俺が勝手におまえのこと好きなだけだけど

河野章

俺が勝手におまえのこと好きなだけだけど

「配達行ってきまーす」

 仲町啓太は元気に店の奥へと声をかける。ハイよともヘイよともつかぬ声が帰ってくるのを聞いて、啓太は軽トラの運転席に乗る。

 啓太は酒屋の跡継ぎで、昼休憩が終わったところだった。今から町内を巡って、個人の家や商店へ酒を卸す。体力勝負の仕事だが嫌いではない。街の人々と何でもない話をするのが啓太は好きだった。

 身長は飛び抜けて高くはないが肉体労働で鍛えた身体には自信がある。甘さのないスッキリした顔立ちに商売用の笑顔を浮かべれば客先ではどこでも受けが良かった。

 いくつかの個人宅を回り、次は少し離れた個人スーパーだ。

 スーパーと言っても青果から惣菜、靴下やマッチなど何でも売っている街の雑貨屋だ。

 そこに、目当ての人物がいる。

 昼過ぎのこの時間なら少しは暇をしているだろうと考えての、訪問だった。

「こんにちはー。仲町酒店でーす」

 裏口を開けて、直に店内へ呼びかける。広い三和土になっているそこは八畳間を一つといった程度の広さだ。箱や棚で底上げされた上に、みかんや惣菜、文具などまで置かれている。

 店先にいたらしい大きな人影が振り返った。

 啓太の目当ての人物、藤沢将吾だった。

 啓太はそれこそ毎日ここへやってきては、中高校時代からずっと、彼への想いを伝え続けていた。

 しかし、将吾は一度として頷いてはくれないのだった。

 嫌がるでもなく、笑顔でのらりくらりと躱される。

 今日こそはと啓太は決めていた。今日こそは一歩前進するのだと固く心に誓ってここへやってきていた。

「今日も元気そうだな」

 テノールの低い声で、みかん箱を担ぎ上げていた将吾が啓太の声に振り向く。

「将吾に会いに来た」

「ビールの配達だろ」

「それもあるけど」

「その棚に置いておいてくれ」

 素っ気のない会話も毎度のことだった。長年の付き合いということもあるかもしれない。

 スチールの棚に缶ビールの箱を置きながら、体格のいい将吾の背中を啓太は盗み見る。

 ──好きだと思ったのはいつの頃だろうか。友情が愛情にいつの頃からか変わってしまった。将吾とキスをしてみたい、抱かれてみたいと。

「今晩、時間ある?」

 啓太の問いにみかん箱を店に置いて戻った将吾がその顔を見つめる。

「別になんの約束もないからな」

「じゃあ俺とデートしようよ」

「その言い方なら却下」

「なんでだよー!」

「男同士でデートなんてしねぇだろ」

 当たり前の反応だが、恋心を隠さない啓太はそんな将吾の言葉にも慣れていた。缶ビールの入ったケースを棚に並べながら唇を尖らせる。

 仕事柄ラフな服装ではあるが、啓太は整った顔立ちと日頃の仕事でスッキリとした筋肉のある体格をしていた。女性にも何度か告白をされていたのに、好きになったのは幼馴染の将吾だけだった。

 中学高校と、恋心を自覚してからは連日告白した。

 もうそれは学校中の名物となるほどに。

 その全てに否と答えられてきたわけだが、啓太は諦めなかった。

「それは偏見だぞ。男同士でも付き合ってりゃデートくらいします」

「それじゃ、俺とお前はつきあってねーから、デートじゃねぇな」

 ああ言えばこう言う。もうすでに告白と否という言葉はセットで阿吽の呼吸だ。

「じゃあ、百歩譲って、俺と今夜デートしてください!」

「同じじゃねーか。駄目だつうの」

 さすがの将吾が苦笑して、目を細める。その表情が啓太は好きだった。

 無口であまり表情が豊かではない男が自分だけに見せる表情。

「仕事、戻んなくて良いのか?」

 開け放しの裏口から覗く、啓太が乗ってきた軽トラをちらりと見て、将吾が聞いてくる。

「少しなら大丈夫。ちゃんと仕事して、時間空けてきた」

 休憩だと匂わすと、そうかと将吾が店内の奥にある丸椅子を指差す。

「ならちょっと休んでいけ」

 告白を駄目だと否定する将吾だが、啓太自体を拒絶したりはしない。

 どちらかというと、こうして世話を焼いてくれる。

 啓太はうん、と丸椅子へ座って、無骨な手が茶を淹れる様子を眺めた。

「出がらしだけどな」

 さっきの客の残りだと言いつつ、将吾が熱い緑茶を目の前に差し出す。

「いただきまっす」

 啓太は有り難くそれに手を伸ばした。

 目の前にはレジへと寄りかかる大柄な男。啓太はここに来た理由を思い出し、今日こそは、と茶を置いた。

「なあ」

「ん?」

 立ち上がり、自分より一回り大きな男の身体の横へと両手をつく。逃げられないようにとの心づもりだが、力では叶わないだろうことも分かっていた。

「……キスして良い?」

「駄目」

 返事は即だった。

「今日の飲みは啓太の奢り?」

 不意な言葉に啓太は反射的に頷いた。それと同時に大きな掌で頬を包まれ、掠れるような口づけが将吾から交わされた。

「……な、な……なに……なに、おまえ……」

 自分からキスを強請っていたにも関わらず、その唇が重なると耳まで赤くして後ずさり、まるで漫画のように眼を見開いて将吾を見つめる。

「キスしたいって言ったのおまえだろ」

「い、言ったけども!」

「嘘だったん?」

「嘘じゃねーけども!」

 何回もした告白。それをあっさり交わされる日常。それが当たり前の日常だと思っていた。むしろ、その関係の先に行くのが怖かったのかもしれない。

「な、なんで、いまキスした?」

「キスしていいって言ったのおまえだろ」

 ──その余裕の態度がムカつく。好きだけど。

「ビールを店に運んでくるまで待っててな」

「……お、おう……」

 缶ビールの箱を担ぐと将吾は店内に戻っていく。

 その後姿を見つめながら、啓太は呆然として床に腰を落とした。

 ──俺のファーストキス……将吾とのキス。もうちょっとロマンチックに出来ねぇんだよ!

 心の叫びを胸に押し殺しながら、まだ熱が残る唇を指で塞いだ。


 その夜、二人は啓太の見せ前で待ち合わせて商店街の一角へある飲み屋へと足を運んだ。

 炭火の串が美味い、地元の店だ。

 勿論二人の関係のことは近所中が知っていることだった。

「よう、お二人さん。──啓太ぁ、今日も綺麗さっぱり振られてきたか?」

「うっせーな、勿論今日も─……」

 馴染みの店の親父さんに誂われて笑いで返そうとしたものの、昼間のキスがふと脳内をよぎる。掠めた唇の感触付きで思い出してしまう。

(違う、いつもと同じじゃなくて──)

「今日も……ぼちぼち……だよ」

 なんとも端切れの悪い、小さな声になってしまった。

 店主は将吾の方にも挨拶をして、啓太の様子がおかしいことには気づかない。

 二人は空いているからと、奥の座敷へと案内された。

「はあ……今日も一日疲れたな」

 掘りごたつの席で足を伸ばすと、啓太は自然とため息の様な声を出した。

『そうだな』と返す将吾も声に疲労は隠せない。二人ともまる一日、立ち仕事の力仕事だ。小さな商店街とはいえそれなりに忙しかった。

 啓太は目の前の将吾に確認する。

「とりあえずビールで良いよな」

「ああ」

「親父さん、生二つとー……串適当に持ってきて」

 ここまではいつも通りだった。昼間のちょっとしたアレがなければ、いつもどおりの二人。啓太は身を屈めると、声を潜めて将吾へと顔を近づける。

「昼間のアレ、何なんだよ」

「アレって?」

「アレって言ったら、あの……」

 キスの一言が恥ずかしくて出せない。良い年齢をしてもどかしかった。

「良いよ、もう」

 啓太は言葉に出来ずに結局横を向いた。

「キス?」

「ちょ、直接的に言うなって!」

 その言葉が終わらないうちによく冷えたビールのジョッキを店主が運んでき、啓太は慌てて口を噤む。

「じゃあ、まあ、なんつーか、取り敢えず乾杯……」

「ん」

 ジョッキを軽く持ち上げて乾杯をすると、お互いが冷たいそれを喉に流し込む。

(将吾の顔がまともに見られない。あの唇と……キス……したんだ……)

 少し厚みのある男らしい唇。温かかった。僅かの時間だったがその熱は未だに収まらない。

 夢にまで見たキスだった。自分から迫ったのも事実だ。

 しかし、いつものように簡単にかわされるかと思っていたのも事実だったのだ。

「な……なんであんなことしたんだよ……ずっとしたこともなかったくせに」

 ビールに口をつけて、少し俯きながら啓太はボソボソと告げる。真っ直ぐに将吾の顔を見られない。

「キスしたら啓太がどんな反応するのかなと思って」

「な! 冗談でしたのかよ!」

 思わず出てしまった大声に店にいた数人の視線が二人へと集まり、啓太は慌てて掌で口を塞ぐ。

「したいって言ったり、怒ったり、どっちなんだよ」

 飄々とした雰囲気の将吾の態度が憎たらしい。

 ──こんなに好きなのに。将吾は俺の気持ちなんて冗談としか思ってないんだろうな。

 そう思い返すと、より虚しくなる。

 学校でも商店街でも、誰もが知っている啓太のアタックをみんな半ば冗談のように思っているのかもしれない。

(ま、まあ……けど、一歩前進だ)

 将吾が何を思ってあんなことをしたかは分からない。

 けれど、キスはキスだ。

 ビールをゴクリと喉へと流し込んで、ダンっとテーブルへ置く。

 屈折十数年、ここでやっときたチャンスなのだ。押さない手はない。

「お前こそ、そうやってごまかすけど──結局どっちなんだよ」

 じりっと目の前の男を見つめる。良い男だ。顔だけじゃない。仕事への取り組み方も、仲間を大切にするところも、啓太は大好きだ。

「今までは、じょ、冗談でも……あんなことしなかったじゃないか」

 酒のせいだけでなく顔を赤くしながら、啓太は詰め寄った。  

「ん─……」

 将吾は串を口にして、考える仕草をする。

「お前がずっとしたいって、言ってたからした。って言ったら?」

「そんな、俺任せかよ」

「いや、違うだろ」

 将吾は串を置いて、テーブルへと頬づえをつく。

「『お前が』したいって言ったからした」

 お前を強調して、将吾は言った。

 その意味を理解するまでに啓太は数秒かかった。

 気づけばかっと顔が熱くなる。

「おま、それって……!」

「声がでかい」

 冷静な将吾が憎たらしい。

 いつもと変わらないテンションで将吾は黙々と串を平らげビールを飲む。

「だって、それってお前俺と付き合う─……!」

「だから声がでかいって」

 啓太は将吾の大きな手で口を塞がれてしまう。しーっと声を潜めて顔を近づけてくる。

「静かに出来るか?」

「……!」

 うんうんと、啓太はそのまま頷く。近くで見た将吾の顔は真剣で、からかっているようには見えなかった。

 そっと手が外される。啓太はゴクリとつばを飲み込んだ。

「お前があんまりしつこいからな」

 口端を僅かに上げて、将吾が言った。

「……同情、かよ」

「なんてな。啓太が可愛いから」

「はぁっ!? じゃ、じゃあいままでの何年も……」

 再び声を上げた二人の個室へと店主が顔を覗かせる。

「ビールのおかわりいいのかー?」

 呑気な声に啓太は赤らめた顔を俯かせて、藪睨みの目つきで将吾を見つめる。

「ビール二杯追加で」

「はいよ」

 いつもの調子で離れていく店主の背中を見送った後、掘り炬燵の中で不意に将吾が啓太の手を握る。

 指先を絡め、まるで恋人にするかのようにしっかりと握り合わせながらもう片方の手で残ったビールを空にすべくジョッキを傾けていた。

「な、な、な……」

 啓太の声はもう言葉になっていなかった。

 逞しい大きい掌。包み込まれる温もり。アルコールの酔いよりも顔を熱くさせる。

「お前の手ってこんなに細かったんだな」

 影になっているせいで他の客には見えないだろうけれど、しっかりと繋がれた手。まるで素知らぬ顔でビールを飲む将吾。

「な……なんなんだよ、お前……」

 啓太の声はほぼ泣き声に近かった。

 突然の将吾の行為と恥ずかしさ、それに嬉しさや戸惑いといろいろな感情が渦巻く。

「俺も前からお前のことが好きだったって言ったらどうする?」

 繋いだ手に少し力を込めながら、将吾はそう囁いた。

 啓太は目を見開いた。

「それ、じゃ……! 今までの俺の……」

 ぎゅっと手を握られて、それ以上は声にならなかった。俯いて顔もまともに見られない。

 想像はした。もっと色々したいとも思っていた。

 けれどたったこれだけで、現実では声も出せない。

「いや、ちょっと……自分の気持ちを認めるのに時間がかかった的な?」

 飄々と将吾は告げてくる。

「おっ前なぁ……」

 顔を真っ赤にして、啓太は将吾を睨みつけた。

「かなり前から、気持ちはお前に向かってたんだけど……」

 普段はあまり喋らない将吾が饒舌だった。ぽかんとした気分で啓太は将吾を見つめる。

(ずっと……? 将吾も俺を?)

 にわかには信じがたかった。あんなに毎日あっていて口説いていたというのに顔色一つ変えなかったのは将吾の方だ。

「お前が悪いんだよ」

 将吾が言った。

「え?」

 突然の話の振りに、素できょとんとしてしまう。将吾は机の下で、啓太の手をぐいっと引っ張った。身体が机越しに将吾へと近づく。間近で、息のかかる距離に将吾の顔があった。

「お前、付き合えだのキスしたいだの、言うだけ言って、きちんと俺に『好きだ』って告白したことねえだろ」

「それは」

「ねえよな?」

 確かに、言ったことはない……気がした。だって気恥ずかしいのだ。いつも一緒に遊んだ小学生の頃から、気持ちに気づいて迫り始めた中高時代だって、ずっと一緒に育ってきたのだ。

 大人になっても同じ町内で一緒に仕事をする仲だ。

「だって、お前今更──……」

 近い距離で真面目に見つめられて、啓太は逃げられない。

「今更、恥ずかしいとは言わせないからな」

 ニヤッと将吾は笑った。

 そしてそのまま啓太の耳元に将吾は顔を寄せると『お前を抱きたいとも思ってる』そう低く囁いた。

 ──そんな想像は何度もしていた。けれど叶わない夢だとも思っていた。

「無理……無理……そんなことされたら、泣く」

「泣いたらヨシヨシってしてやる」

「……余計に泣く」

 このテンションをどうしたらいいのか分からない。何年も口説いて無視されていたのに、いきなり手を握られて、好きだとも言われるなんて想像もしていなかった。

 しかもそんな言葉を囁いた直後に、串焼きの椎茸を将吾は齧っている。

「だからこういうときは……!」

「なに?」

「椎茸を食うな!」

 なにをどう言っていいのか戸惑いながら啓太が怒鳴る。

「椎茸頼んだのお前じゃん」

「そういう意味じゃなく!」

 椎茸の串から手を離した将吾が再び啓太に顔を寄せ、その口端にそっと短いキスをする。

「……ごめんな、待たせて」

 ──ああ、好きだと思う。無頓着なところも、少し鈍感なところも、ずっと側にいてくれたところも。二度目のキスが椎茸の味だったことを除けば。

「──俺も、将吾のこと、好き」

「うん、知ってた」

「知られてたことも知ってた」

「好きだよ、啓太」

 涙が溢れそうになる。たぶん、禿げた親父の経営するいつもの居酒屋でなければ、将吾に抱きついて泣いてただろう。

 絡めたままの指先を握り返して、啓太も勇気を出して口づけを将吾に返そうとしたときだった。

「ビールのおかわりおまちどうさまー」

 見慣れた店長の明るい笑顔と登場に、身体を横倒しにして誤魔化す啓太。

「なに、もう酔ってんの?」

 店長の笑いと共に、将吾もまた笑い声を上げながらギュッと啓太の手を握りしめた。



【end】

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俺が勝手におまえのこと好きなだけだけど 河野章 @konoakira

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