第1話 俺の幼馴染が魔人なわけがない

「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 ゴツゴツした岩の壁、そこから無数に群生するクリスタルのような色とりどりの結晶。地面には「魔石」の欠片や血が足跡のように続いている。


 俺は今、『迷宮ラビリンス』と呼ばれるダンジョンみたいな場所にいる。


 そんな中、俺は身体中から血を流し、意識を失っている幼馴染を背負ってひたすらに歩いていた……


「なんで……なんでこんなことに……! なんでがここにいるんだ!」


 俺はただひたすらに歩き続けた。

 光の届かない真っ暗闇の中を、ただひたすらに……



 ………

 ……

 …



 ――数時間前


「ディルムッド、今日も『迷宮ラビリンス』に行くのかい?」


「うん、もうすぐ聖夜だろ? 下の子たちにプレゼントとかたくさん買ってやりたいんだ」


「そう……あ、でもちょっと待って。装備が傷ついているわ。直してあげるからちょっと貸して?」


 朝日と雪が降り注ぐ中、俺を呼び止めたのは母……ではなく母親代わりのお姉さん。

 この「アイリス孤児院」の保育士をしている若い女の人だ。


 そして、俺は彼女に言われた通り防具一式と得物――鉄製の少し刃こぼれした短刀を渡した。


「もう、ダメでしょ? こんなボロボロの装備で『迷宮ラビリンス』に行こうとしちゃ」


 すると、彼女はそう言いながら砥石に向かい、得物を研ぎ始めた。


「大丈夫だよ。そんなに深いところまで潜るわけじゃないし。強いモンスターもいないから平気だよ」


「それもそうだけど……なんだか心配だわ。近頃物騒な噂を聞くし……あなたが強い子だって知ってるけど、それでも心配なの」


「噂?」


「ええ……なんでも浅い階層で『』を見たって人がいるらしいの」


「え? それって確か……かつて人間と戦争してたっていう化け物だっけ?」


「ええ。はるか昔、私たちの祖先から地上を奪い、人間を天空に追いやったっていう凶悪無比な種族よ」


「……なんでそんなのが」


「さぁ、それは分からないけど……とにかく当分『迷宮ラビリンス』に行くのはやめておいたら?」


 その言葉を聞いて、俺は少し逡巡した。

 しかし、


「うーん……でも俺が『迷宮ラビリンス』に行かないと収入がごっそり減ることになる……ここの生活も楽じゃないんでしょ? それは良くないと思う」


「それは……そうだけど」


「それに、さっきのはあくまでも噂話なんだよね? そんなのにビビってちゃ『迷宮ラビリンス』になんて行けっこないよ!」


 俺はやっぱり『迷宮ラビリンス』に行くことにした。


「そう……なら本当に気をつけてね。危ないと感じる前にすぐ帰って来るのよ?」


「うん! 気遣いありがとう。あと、装備を整えてくれてありがとう!」


 彼女は少し心配そうに、躊躇う様子を見せながら防具と得物を手渡してくれた。


「いつもごめんね、私たちの孤児院のために無理させて……」


「別に嫌だとも無理だとも思ってないよ。それに、この万全の装備なら心配いらないよ」


 そう言って、俺は刃こぼれなく輝きを放つ得物と、傷一つない鎧を誇示してみせた。


 すると、彼女は少しだけ表情を緩めてくれた。


「じゃあ、行ってくる!」


「ええ……気をつけてね」


 そして、俺は装備をまとい、お姉さんに見送られながら孤児院の門を出た。



 ………

 ……

 …



「……よし、やるか!」


 『迷宮ラビリンス』への入口は、『ギルド』と呼ばれる施設によって管理されている。


 俺はその前でひとつ深呼吸し、気持ちを整えてから門をくぐろうとした。だが、そのとき……


「待ってぇー!」


 背後から聞きなれた少女の声に呼び止められた。そして、彼女は俺の正面へとに駆け寄り、息を整えてからこう言った。


「もう、ダメでしょ! 一人で『迷宮ラビリンス』に行っちゃ! 一体どういうつもり?」


「え……いや、まぁその、起こしちゃ悪いかなって……」


「ふんっ! 信じられない! 私を置いて出かけようって考えがありえないわ!」


 俺の目の前でふくれっ面をしている少女。

 彼女の名前はティア。二つ年上の幼馴染だ。


 まるで姉のように面倒を見てくれるティア。そんな彼女に、朝言われたことと同じような忠告をされた。


「ホントに行くの? 魔人族が出るって噂だよ? 私心配だよ……」


「またそれか……俺たちが行くのはせいぜい第1層〜3層だぜ? そこまでなら俺一人で十分だ。心配なら先に帰ってても大丈夫だぞ?」


 正直その噂に辟易していた俺は適当に流した。


「それはダメ!」


 するとめちゃくちゃ食い気味に制された。

 そして、彼女は仕方なく俺に同行すると言った。


「……そうか、じゃあ行くぞ?」


「うん……」


 不安そうに頷くティア。俺は気を取り直してギルドの門をくぐった。


 だが、ギルドの受付嬢にも言われた。

「10層以下には絶対に潜るな」と……



 ………

 ……

 …



「ふんっ!」


「はぁッ!!」


 『迷宮ラビリンス』に入った俺たちは、遭遇した「コボルト」の群れと交戦している。


 俺は短刀で、ティアは素手で、向かってくる彼らを屠っていく。


 彼らは絶命すると「魔石」やら「ドロップアイテム」といった資源を落とす。


 俺たちはそれらを換金することでお金を稼いでいるのだ。


 そして俺たち二人は襲い来るモンスターを一匹残らず返り討ちにした。落とした「魔石」なども一通り回収し終えた。


 この時点で、聖夜のプレゼントを買うには十分な資源が集まっていた。普通ならばここで帰ってもいい頃だが……


「なぁティア、これならもう少し下の階層に行っても大丈夫なんじゃないか?」


 少し欲が出た俺は、ティアにそう聞いてみた。もちろん彼女は「ダメ」と言ったが、


「大丈夫! 一つ下の階に行くだけだって。それに、危なそうだったらすぐに帰ればいい」


 俺はティアの手を取り、半ば強引に第4層へと足を踏み入れた。踏み込んでしまった……



 ………

 ……

 …



「な、なんだよ……これ?」


 第4層に入ってすぐ、目に映ったのは、さっきまでとはまるで別世界としか思えない光景だった……


 岩でできた壁には爪や鋭利な刃物で切り裂いたような傷が無数にあり、地面には俺たちの他に『迷宮ラビリンス』を攻略しに来たと思われる人々が血を流して倒れていた。


 そして、その光景の先にいたのは、薄紫色の皮膚と額から生えた二本角、そして筋骨隆々な肉体が特徴的な人型の異形だった……


(魔人族だ……! 噂は本当だったのか?!)


 俺は、その姿を見ただけでそう確信せざるを得なかった。


 異形が放つ圧倒的な恐怖を前に呆然と立ち尽くす俺。


「ディル君……逃げよ、ね?」


 そんな俺にティアが震えた声で耳打ちする。


 そして、彼女の言葉を受けて俺はゆっくり後ずさりした。しかし……


 ――『コロッ』


 運悪く足元にあった小石を軽く蹴ってしまった。


 すると、その音に反応した異形がこちらを振り向いた。


「まずい……ティア! ここは俺が少しでも時間を稼ぐから先に逃げろ!」


 それを見た俺はすぐさま得物を抜き、異形へと斬りかかった。


(俺のせいだ……! とにかく、ティアを守らなきゃ!)


 だが、そんな俺の決意も虚しく、握っていた得物は一瞬にして弾かれてしまった。


 そして……


(まずい……!!)


 今度は魔人の反撃が襲ってくる。

 異形が血塗れた爪を振りかざしてきた。


 俺はそのスピードにまるで反応できず、無防備に直撃を待つことしかできなかった。


 しかし……


「……?!」


 その攻撃が俺に当たることはなかった。

 だが、目の前には背中から血を吹き出すティアの姿があった。


 俺をんだ……

 彼女を見てすぐにそれが分かった。


 その後、ティアはすぐに俺の方へと倒れ込んできた。


「……ッ! ティア!! どうして……?!」


 もはや俺はなにも考えられなかった。

 とにかく頭の中が真っ白だった。唯一俺にできたのは、ただ逃げることだけだった……


「あぁ……! ああ……!!」


 無様にただ惨めに、俺は異形に背を向け、ただひたすらに逃げた。走って逃げた。


 追ってくる異形も、その追撃も、何一つ意に介さず、ただひたすらに……


(なんで……なんでこんなことに……! なんであんなヤツがここに……!)


 俺は後悔で頭がいっぱいだった。

 そして、そんな無様な俺に向けて異形が腕を振り下ろしてきた。


「……ッ?!」


 今度こそ逃げられない。そう覚悟した。

 だが、その瞬間……


「ギャッ……?!」


 襲いくる異形の胴体に一線が走ったのが見えた。そして、その身体は真っ二つに両断され、塵になって霧散した……



 ………

 ……

 …



 目の前には、一人の女性が立っていた。


 サラサラとなびく長い黒髪、青い瞳、黄緑色の軍服から見える白くスラリとした肢体、そして端正な顔立ちは、女神と見紛うほどに美しい。


(誰だろう? もしかしてこの人が助けてくれたのかな……?)


 だが、そんな彼女はいきなり俺に斬りかかってきた。


「うわっ?!」


 俺は反射的に身を翻し、攻撃を回避した。

 しかし……


 俺の背中にティアの姿はなかった。

 気づくと、ティアは女の腕の中にいた。


 そして、彼女はティアの胸元に赤黒い得物をあてがった。


「動かないで!」


 その光景を見て反射的に身体が動いた俺は、すぐにそう制された。


「この子は。だから……今すぐに殺して処分する」


「え……? 魔人? 処分? ティアが? どういうことだ?! 一体何を言ってるんだ?!」


「魔人の血を浴びた者はじきに魔人化する。そして、私の仕事は魔人を殺すこと。だからこの子も殺さなきゃいけない」


 淡々とそう述べる彼女。

 よく見てみると、確かにティアの肌は薄紫に変色し始めていた。


 だが、それでも俺は納得できなかった。

 簡単には引き下がれなかった。


「ま、待って! どうかその刃をどけてくれ! ティアは……きっと人を襲ったりなんかしないから!」


「……そんなことはありえない。君だって、今さっき魔人に襲われてたでしょ?」


「それでも……それでもティアはそんなことしない! もし何かあったら俺が責任を取る! だから……!」


 涙ぐみながら必死に食い下がる。

 そして、俺は額を地面について懇願した。


「お願いします……お願いします……! どうか殺さないで……」


 すると……


「男がみじめに蹲るな!!」


 女は語気を強めてそう言った。彼女はさらに続ける。


「女の子一人すら守れない、この期に及んで何もできない弱者が、責任をとる? いい加減なことを言うな!」


「弱者にできることなんてなにもない! 思い上がるのも大概にしろ!」


「……ッ!」


 俺はなにも言い返すことができなかった。

 ぐうの音も出なかった。


 そしてしばらく沈黙が流れたあと、女はティアに刃を突き立てた。


「や、やめ……!」


 ティアの胸元から血が流れ出る。

 それを見た俺は、咄嗟に地面から得物を拾い上げ、女に向かって斬りかかった。


 このとき、着ていた防具を脱ぎ捨てて目眩し代わりに女へと投げつけていた。


 その後すぐに相手の側面に回り込んだ俺は、勢いよく得物を振りかざした。

 しかし……


「うっ……ッ?!」


 どうやら、そんな子供だましは通用しなかったらしい。


 刀の柄を背中に叩きつけられ、俺はあっさりと意識を失った……



 ………

 ……

 …



 目が覚めると、俺はギルドの医務室にいた。その隣には顔に布を被されたティアが横たわっている……


 それを見たとき涙が勝手に溢れてきた。

 後悔と情けなさで視界が滲んでいく……


 ティアに手を伸ばそうとしたときだった。


「ん?」


 一枚の封筒が俺の身体から落ちた。

 その中身を見てみると……


輝大社かがやきたいしゃにいる金髪の女神様を訪ねなさい。彼女ならその子をなんとかしてくれる。ルキア・リュキオースに言われて来たと言え』


 さらに、その封筒には手紙と一緒に現金も同封されていた。


「交通費……行けってことか……」


 その後、俺はティアを背負って王都中心部の駅に向かった。


 女神と会い、ティアを助けるために……

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