第3話②

 俺は2階の住人の件を高橋さんと木根さんに相談してみた。


 『その大家に相談してみなよ。それか代理店に連絡するとか』


 『そうですよね。でも、2階の住人とトラブって何かあったら嫌ですし』


 『えらい心配性だな、君は』


 『でもこの前、騒音がうるさいって言うて、2階に文句言いに行った人が刺し殺されたって、ニュースでやってたで』


 『マジっすか』


 『ちょ、木根さん、ビビらせてどうするんすか。』


 『ああ、ゴメンゴメン』


 『そうだなぁ、じゃあ、匿名にしてもらえばいいんじゃないかな。それだけすごい音なら、本間くん以外の下の階の住人が文句を言っているとしても不思議ではないし』


 『なるほど。たしかにそうですね。それで一回、代理店に相談してみます』


 善は急げだ。俺は大家の電話番号は知らなかったので、財布に入っていた名刺の電話番号を見てすぐに代理店に電話した。コール音が3回ほど鳴って、女性が電話に出た。


 『はい、お電話ありがとうございます。アットホームハウスの藤田です』


 その少し掠れた明るい声から、入居した時に来たあのおばちゃん社員であることに気づいた。


 『あ、もしもし、今年の春に入居した、』


 『ああ、本間さん、どうかされました?』


 『えっ?』


 入居から半年以上経っているのに、入居者とはいえ多数いる住民の中から自分のことを忘れていないことに少し驚いた。


 『あ、ええ、ちょっと困ったことがありまして』


 『困ったこと?』


 『はい、実は夜中に2階の人がものすごい音を立てて困っているんです。もうずっと続いていて』


 『ああ、そういうこですか、少々お待ち下さいね』


 『あ、はい。』


 (やけにすんなりとしているな)


 何かを確認しているのだろうか、陽気な童謡の保留音が数秒間なり続いた。



 『あ、もしもし』


 『はい』


 『あのね、ちょっとおかしいんですけどね』


 『おかしい?』


 『本間さんの真上は空いてるんですよ』


 『はー、はい?』


 『だからね、誰も住んでいないんです』


 俺の思考はその時、停止した。


 誰も住んでいないだと。そんなばかな。


 じゃあ、あの音はなんなんだ。たまに建物が軋んだり、配水管で水が流れたり、風が通ったりで、家のどこからともなく音が鳴ることはある。だが、あの音ははっきりと毎回かなりの音量で2階から聞こえるのだ。


 『いや、だって、はっきり聞こえるんですよ。もしかしたら、隣の人かも、ほら、男の人と親子が2階に住んでるでしょ』


 『ああ、杉浦さんと橋元さんですね。お二人は203と204なんです。その部屋は201なんで隣の隣ですね』


 『えっ、ああ、じゃあ、202の人だ、202の人ですよ』


 『ええっと、202も空き屋なんです』


 俺はその時、冷たい汗が背中を流れていくのを感じた。


 その冷たさは単純に汗が蒸発熱で冷やされるという自然現象では説明できないほど冷ややかだった。


 そして、代理店経由で2階の住人に文句を言うという高橋作戦は、この時、根底から崩れさった。



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