袢一枚切りの妙に色っぽい女が立っていて、手招きしました。チンピラどもは鼻の下を伸ばして女の下へ寄っていき、その隙に恋人の男女は一目散に人の集まる明るいところへ逃げました。そうして怪しい女のことを話し、村の若い男たちが捜しに行くと、よその村のチンピラどもは殴る蹴るされたひどい有様で震えていました。村の者がどうしたのか問いただしても恐ろしそうに震えるだけで、何が起こったか決して話そうとせず、それ以上訊かれるのを恐れるように走り去ったそうです」

 どうです、怖いでしょう?と胸を張る住職に、

「よかったじゃないの、恋人のお姉ちゃんがチンピラどもに悪さされずに」

「………ええ〜〜〜……、そういうことじゃなく……………」

「だからさ」

 リアリズム俳優渡井は理論的に推理して言う。

「美人局(つつもたせ)だったんだろう? 美人のお姉ちゃんが柳の下で『いいことしなあい?』って誘って、鼻の下伸ばして寄ってくと、怖あ〜いおあ兄ちゃんが現れて、おいてめえら俺の女に何しやがる?と脅して殴って、阿呆なチンピラどもは懐の物をすっかり巻き上げられて、ひどい目に遭ったうえ格好悪くて何も言えなかったのさ。だいたい村の若い連中だって、どうせその女といいことしようと思っていそいそ捜しに行ったんだろう?」

「………………」


 オカルト対科学的現実主義はかくも激しく火花を散らすのであった。

 若き住職はこの人ならば女幽霊の祟りにも負けないだろうと深く渡井の人物に感じ入り、快く絵を見せることを承知してくれた。

 と、ここでまたしても驚愕すべき怪奇現象が起こった。

 聞こえるはずのない男の恨みの籠もった呪詛の声がはっきりと録音されてしまったのだ! 耳を澄ましてお聴きいただきたい。



「………祟られろ」



 お聴きいただけただろうか?

 この場には我々以外の何者も存在しなかった。

 このような男の声が聞こえるはずはないのである!

 この呪いの籠もった陰気な声は、女幽霊に祟られて非業の死を迎えた男の、仲間を呼び込もうとする声ではないか!?

 我々は不吉な思いにさっと緊張したが、当の渡井はまるで意に介さず、堂々としたものである。



 住職はついたてを立て、我々には決して見ない撮さないという約束で、ついたての陰で渡井一人だけ見ることを許した。

 渡井は絵が傷まないように風呂敷を敷いた上に巻かれた掛け軸を置き、左手で上辺を押さえ、右手でゆっくり軸を転がし絵を開いていった。

 ついたての向こうで絵を広げ終えた渡井は何を見たのかぎょっとして、「ふうーむ…」と太い息をついた。

 渡井は眉間にしわを寄せてひどく難しい顔をして絵を見続けている。我々はしびれを切らせて渡井に訊いた。


「渡井さん。それはいったいどのような絵です?」

「うん。女だよ、若い。これはなかなかいい絵だ。相当腕のある絵師の作だねえ。美人だ」

 自分も正座して絵を見ないようにしていた住職がそうっと腰を伸ばして上から覗こうとした。すると渡井は、

「見るな!」

 と激しい眼を飛ばした。

「この絵は見ちゃあいけない絵だ。

 見たら、

 祟られるぞ?」

 渡井は怖い顔で住職を睨み、住職はそうっと腰を落としてそのまま力が抜けたようにへたり込んだ。

 なんということだ、先ほどまであれほど祟りの実在を否定していた渡井が、絵を見た途端に態度を豹変させて見るなと言う。

 いったいどれほど凄まじい幽霊画なのだろう?

 我々は是が非でもついたての向こうを覗きたい誘惑に駆られてしまう。しかしそんな我々の不穏な空気を察してか、渡井はさっさと絵を巻き上げ、再びきつく巻緒で掛け軸を結び閉じてしまった。

「これはね、見てはいけません」

 子どもに言い聞かせるように言って立ち上がると、ぐっと巻いた掛け軸を住職に突き出した。

「大事に仕舞っておきなさい。こっそり見てみようなんて思うんじゃないよ? 見たら、あんた、絶対に後悔するよ? 女が夢に出てきて、ウンウンうなされることになるからね? いいね? 見るんじゃないよ?」

 住職はベテラン俳優の肉の厚い悪人顔に迫られて頷き、両手で掛け軸を差しいただくと、睨まれながら大事に箱に入れ、ふたを閉めた。

 渡井の態度はまったく不可解である。いったいどうして急に幽霊の祟りを信じるようになったのだろう? それほどに恐ろしい絵なのか? しかし渡井は描かれている幽霊を美人と言い、いい絵だと言ったではないか?

 しかし美人だからと言って恐ろしくないとは言えない。それはきっと、あの世を思わせる幽玄の美を湛えたこの世ならぬ美女の姿ではないのか?

 これは見たい。

 ものすご〜く見たいではないか?

「駄目だよ、見ちゃ」

 渡井は執拗に我々に釘を差す。

「祟られて、取り殺されちゃうぞ?」

 渡井勝也、

 自分だけ見ておいて、

 ケチ。


「あのーー」

 と住職が物欲しそうに訊いた。

「これ、拝観料取って見せちゃあ駄目なんですか?」

 渡井は怖い顔で脅すように言った。

「ダーメ!」

 住職は皮算用がご破算になってがっかりした。

「なんだよ、つまんねーの」

 そしてこっそり言った。

「売っちまおうかなあーー……?」

 そうっと我々の顔色を窺った住職は、渡井の眼にしゅんとなった。

「はい……。売りません………」



 スタジオ。

 VTRを見たゲストたちは難しい顔でうーんと唸った。

 当の渡井がその様子をニヤニヤと眺めている。

「ねえ渡井さん。これって、怖い絵だったの?」

「うん。怖い絵だったよおー?」

 と言いながらニヤニヤしている。思いっきり怪しい。

「これは、いつの取材?」

「ちょうど一週間前だねえ」

「それから何かおかしなこととかってありました?」

「いやあーー、どうだろうねえ?」

 わざとらしく伸びをして頭の後ろで手を組む。顔は相変わらずニヤニヤ。

「祟られるって言ってたじゃないのー? 渡井さんは祟られてないんですかー?」

「いやあ、祟られたよ」

「えっ、本当!?」

「うん。ほんとお」

 渡井は深刻な暗〜い顔でゲストの女の子を見つめて言った。

「夢の中に出てきたよ。

 見い〜たあ〜なあ〜〜?

 ってね」

 両手を前にだらりとやってゾンビのような顔をして迫る中年男に女の子はキャアと悲鳴を上げた。

「気持ち悪〜〜い」

 渡井は可笑しそうに笑った。

 今回の「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」は特別番外編と言った趣で、いつもの怖〜い霊能師の先生はいない。

 司会の天衣喜久子が締めに訊いた。

「渡井さん。

 本当のところ、この絵は霊的に危険な絵なんですか?」

 女には甘いベテラン俳優は優しいお姉さん司会者の無茶な質問にうーんと困りながら答えた。

「世の中にはさ、見てはいけない、知らない方がいい物っていうのがあるんだよ。この幽霊さんも、その一つだね」

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